写真は雲南の食事店でごく普通に見られる豚肉のシンプルな炒め物。すごい量の唐辛子だが、雲南の人は唐辛子を入れないと味がない、と感じるそうだ。ほんとにおいしいけど辛い。
【サトウキビの歴史を見ると】
サトウキビは中国では紀元前から食べられていたらしいが(屈元の『楚辞』などに見られる、と専門家はいっている)、爆発的に需要が増えたのは17世紀後半以降のことだ。中国南部の福建省や広東省、さらには台湾で大量に生産され、以後、かかせない調味料となった。その当時、栄えた杭州(浙江省)や「食は広州にあり」で知られる広州(広東省)料理は、サトウキビが自由に使える環境が、伝統の味を決定づけたように思う。
今振りかえると我ながら驚くが、学生時代、杭州料理のあまりのおいしさに、その町の名店に4日間、通いつめ、メニュ-全品を食べ尽くしてしまったことがある(現地で友人をつくって通ったのです)。また会社の出張で行った広州では、こんなにグルメでいいの? と思うほど、何を食べてもおいしかった。砂糖の甘さと、杭州なら醤油ベ-ス、広州なら塩の塩梅プラス酢の風味が絶妙で、それに極上の紹興酒と銘茶が小食の私をいざなったのである。唐がらしをあまり使わず、また脂っこくもない料理のため、日本人好みの中華、となるのだ。
ところで雲南では、現在ではほとんど現地では見られないが、昔は砂糖やしからの砂糖が主流だったという。今ではすっかりサトウキビからの糖ばかりとなっているが(雲南省の主要産業の一つはサトウキビ栽培とその精製)、伝統雲南料理で評判の高いものには一切、砂糖が使われていないか、妙に甘すぎるかどちらかなのは、砂糖の使い方の歴史が浅いせいもあるのかもしれない。
【日本にも大きな影響】
一方、日本も当時の中国の砂糖ブームにかなり影響を受けている。1665年から3年間の中日貿易の記録を調べた研究者によると、外国商人の86%を福建商人が占めていた長崎貿易では日本の銅と中国の糖が交易されていた。江戸時代は「卵百珍」などの料理書が出てくるほど様々な料理法が生み出された時代だが、その背景には、砂糖の流通も大きな役割を果たしたに違いない。(つづく)
【サトウキビの歴史を見ると】
サトウキビは中国では紀元前から食べられていたらしいが(屈元の『楚辞』などに見られる、と専門家はいっている)、爆発的に需要が増えたのは17世紀後半以降のことだ。中国南部の福建省や広東省、さらには台湾で大量に生産され、以後、かかせない調味料となった。その当時、栄えた杭州(浙江省)や「食は広州にあり」で知られる広州(広東省)料理は、サトウキビが自由に使える環境が、伝統の味を決定づけたように思う。
今振りかえると我ながら驚くが、学生時代、杭州料理のあまりのおいしさに、その町の名店に4日間、通いつめ、メニュ-全品を食べ尽くしてしまったことがある(現地で友人をつくって通ったのです)。また会社の出張で行った広州では、こんなにグルメでいいの? と思うほど、何を食べてもおいしかった。砂糖の甘さと、杭州なら醤油ベ-ス、広州なら塩の塩梅プラス酢の風味が絶妙で、それに極上の紹興酒と銘茶が小食の私をいざなったのである。唐がらしをあまり使わず、また脂っこくもない料理のため、日本人好みの中華、となるのだ。
ところで雲南では、現在ではほとんど現地では見られないが、昔は砂糖やしからの砂糖が主流だったという。今ではすっかりサトウキビからの糖ばかりとなっているが(雲南省の主要産業の一つはサトウキビ栽培とその精製)、伝統雲南料理で評判の高いものには一切、砂糖が使われていないか、妙に甘すぎるかどちらかなのは、砂糖の使い方の歴史が浅いせいもあるのかもしれない。
【日本にも大きな影響】
一方、日本も当時の中国の砂糖ブームにかなり影響を受けている。1665年から3年間の中日貿易の記録を調べた研究者によると、外国商人の86%を福建商人が占めていた長崎貿易では日本の銅と中国の糖が交易されていた。江戸時代は「卵百珍」などの料理書が出てくるほど様々な料理法が生み出された時代だが、その背景には、砂糖の流通も大きな役割を果たしたに違いない。(つづく)
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