デラシネたちの運命
利権契約終結と言う事実を突き付けられて社員は精神的な「デラシネ(根なし草)」状態に陥った。そして3月に入ると次には現実としてのデラシネの運命が待っていた。会社側から希望退職制度を導入し日本人社員をほぼ半減すると言う衝撃的な経営合理化策が示されたのである。組織の統廃合、海外事務所全廃、取締役数の減少、経費の60%削減などの合理化案も含まれていたが、一般社員にとっては現在の社員330人を180人体制とする人員削減案こそ最大の問題であった。将来にはさらに苛酷な現実が待っている。3年後にクウェイトとの利権契約が満了になることである。クウェイトはこれまでサウジアラビアと会社(つまりは日本政府)との交渉を見守るとの姿勢であったが、サウジアラビアが契約を終結した以上、クウェイト側も同じ対応を取ることは目に見えている。石油産業の国有化に対する姿勢は歴史的にもクウェイトの方が強硬であったことからも契約の延長は望み薄であった。そうなれば2003年以降、会社は存立基盤を完全に失うことになる(実際、3年後にはその通りになったのであるが)。
会社側は希望退職すれば若干の割増退職金が支払われるが、希望退職に応募せず残留を求めたとしても残留させるか否かは会社が判断すると断言した。また残留した場合も今後の業績次第では退職金の支払いすら危うくなる可能性をほのめかした。つまり全社員に希望退職を勧めた訳である。ただ会社としても180人体制を確保する必要があり、退職届には再雇用を希望するか否かの選択肢が残されていた。人事部は、再雇用を希望した者はできる限りその要望に配慮する、と口頭で付け加えた。
会社側からここまで言われると希望退職届を出す以外選択肢がないことは明らかであった。退職届の提出までわずか2週間の期限しかなかった。330人それぞれがその2週間の間でどのように決断したのか、330通りの人生模様があったはずである。そして2週間後全社員が退職届を提出、そのうちの大半は再雇用を希望したようである。330人のアラビア石油社員はともかくも退職金を確保する道を選んだ。
筆者の場合は既に書いたとおり中途採用で入社した当時は55歳定年制だったため1998年に退職金を受け取っており60歳まで雇用が継続する形であった。問題は60歳の年金支給年齢に達する2003年までの3年間をどうするかであった。人事部にそれとなく打診すると、現在の出向を継続する形での再雇用がかなえられそうであった。ただ再雇用は年俸制の1年契約であり給与は大幅にダウンする。出向先の中東協力センターではハードだがやりがいのある仕事を任されていたので、同じ程度の条件であればむしろ転籍したいと考えた。幸い上司が事情を了解し筆者は転籍することができた。当時の出向先は女性事務員以外男性職員はすべて民間企業からの出向者だけで構成されていたので筆者は唯一の男性プロパー職員となったのである。
若い社員たちは会社に見切りをつけて転職の道を選んだ。彼らはむしろ海外進出を強化しようとする企業から引っ張りだこであった。彼らは入社後徹底した英語教育を受けており、語学力の程度を示すTOEFLでも高い成績を持っていたからである。人事部は彼ら若者の再就職先の開拓に奔走した。そこでは元通産省事務次官であった小長社長の政官財界にわたる幅広い人脈が活きたようである。
経営陣のふがいなさと今回の合理化策に慨嘆或いは憤激して再雇用を潔しとしない男性社員もかなりいた。彼らに対して会社側は専門のリクルート企業と契約、そこでは履歴書の書き方から面接のノウ・ハウが教え込まれ、実際の入社面接を斡旋された。しかし彼らは既に中高年に達しており、また実務経験が募集企業のニーズとずれていたため面接に合格するのは至難の技であった。結局彼らの多くは友人知己を頼って再就職していった。
最も辛酸をなめたのは比較的年齢の高い女性の事務職員たちであった。アラビア石油は元々男尊女卑の気風が強く、女性社員はお茶くみ、コピーなど単純な事務作業しかやらせてもらえず、英語教育などの教育訓練を受ける機会すら与えられていなかったため専門職として世間に通用する能力を有する者はいなかった。汎用性がある経理の経験は転職に有利と言われるが、アラビア石油の経理は独特のシステムであり簿記、会計等が全く異なるのである。彼女たちは会社指定のリクルート企業でカウンセリングを受けたが、新たな職場は全く見つからなかった。結局彼女たちは再就職をあきらめ、老父母と同居しその世話をすることになったようである。
早々と転職できた若手社員、会社側から内々に慰留され再雇用された者或いは筆者のように出向先に転籍できた者は比較的幸運だったのかもしれない。再雇用に応募せず就職探しに翻弄された彼ら或いは彼女たちの会社に対する恨みは小さくなかったであろう。いずれにしても330人の間に大きな亀裂が生じたのは無理もない。そのことは毎年のOB会の出席者の顔ぶれに如実に表れたのである。OB会の案内は全員に送られたが一部のOBは未だに無視するか欠席を続けている。
2000年に偶々人事課に居合わせた社員の立場は複雑だったと思われる。最も強く振り回されたのは彼ら自身であろう。330人の社員たちに対して彼らは苦しい胸の内を秘めて事務的に対処しなければならなかった。自らの再就職は後回しにして彼らは他の社員の身の振り方に心を砕いた。そして彼らは最期に会社を去り、沈黙を守ったままOB会にも顔を見せない。彼らに頭が下がる思いである。
(続く)
(追記)本シリーズ(1)~(30)は下記で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0278BankaAoc.pdf
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