石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

(連載)「挽歌・アラビア石油(私の追想録)」(35完)

2014-02-23 | 今週のエネルギー関連新聞発表

エピローグ
 ほぼ1年にわたって書き継いだ追想録も今回が最期である。最終回は2000年以後のアラビア石油と筆者自身のことにふれさせていただく。

 2000年2月にサウジアラビアとの利権契約が終結し、アラビア石油はクウェイトとの契約のみによる片肺操業となった。両国政府の間で共同操業会社が設立され、アラビア石油はクウェイト政府の操業代行者となったのである。現地従業員はそっくり共同操業会社に移籍し、また国営石油会社サウジアラムコから幹部社員が乗り込んできた。日本人社員は操業現場を熟知していることもありそのまま業務を継続したが、現地人の指導育成に重点が置かれるようになった。 そして2003年1月にはクウェイトとの契約も終結した。両国政府が操業に不可欠とみなす日本人数十名をカフジに派遣する人材派遣会社という形だけにアラビア石油はなったのである。

 2000年時点で人員を330人から180人体制に圧縮したものの、クウェイトとの利権が切れるとカフジへの人員派遣も急速に細り、アラビア石油は会社としての体をなさなくなった。まさに2000年以降のアラビア石油はフェードアウトの歴史をたどったのである。

 独立企業として存立することは困難であるため関連会社の富士石油を巻き込みホールディングカンパニーを設立し漸く上場を維持した。それも時間の問題であり最期には富士石油が上場企業として残った。共同石油(後のジャパンエナジー、現JX日鉱日石エネルギー)グループの精製会社として厳しい環境を生き残ってきた富士石油は、1980年代前後に石油業界再編の波にもまれながらも独立を維持してきた。そこには親会社としてのアラビア石油の意向が強く反映されていたのであるが、今や両者の立場は逆転、ホールディングカンパニーの設立は、子会社の親会社救済と言う色合いが濃かった。

 事業基盤が全くなくなった石油開発会社アラビア石油に残された道はフェードアウトと言う静かなる退場しかなかった。こうして昨年(2013年)4月石油開発技術者を中心とする残った社員全員がJX日鉱日石エネルギーに引き取られた。ここにアラビア石油の歴史は完全に幕を閉じたのであった。

 筆者自身のことを語ろう。2000年の人員合理化を契機に筆者は当時出向の身分で働いていた中東協力センターのプロパー社員に転籍した。毎年契約を更新し60歳までは面倒をみると言う約束であった。当時の日本は未だ本格的に景気が回復していなかったが、一方世界では中国、インドなどの新興国家が高度成長の波に乗り石油の需要が増加、その結果原油価格が上昇し中東産油国では新たなオイルブームが出現していた。日本のメーカー、商社、ゼネコンなどが中東湾岸諸国にビジネスチャンスを求め、中東協力センターもその対応に追われた。監督官庁である経済産業省は日本企業が中東産油国に企業進出すれば相手国に喜ばれ、それが石油の安定確保につながるとして中東協力センターを積極的に支援した。この構図はアラビア石油時代と本質的に変わらないが、今度は支援の対象をサウジアラビアに限らずUAEやイラン、イラクなどを含む中東産油国全域に広げたのである。

 プロパー社員になったと言う気負いもあり席の温まる暇もないほど内外を飛び歩いた。同僚と共に国内各地に出かけて民間企業ミッションを立ち上げ、彼らを率いて中東に足を運ぶ日々が続いた。時には一つのミッションを終えて帰国後一週間も経たないうちに別のミッションと共に中東へ出かけることも一度や二度ではなかった。

 このような日々の連続で体が悲鳴をあげていたのであろう。ある日、通勤途上の駅の階段で突然めまいに襲われた。病院で検査すると狭心症と診断され1ヶ月半近くの入院を余儀なくされた。それ以来海外出張は他の同僚に頼むこととなった。

 2003年11月に満60歳に達し、翌年3月末をもって退職した。上司からはアドバイザーとしてもう少し働かないか、と誘われたが健康に不安があり、またそのために仲間に迷惑をかけると考え40年近くにわたるサラリーマン生活に終止符を打つことにした。

 退職後の生活についてはかねてから自分なりの計画を持っていた。インターネットで湾岸諸国に関するブログを立ち上げこれまでの経験を加味したビジネス情報を発信することである。「アラビア半島定点観測」と題するブログを2005年1月に立ちあげ、インターネットで現地の新聞をモニターしビジネスに役立ちそうな情報を流した。時あたかもドバイを中心として湾岸諸国がオイルブームに沸き、そのため東洋経済など多くの週刊誌から取材を受け紙面で名前が紹介された。

