
写真は昆明の中心街裏にある景星花鳥市場の金魚売り場。この市場では、蘭の苗や鉢の他、翡翠などの雲南各地の特産品がずらりと並ぶ。商品はピンキリなので目利きが必要。
【雲南、夏旅の報告】
8月7日から11日間、上海経由で雲南省の省都・昆明とそこから200キロ南下した古城・建水、石屏にいってきました。建水と石屏は、雲南省では清の時代には科挙の合格者を頻繁に出す「文化と商業の街」として栄え、また数々の雲南特産グルメの発祥地として知られています。なかでも豆腐の産地として名を轟かせていることから、ぜひ当地の豆腐屋を訪ねたいとの熱い思いで出掛けました。そのことは、後に詳しく報告したいとおもいます。
さて、昆明は2年前に比べるとますますマンションの建設ラッシュに拍車がかかり、夕方にはあの、懐かしい(?)クラッとくるような車の排気ガスが充満し、目に突き刺さるようでした。今回、上海でもひどい渋滞を経験しましたが、昆明ほど空気はひどくなりません。無鉛ガソリンの規制が上海では徹底遵守されていることも予想されますが、以前、昆明を訪れた日本の農・人類学者が酒の席で「昆明は高地やから、ガソリンが不完全燃焼起こして、空気悪いんとちゃうか。」と言っていたことが、一理あるのかもしれません。
他にも通い慣れたスーパーストアの看板がかけかえられていたり、2005年12月のセールのポスターのまま、「差し押さえ」の公告が寂しく貼られたまま、いまだ主の定まらない建物もあったりしました。それは私の住んでいた2004年の冬に、そのスーパーが社運をかけて昆明の目抜き通りに華々しくオープンした総合百貨店でした。雲南でうまくいっていたため、北京などにも進出し、雲南の誇る10社のうちの一つに数えられていたのですが、関連会社の大連の冷蔵加工倉庫の支払いが滞ったことが原因で、一気につまづき、順調だったストア経営も差し押さえの対象となって倒産してしまったのでした。利益の薄いスーパーストアの経営では、運転資金が少しでも滞ると、立ち直れないほどの打撃となるようです。おそらく中国では北京オリンピックを待たずしてバブルの崩壊が始まっているのかもしれません。
【懐かしい人たち】
でも、住んでいた宿舎では、私を見るとすぐに「元気かい? どうしたの?」と喜ぶ守衛さんに会えたり、娘が頻繁に通った子供を遊ばせる公園「方円武園」では、いつも子供の遊具を管理するおばさんに「しばらくぶりだねえ」と声を掛けられたりと、うれしい再会もありました。一見、シャイでクールに見える昆明の人々の情は意外と濃いようです。
今回行って、改めて気づいたことがあります。今から20年近く前、1988年に中国(北京、上海、蘇州、南京。偶然にも、私が上海から蘇州へ移動する列車の次の時刻の同じ路線で列車事故にあった高知学芸高校の修学旅行グループには上海でよく遭遇した。帰国してから、その事件を知り愕然。つまり中国ではまったく報道されていなかった)を始めて訪れたときに感じた「得体の知れない活気があるけど、歴史の重さに押しつぶされそうな人々」だと感じた影が、雲南では一年を通して、まったく感じられなかったこと。
今夏は上海で2泊したのですが、今や近代高層建築の見本市のような街となってはいても、例えばフランス租界地だった衡山路には、今なお往時を忍ばせる建物が立ち並び、建てこわし中のビルの壁には数十年ぶりに日の目をみたであろう「1948年。ここに到達」などという荒々しいペンキ文字がふと、出てきたりして、やはり歴史の亡霊のようなものがまとわりついているような気がしました。
軽やかな、いい意味でも悪い意味でも歴史の重みを纏わない街。それが昆明であり、雲南なのでしょう。それは文字文化が未発達な少数民族が暮らすところだったことと関係があるのかもしれません。文字文化、いやでも記憶を残そうとする文化の意味を考えさせられました。
さて、雲南で仲良くなったお母さん方とも会ったのですが、幼児教育は、ますます過熱の一途を辿っていました。「鉛汚染」の章を後に、最新報告を交えて、まずお届けしたいと思います。どうぞ、今後ともお付き合いください。
【雲南、夏旅の報告】
8月7日から11日間、上海経由で雲南省の省都・昆明とそこから200キロ南下した古城・建水、石屏にいってきました。建水と石屏は、雲南省では清の時代には科挙の合格者を頻繁に出す「文化と商業の街」として栄え、また数々の雲南特産グルメの発祥地として知られています。なかでも豆腐の産地として名を轟かせていることから、ぜひ当地の豆腐屋を訪ねたいとの熱い思いで出掛けました。そのことは、後に詳しく報告したいとおもいます。
さて、昆明は2年前に比べるとますますマンションの建設ラッシュに拍車がかかり、夕方にはあの、懐かしい(?)クラッとくるような車の排気ガスが充満し、目に突き刺さるようでした。今回、上海でもひどい渋滞を経験しましたが、昆明ほど空気はひどくなりません。無鉛ガソリンの規制が上海では徹底遵守されていることも予想されますが、以前、昆明を訪れた日本の農・人類学者が酒の席で「昆明は高地やから、ガソリンが不完全燃焼起こして、空気悪いんとちゃうか。」と言っていたことが、一理あるのかもしれません。
