2000年2月、遂に利権契約終結
27日に期限を迎える利権契約の延長に一縷の望みを賭けて現地リヤドに赴く。そのようなメッセージを残して小長社長は25日に日本を発った。前月の1月に深谷通産大臣がサウジアラビアを訪問し、鉱山鉄道計画を正式に拒否した時点でアラビア石油が利権を失うことは冷厳とした事実であり、社長の現地出張は内外に対するポーズでしかなかった。
そして27日は過ぎた。帰国した社長は翌28日午前9時、記者会見でサウジアラビアとの利権契約が終了したことを発表、今後は2003年1月まで残されているクウェイトとの利権契約に基づきカフジでの操業を続けると述べた。プレスリリースの資料は同時刻に全社員にも配られた。
この連載ではこれまでサウジアラビアとの利権契約だけに触れてきたので、ここで少し説明が必要であろう。そもそもカフジ油田はサウジアラビアとクウェイトが共同統治する「中立地帯」の海上部分にあった。石油が発見される以前、中立地帯は国境のフェンスもない無人の砂漠でベドウィンがラクダや羊の群れと共にわずかな草を求めて遊牧生活を送る土地であった。しかし中立地帯南側のサウジアラビア及び北側のクウェイトに大規模な油田が発見されたため、両国政府が共有する形で中立地帯沖合の開発利権がアラビア石油に与えられることになった。アラビア石油は両国政府とそれぞれ別々の契約を結んだのであるが、契約書の期限が両国で異なった結果、サウジアラビアとの契約期限は2000年2月、クウェイトとの期限は2003年1月となったのである。アラビア石油がサウジアラビアとの交渉に全力を注いだのは契約期限が早く到来するからであり、またクウェイト自身がサウジアラビアと会社の契約延長交渉を見守る立場を取ったからでもある。
プレスリリースを一読した社員の頭を最初にかすめたのは、会社は、そして自分たちの生活はこの先どうなるのかと言う不安感であった。確かにアラビア石油創立の時からいずれこの日が来ることを覚悟しておくべきであったと言われればその通りなのである。1990年代後半になると若い有能な社員が五月雨式に辞めていった。彼らは自らの力で運命を切り開いていったのである。しかし40代、50代の社員の殆どは最期まで会社に残った。中高年には転職の道は険しく、まして世間の会社に比べ楽な仕事で高給を食む彼らは会社にしがみつく以外に考えが及ばなかった。その多くは利権契約が延長されるに違いないと根拠のない楽観論を信じ込み、或いは信じようと自らに言い聞かせた。中には日本に不可欠な石油の採掘利権を持つアラビア石油だから最後は日本政府が何とかしてくれるはずだ、アラビア石油は普通の民間企業とは違うのだ、と言いふらす者もいた。
中高年社員の期待は見事に裏切られた。この日、60歳間近のある出向社員はプレスリリースを見た途端、顔面を引きつらせ突然机の中のものを段ボール箱に詰め込み始めた。戻れるはずもない本社に戻るつもりなのであろうか。見ていた女子社員たちはあっけにとられていた。またつい先日まで自分より年上の子会社生え抜きの社員に見下したような態度をとっていた若い出向者は茫然自失の体であった。
その日の夕刻、本社で社長が事情を説明するから全員集合せよ、との指示を受け出向先から駆け付けた。机を片隅に移動した総務部の広い事務室内に社長以下の在京役員とそれを取り囲むように多数の社員がいた。筆者自身を含め社員の誰しもが硬い表情であった。社長はまず社員にお詫びすると深々と頭を下げた後説明したが、それはプレスリリースの内容を越えるものではなかった。社長の説明に続いて人事担当取締役が経営合理化は避けられずその詳細は追って知らせる、と捕捉した。質疑応答に移ると途端に社員から次々と経営陣の無為無策を非難する声があがったのは当然である。社長一人が受け答えし、その他の重役は一言も発せずただ頭を下げるだけであった。契約延長交渉の最終段階は日本政府(通産省)とサウジアラビア政府の直接交渉となり、そこに同席したのは社長だけであるから、他の役員たちは答えようがないのである。しかし彼らはつんぼ桟敷に置かれていた訳ではなく重役会で逐一承知していたはずである。それにもかかわらず交渉に積極的な役割を果たすつもりのなかった彼らの姿はまさにサラリーマン重役そのものであり、彼らは所詮無力だったとしか言いようがない。
説明会に出席した社員の大半は経営陣を糾弾する仲間と社長のやりとりを不安げな表情で聞いているだけであり発言者の数はさほど多くなかった。黙り込んでいる社員も多分言いたいことが山ほどあり喉元まで出かかっていたに相違ない。筆者自身もそのような一人であったがそれをどのように表現すればよいのか気持ちの整理がつかなかったのである。一通りの発言が終わるとやがてその場を沈黙が支配した。そして皆の心の中に深い喪失感が漂い始めた。社員全員が身も心も居場所のないデラシネ(根なし草)になってしまったのである。
当日の夕刊各紙は利権失効のニュースを大きく取り上げた。因みに日本経済新聞は1面トップから3面まで詳細な記事で埋まっていた。その見出しを列挙すると以下のようなものであった。
・アラ石の採掘権失効、事業規模半減、
・アラ石社長、「合理化、合併も視野。サウジ側の鉄道建設の期待大きすぎた」
・サウジ、油田支配を誇示
・コスト問われた自主開発、エネルギー政策は市場重視型に:深谷通産大臣
(続く)
(追記)本シリーズ(1)~(30)は下記で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0278BankaAoc.pdf
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