写真は2年前まで畑と、俗にいう城中村、と呼ばれていた昔ながらの集落のあった昆明市北郊地域。地面の下はものすごい圧力に耐えているに違いない、とおもうほどの30階以上の建物がニョキニョキと建設中。
【変わらぬ雰囲気】
前回はバンコク経由で、その前は北京経由で、その遙か前は韓国・仁川経由(これは一応、直行便という名前が付いていた)で行きましたが、今回は上海経由となりました。乗り継ぎの悪さもさることながら、往復中、4機の飛行機にお世話になる中で必ず、「飛ばない」「遅れる」飛行機に当たります。そのため、どう頑張っても12時間はかかります。
上海で一泊し、上海万博にも行きました。上海は驚くほどの大都会。地下鉄は完備され、ラッシュの車内も体臭はなし。停車駅で人々は争うことなく静かに乗って、順番に降りていきます。一人で入れるファストフード店も様々にあり(中国では普通、複数人で行かないと、一皿数人分の食事と格闘するはめに陥るのです!)、ほんの数年前まで感じた目がチカチカするほどの排ガス臭もほとんどなし。
最近、上海に留学した日本人の学生について
「たしかに中国語はうまくなるけど、カルチャーショックはなにも受けずに帰ってくるのよ」と評した先生がいましたが、納得できました。
その上海を見てから昆明に行ったせいか、人々と町の雰囲気のあきれるほどの変わらなさに、ほっとするやら、驚くやら。
タクシーや町の店主らは、いつものように地元のタブロイド紙を読みふけり、赤ちゃん連れの人は乳幼児には幾重にも厚着させた上で、分厚いバスタオル程度のおぶい布で背負い、町の空気は絶望的なほど排気ガス臭く、道はガタガタ。食事も米線以外は一皿大盛り。
暑くもなく、寒くもない。最高気温26度の快適さ。車両整備がちゃんとされていたら、黒い排ガスも減り、さぞや暮らしやすかろうにと、もったいなく思いました。
よい面もそのまま。公共バスでは、年寄りや子連れと見れば、席を立つのは当たり前。あるときなど、青い目をした白髪の紳士に席をゆずる年輩の男性と、それを見て席を立つ若者との3者の譲り合いトライアングが膠着状態となり、最後に青い目の紳士が席に座ることでその場がおさまる、という日本では信じられない光景も相変わらず展開されていました。
【変わった風景】
一方で、都市開発の勢いはとどまることを知らず、数年前までだだっぴろい畑や林だったところが見事にビル群と化し、建築中のマンションが昆明の北縁の山裾まで迫っていました。その先は昆明市民の命綱・飲用水のたたえられたダムの壁のみ、です。
また3年後に開通予定の地下鉄工事が今年5月から本格化。地下鉄はこれだけの都市なら必需品ですが、現在はガマンの時で、そのための渋滞がますますひどくなっている、という状況でした。
一見すると、誰もが思うのが、「これほど高層ビルを建てても、買って暮らす人はいるのかな」ということ。メンテナンスの意識も希薄で、私が暮らした2004年にはうらやましいほどにピカピカだったマンションも、今やベランダの柵が哀しいほどに錆びています。だのにローンは残ったまま。
地元紙を開くと、同じ懸念を持つ人は当然、いて、8月20日の社説には
「このままでは日本で起きたようなバブルが弾ける現象が、昆明でも起きてしまう」と経済専門家による日本のバブル崩壊のプロセスとその後の解説が載っていました。また、近郊農業地域をつぶしての開発に「耕していた農民の無職化と食への不安」が率直に語られている記事もありました。
昆明だけで、この有様。これが、少なくとも西部大開発推進地域では同じような事態になっていると過程すると、それだけで日本の面積のおよそ14倍、中国全土なら約25倍という、とてつもない規模で、コトが進行していることが実感されます。
実際、雲南からはるか遠くの北の陝西省大同市などでも同様の景色になっていると行った方から聞きました。またニュースを見ても北京から河北省への解決の見込みのない大渋滞や北京―チベット自治区間の100キロにもわたる深刻な渋滞、甘粛省舟曲県ほか各地の土石流などはその一端なのでしょう。
空気、自家用車の増加、本物の緑の減少(生態公園、と称する、スプリンクラーが水をまき、南京や広東の会社が作った栄養剤をぶら下げて植樹された、緑地公園は、作っています)、コンクリ建物の縦列による、地球温暖化への傾斜、真水の減少。これだけでも十分、日本海の水たまりをはさんだ日本人として人ごとではない気分になります。
中国は、中国共産党が統治する社会主義国家。いうまでもなく土地はすべて国のモノです。だから地元政府の鶴の一声で、土地はどうとでも出来る。それだけに裏には地元政府の利権が絡んでいるように思えてなりません。