他にも通い慣れたスーパーストアの看板がかけかえられていたり、2005年12月のセールのポスターのまま、「差し押さえ」の公告が寂しく貼られたまま、いまだ主の定まらない建物もあったりしました。それは私の住んでいた2004年の冬に、そのスーパーが社運をかけて昆明の目抜き通りに華々しくオープンした総合百貨店でした。雲南でうまくいっていたため、北京などにも進出し、雲南の誇る10社のうちの一つに数えられていたのですが、関連会社の大連の冷蔵加工倉庫の支払いが滞ったことが原因で、一気につまづき、順調だったストア経営も差し押さえの対象となって倒産してしまったのでした。利益の薄いスーパーストアの経営では、運転資金が少しでも滞ると、立ち直れないほどの打撃となるようです。おそらく中国では北京オリンピックを待たずしてバブルの崩壊が始まっているのかもしれません。
【懐かしい人たち】
でも、住んでいた宿舎では、私を見るとすぐに「元気かい? どうしたの?」と喜ぶ守衛さんに会えたり、娘が頻繁に通った子供を遊ばせる公園「方円武園」では、いつも子供の遊具を管理するおばさんに「しばらくぶりだねえ」と声を掛けられたりと、うれしい再会もありました。一見、シャイでクールに見える昆明の人々の情は意外と濃いようです。
今回行って、改めて気づいたことがあります。今から20年近く前、1988年に中国(北京、上海、蘇州、南京。偶然にも、私が上海から蘇州へ移動する列車の次の時刻の同じ路線で列車事故にあった高知学芸高校の修学旅行グループには上海でよく遭遇した。帰国してから、その事件を知り愕然。つまり中国ではまったく報道されていなかった)を始めて訪れたときに感じた「得体の知れない活気があるけど、歴史の重さに押しつぶされそうな人々」だと感じた影が、雲南では一年を通して、まったく感じられなかったこと。
今夏は上海で2泊したのですが、今や近代高層建築の見本市のような街となってはいても、例えばフランス租界地だった衡山路には、今なお往時を忍ばせる建物が立ち並び、建てこわし中のビルの壁には数十年ぶりに日の目をみたであろう「1948年。ここに到達」などという荒々しいペンキ文字がふと、出てきたりして、やはり歴史の亡霊のようなものがまとわりついているような気がしました。
軽やかな、いい意味でも悪い意味でも歴史の重みを纏わない街。それが昆明であり、雲南なのでしょう。それは文字文化が未発達な少数民族が暮らすところだったことと関係があるのかもしれません。文字文化、いやでも記憶を残そうとする文化の意味を考えさせられました。
さて、雲南で仲良くなったお母さん方とも会ったのですが、幼児教育は、ますます過熱の一途を辿っていました。「鉛汚染」の章を後に、最新報告を交えて、まずお届けしたいと思います。どうぞ、今後ともお付き合いください。
目に刺さるような、排気ガスの充満した空気・・。すごいですねえ。私が子供の頃は、光化学スモッグ注意報(こんな名前でしたっけ?)というものが発令されると、外で遊べなくなったことを思い出しました。歳がばれそうですが・・。
「得体の知れない活気があるけど、歴史の重さに押しつぶされそうな人々だと感じた影が、雲南では感じられなかった」など、何度も訪れているからこそ気づくことなんでしょうね。そういう印象って、言葉にするのがなかなか難しいと思うので・・。
今後の雲南特産グルメ編も楽しみにしています。
さて、昆明の空気は悪いけど、光化学スモッグ注意報は存在しませんでした。本当はあるのでしょうが。それよりもひどいのが重慶などの工業都市です。冬場は寒さのために、中国東北地方では霧の街となるのですが、場所によっては、それが化学的なスモッグで病院が点滴の人々で溢れるのです。そういうときの昆明発の新聞のコメントが「我が省でも今朝、霧が発生したが、この霧は清浄なもの。ご安心を」というもの。ほんと、やばいよねえ。
雲南では昆明よりも空気がひどかったのが標高4000メートルクラスにあるシャングリラ市でした。最近では日本からも観光客が押し寄せてますが、市内の都市部の空気はすごかったです。「理想郷シャングリラ」の名が泣きます。やっぱりガソリンの不完全燃焼も関係あるのかもしれません。
私も数年前に雲南省を旅行しました。
花鳥市場にも行きました。
旅行者の目ではない、雲南に暮らしている方ならではの内容、これからも楽しみにしています。
不思議な曲がりくねった木々の盆栽(超巨大なものもある)や数々の鳥、なかには鳥インフルエンザの感染源と一時、疑われたハクビシンも売買されてました。本当は売ってはいけないものもあるので、時折、警察がきては新聞記事を賑わせています。