たにしのアブク 風綴り

87歳になります。独り徘徊と追慕の日々は永く切ない。

大寒の梅ほころび、運命の大関・稀勢の里に春の訪れ

2017-01-21 21:58:34 | Journalism

大相撲初場所14日目の21日、東大関・稀勢の里(田子ノ浦部屋)が初優勝しました。
この日まで優勝争いのトップに立っていた稀勢の里は、
逸ノ城を降して1敗を維持しました。
1差で追っていた東横綱・白鵬が貴ノ岩に敗れたため、
千秋楽を待たずに14日目に優勝が決まりました。



支度部屋で記者の質問に「うれしい」と一言。
涙を滲ませました。初土俵から15年、大関になって31場所目でした。



稀勢の里はこれまで、何回も優勝に近付きながら、
自身の取りこぼしや、横綱・白鵬の壁に阻まれ、
賜杯を手にすることが出来ないでいました。



稀勢の里は「一度も優勝をしない最強の大関」として、
歴史に名を残す「運命の大関」になるではないかとも、
たにしの爺は、思っていました。
来場所は「横綱に昇進」、これまでの忍耐を糧にして、
強さと品格の備わった名横綱になってくれるでしょう。



思えば、1年前の春場所は琴奨菊が、
モンゴル横綱を撃破し、10年ぶりに日本人力士が優勝し、
たにしの爺、近くの佐渡が嶽部屋まで駆けつけました。
松戸駅前通りでの優勝パレードにも駆けつかました。



その琴奨菊、カド番で迎えた春場所、負け越してしまいました。
来場所は関脇に陥落し、10勝しないと大関に戻れません。
同部屋の琴欧州もカド番で負け越し、
カムバックできず引退しました。
「琴」の冠の付く佐渡が嶽部屋の力士がめっきり少なくなってしまい、
幕内では琴勇気が頑張っていますが、琴奨菊同様に、
土俵に横転する負けが多すぎます。



琴奨菊については、大関にカムバックできなくても、
土俵に上がって、身上の「がぶり寄り」を見せてもらいたいです。
往年の「三根山」のように、大関で一度優勝した後、
ケガと病気に悩まされながら幕尻に下がっても土俵を勤め、
上位に戻り敢闘賞にも輝いています。
当時は鏡里、吉葉山、若乃花、栃錦、琴が浜、信夫山、名寄岩など、
人気力士が揃っていた中で、愛嬌の有る丸っこい顔で人気を得ていた「三根山」のように、
琴奨菊も愛される力士として、何時までも「琴バウアー」を魅せてもらいたいものです。



今場所もう一人、嬉しく感激したのは「御嶽海」の活躍です。
長野県出身の力士が横綱を破って「金星」を挙げたのは、
「大昇(長野県北佐久郡軽井沢町出身)」が、
西前頭5枚目だった1955(昭和30)年1月場所で、
初日に横綱栃錦を破って以来62年ぶりだという(信濃毎日新聞より)

思えば、たにしの爺、大相撲に関心を持ち出したのは、
この「大昇」(立浪部屋)が同郷の力士として応援をしたのが始まりでした。
当時の立浪部屋には贔屓の羽黒山、名寄岩、清惠波など人気力士がいて、大昇もその内の一人でした。

 久しぶりの長野県出身力士「御嶽海」の活躍に、たにしの爺、
何よりもクレバーな相撲ぶりに、さすが長野県人だと興奮しています。