写真はギリシャ・ヘレニズム文化の間に鎮座する「メレイデス・モニュメント」。長い年月に耐えた独特のギリシャ文化の空気感を醸し出していた。
だが客は意外と注目せず、神殿を見るために設置されたベンチで休みながら、スマホの画面を見ている人が多かった。大英博物館の深部にあるので疲れを癒したい欲求に勝てないようだ。
【メソポタミアの間】
メソポタミア関連では楔形文字が刻まれた石板が重々しく展示されていました。解説を読むと
「まったく最近の若者は・・」
今も昔も変わらぬ言葉に笑えます。
アッシリアの彫像群は大きくて迫力満点。特に印象的だったのが、前回、写真で紹介した守護獣神像。どこかでみた、と思ったらドイツ・ベルリンのペルガモン博物館でした。きっと、このような像が神社の狛犬レベルでたくさんあるだろう、と軽く考えて通り過ぎたのですが、家に帰って調べるとベルリンのものはレプリカで大英博物館のものが本物だとわかりました。
かつて世界史で習ったイギリスの3C政策とドイツの3B政策。さまざまな収奪が交錯し、繰り広げられ、その終着点の一つが博物館の展示だったわけです。
〔3B政策とはドイツがベルリン、ビサンティウム(現イスタンブール)、バグダッドを直線で結び、イギリスは南アフリカのケープタウン、インドのカルカッタ、エジプトのカイロを結ぶ三角形地帯を植民地支配する帝国覇権争いのこと。〕
素直に見ただけではメソポタミアや古代ギリシャの遺跡はドイツのベルリンの博物館にはスケール感では及ばないと感じたのですが、それこそ、まんまとドイツ帝国の手のひらにのせられてしまったわけで、19世紀帝国主義のつばぜり合いの残滓だったのでした。
【ギリシャ神殿】
ギリシャヘ・レニズム文化の間でも同様のことがいえました。
一部屋まるごとギリシャ神殿。ほんものの遺跡が聳え立っている「メレイデス・モニュメント」。でも、デジャブかな? ベルリンにあるペルガモン博物館の「ゼウスの大祭壇」と見せ方がそっくり。スケールではベルリンの方が上なような。
そもそも小アジアのペルガモンで発掘したそれを見せるため作られたのがベルリンのペルガモン博物館なので、肝いり具合が半端ではない。広場のモザイクまでまるっと移築していて、足元に広がる色味のある大理石のモザイク絵画からから仰ぎ見る神殿は威圧感に満ちています。さらに客も気軽に神殿内に入り写真撮影も可能。しかも本物。
ですが、これも調べてみると、もともと大英博物館のほうが先にあったことがわかりました(開館は1759年。当初は蔵書コレクションだったが、大英帝国の躍進とともに世界各地の遺跡、遺物が運び込まれ1816年にこのギリシャ彫刻も加わった)
ペルガモン博物館は1907年ごろに計画され、ペルガモンの大祭壇の展示にこぎつけたのが1930年。遅れること1世紀。明らかにベルリン側がイギリスへの強烈な対抗心で作り上げたものだったわけです。
(つづく)
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