 それを見た新潮社からアラブに関する新書を出さないか、と誘いを受けた。誘いに乗り2008年に「アラブの大富豪」と言うタイトルで産油国の王家及びビジネス全般について本を書いた。出版後しばらくは全国各地の商工会議所などから声がかかりいくつかの講演をこなした。しかし湾岸諸国も景気の波は激しく2008年秋のリーマン・ショック、そして翌年にはドバイ・ショックが発生、日本企業の中東熱も冷めた。

 それでも「アラビア半島定点観測」は今も続けている。午前中にブログで中東のビジネス関連ニュースを流す作業を日課とし、午後は近くの多摩川を散歩したり図書館に立ち寄って本や雑誌を拾い読みする毎日である。友人知人にこの話をすると必ずと言ってよいほど「悠々自適だね」と言われる。その時は「悠々ではないが、自適だよ」と答えることにしている。アラビア石油が崩壊したため企業年金は無く、公的年金と現役時代の蓄えを取り崩す日々の生活は必ずしも「悠々」とは言えない。しかし30年近い中東と石油の経験を踏まえた情報をブログで発信することが今ではライフワークとなり、その毎日は「自適」なのである。ある中東ビジネス専門家がその著書の中で筆者のことを「中東情報の伝道師」と紹介してくれた。筆者はその呼び名が気に入っており、これからも「伝道師」としてできるだけ長く情報を発信し続けるつもりである。

(完)

(追記)本連載は下記で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0278BankaAoc.pdf 
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
   Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
   E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

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五大国際石油企業2013年度業績速報シリーズ(11)6カ年石油・ガス生産量の比較

2014-02-23 | 海外・国内石油企業の業績

(注)本シリーズは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。

http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0298FiveMajors2013.pdf

 

III. 6カ年(2008-2013年)業績推移の比較(続き)
5.石油及び天然ガス生産量
(1)石油生産量
(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/2-D-4-10.pdf 参照)
 5社の2008年から2013年までの石油生産量の推移を見ると、6年間を通じてExxonMobilは他の4社を大きく引き離している。同社の生産量の推移を見ると、2,405千B/D(08年)→2,387千B/D(09年) →2,422千B/D(10年) →2,312千B/D(11年) →2,185千B/D(12年) →2,202千B/D(13年)と常に2百万B/D以上を維持しており、他の4社はいずれも百万B/D台である。

 ExxonMobil以外の2008年の生産量はShell1,771千B/D、Chevron1,649千B/D、BP1,575千B/D、Total1,456千B/Dで4社間に大きな差は無かったが、その後Chevronが生産量を増やす一方BPは2009年以降急激に減少、Shell、Totalも毎年漸減し、2013年の4社の生産量はChevron1,731千B/D、Shell1,541千B/Dに対しBP及びTotalはそれぞれ1,176千B/D、1,167千B/Dに落ち込んでいる。

 なお2008年の生産量を100とした場合、2013年の各社生産量はExxonMobil92、Chevron105、Shell87、BP75、Total80である。5社の中で2008年の生産水準を上回っているのはChevron1社のみであり、他の4社は生産量の低減に歯止めがかからないようである。

(2)天然ガス生産量
(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/2-D-4-11.pdf 参照)
 2008年から2013年までの天然ガスの生産量は各社で明暗が分かれている。2008年の生産量はExxonMobil、Shell及びBPが80~90億立法フィート/日(以下cfd)であり、TotalとChevronは50億cfd前後であった。その後ExxonMobilの生産量は急激に増加、またShell及びTotalも漸増傾向を示したのに対し、BPは大幅に減少、Chevronは横ばいにとどまっている。

 その結果、2013年の各社の生産量はExxonMobil118億cfd、Shell96億cfd、BP63億cfd、Total62億cfd、Chevron52億cfdとなり、トップのExxonMobilとChevronの格差は2倍以上に開いている。

(3)石油・天然ガス合計生産量(石油換算)
(図http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/2-D-4-12.pdf参照)
 石油と天然ガスの合計生産量(石油換算)を見ると、2008年にはExxonMobil(3,921千B/D)とBP(3,833千B/D)が並び、これにShellが3,248千B/Dで続き、Chevron(2,530千B/D)とTotal(2,341千B/D)は2百万B/D台であった。

 2013年までの6年間でBPは2百万B/D前半まで急減、その他4社はほぼ横ばい状態である。上記(1)石油生産量及び(2)天然ガス生産量の推移からもわかるとおり、BPは石油、天然ガスともに激減しており、Chevronは石油、天然ガスの双方が増加している。またExxonMobil、Shell、Totalの3社は石油の落ち込みを天然ガスの増加でカバーして横ばいを維持している状況である。

(完)

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 前田 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
   Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
   E-mail; maedat@r6.dion.ne.jp

 

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