深刻な話になりました。次回は砕けた話です。
【変わらぬ雰囲気】
前回はバンコク経由で、その前は北京経由で、その遙か前は韓国・仁川経由(これは一応、直行便という名前が付いていた)で行きましたが、今回は上海経由となりました。乗り継ぎの悪さもさることながら、往復中、4機の飛行機にお世話になる中で必ず、「飛ばない」「遅れる」飛行機に当たります。そのため、どう頑張っても12時間はかかります。
上海で一泊し、上海万博にも行きました。上海は驚くほどの大都会。地下鉄は完備され、ラッシュの車内も体臭はなし。停車駅で人々は争うことなく静かに乗って、順番に降りていきます。一人で入れるファストフード店も様々にあり(中国では普通、複数人で行かないと、一皿数人分の食事と格闘するはめに陥るのです!)、ほんの数年前まで感じた目がチカチカするほどの排ガス臭もほとんどなし。
最近、上海に留学した日本人の学生について
「たしかに中国語はうまくなるけど、カルチャーショックはなにも受けずに帰ってくるのよ」と評した先生がいましたが、納得できました。
その上海を見てから昆明に行ったせいか、人々と町の雰囲気のあきれるほどの変わらなさに、ほっとするやら、驚くやら。
タクシーや町の店主らは、いつものように地元のタブロイド紙を読みふけり、赤ちゃん連れの人は乳幼児には幾重にも厚着させた上で、分厚いバスタオル程度のおぶい布で背負い、町の空気は絶望的なほど排気ガス臭く、道はガタガタ。食事も米線以外は一皿大盛り。
暑くもなく、寒くもない。最高気温26度の快適さ。車両整備がちゃんとされていたら、黒い排ガスも減り、さぞや暮らしやすかろうにと、もったいなく思いました。
よい面もそのまま。公共バスでは、年寄りや子連れと見れば、席を立つのは当たり前。あるときなど、青い目をした白髪の紳士に席をゆずる年輩の男性と、それを見て席を立つ若者との3者の譲り合いトライアングが膠着状態となり、最後に青い目の紳士が席に座ることでその場がおさまる、という日本では信じられない光景も相変わらず展開されていました。
【変わった風景】
一方で、都市開発の勢いはとどまることを知らず、数年前までだだっぴろい畑や林だったところが見事にビル群と化し、建築中のマンションが昆明の北縁の山裾まで迫っていました。その先は昆明市民の命綱・飲用水のたたえられたダムの壁のみ、です。
また3年後に開通予定の地下鉄工事が今年5月から本格化。地下鉄はこれだけの都市なら必需品ですが、現在はガマンの時で、そのための渋滞がますますひどくなっている、という状況でした。
一見すると、誰もが思うのが、「これほど高層ビルを建てても、買って暮らす人はいるのかな」ということ。メンテナンスの意識も希薄で、私が暮らした2004年にはうらやましいほどにピカピカだったマンションも、今やベランダの柵が哀しいほどに錆びています。だのにローンは残ったまま。
地元紙を開くと、同じ懸念を持つ人は当然、いて、8月20日の社説には
「このままでは日本で起きたようなバブルが弾ける現象が、昆明でも起きてしまう」と経済専門家による日本のバブル崩壊のプロセスとその後の解説が載っていました。また、近郊農業地域をつぶしての開発に「耕していた農民の無職化と食への不安」が率直に語られている記事もありました。
昆明だけで、この有様。これが、少なくとも西部大開発推進地域では同じような事態になっていると過程すると、それだけで日本の面積のおよそ14倍、中国全土なら約25倍という、とてつもない規模で、コトが進行していることが実感されます。
実際、雲南からはるか遠くの北の陝西省大同市などでも同様の景色になっていると行った方から聞きました。またニュースを見ても北京から河北省への解決の見込みのない大渋滞や北京―チベット自治区間の100キロにもわたる深刻な渋滞、甘粛省舟曲県ほか各地の土石流などはその一端なのでしょう。
空気、自家用車の増加、本物の緑の減少(生態公園、と称する、スプリンクラーが水をまき、南京や広東の会社が作った栄養剤をぶら下げて植樹された、緑地公園は、作っています)、コンクリ建物の縦列による、地球温暖化への傾斜、真水の減少。これだけでも十分、日本海の水たまりをはさんだ日本人として人ごとではない気分になります。
中国は、中国共産党が統治する社会主義国家。いうまでもなく土地はすべて国のモノです。だから地元政府の鶴の一声で、土地はどうとでも出来る。それだけに裏には地元政府の利権が絡んでいるように思えてなりません。
深刻な話になりました。次回は砕けた話です。