写真はギリシャのパルテノン神殿の彫刻群。テレビで見慣れていたパルテノン神殿は1801年当時は今の神殿の柱だけが立っているというほど荒れ果てた状態ではなかったらしい。大英博物館に登録されたのが1802年、フランスの博物館(ルーブル?)に登録されたのが1803年、との説明が部屋の廊下に掲げられていた。
【パルテノン神殿の顔も】
そして「メレイデス・モニュメント」の横にこれまた超一級品の白大理石の彫刻群が並んでいました。これぞ、かの有名なギリシャのパルテノン神殿の一部。しかも、彫像を一つ持ってきたというものではないのです。たとえば日本の神社だと一番重要な拝殿の屋根瓦の下側にゴージャスに彫り込まれた龍や牡丹の花などの木彫群がありますが、その部分。パルテノン神殿の顔である、一番目立つところの彫刻をはぎ取ってきたのです。
ずいぶん荒っぽいことをしたわけで、現在、ギリシャから返還請求がなされています。大英博物館も展示の経緯や訴訟のことも包み隠すことなく、ちょっと目立たないところの壁にではありますが、ちゃんとパネルで展示していました。
植民地時代の世界各地のものの返還については欧州諸国で重要な課題となっています。2017年にフランスのマクロン大統領は「これ以上、アフリカの文化遺産を欧州の美術館・博物館の囚人のように収容しておくわけにはいかない」と宣言し、ナイジェリアにいくつか返還を始めました。ドイツもその動きに追随しました。大英博物館は今のところ、拒否。今後の動向は、世界中は注目することとなっています。
(参考:https://www.cnn.co.jp/style/arts/35148855.html)
しかしパルテノン神殿の彫刻群は一度見たら忘れられないほど魔力的でした。馬の頭一つとっても、リアリティに満ちた何かを訴えかける表情と深く自信に満ちた彫りすじ。人類史上でも最高部類に入る彫刻であることは素人目にもわかります。所有をめぐる欲と徳の戦い、これが生々しくも目の当たりにできる博物館でもあったのでした。
(つづく)
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