石油と中東

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(再録)現代中東の王家シリーズ:サウジアラビア・サウド家(3)

2018-12-06 | 中東諸国の動向

 

初出:2007.6.27

再録:2018.12.6

 

(3)アラビア半島国盗り物語「サウジアラビア王国」の樹立

 クウェイトでの亡命生活中、アブドルアジズはサウド家再興の夢を一時たりとも忘れたことは無かった。21歳になった1901年11月、機が熟したと判断した彼はわずか40人の部下を引き連れて数百キロの砂漠を横断、翌年1月リヤドに到着すると夜陰にまぎれて砦を急襲し、ついにラシード家からリヤドを奪還したのである。このアブドルアジズのリヤド城奪還物語はサウジアラビアでは英雄譚として語り継がれ、誰一人知らない者がいないほど有名である。そしてここから彼の「アラビア半島国盗り物語」が始まる。

 1904年春までにアブドルアジズは半島中央部のネジド地方を制圧、ラシード家を北部に追い払った。そして彼は1913年には当時トルコの支配下にあった半島東部のアル・ハサ地方に侵攻し、これを攻略した。アル・ハサは砂漠の遊牧民ベドウィンが羊を放牧するだけの不毛の地であったが、後年その地下に巨大油田が次々と発見され、サウド家及び国民に莫大な富をもたらすことになる。

サウド家の版図が広がるとともにアブドルアジズは、ある時は彼に従い別な時には離反する気まぐれな遊牧民ベドウィンに悩まされた。そこで彼はオアシスに入植地を建設して遊牧民を定着させることにした。入植者たちはサラフィー(ワッハーブ)運動に共鳴する同胞として「イフワーン(同胞団)」と名付けられた[1]。入植仲間としての同朋意識と厳しい戒律のもとでの宗教的一体感を持ったイフワーンは、アブドルアジズの軍事作戦の中核となりアラビア半島統一の大きな力となった。それは第一次サウド王朝でサウド家とワッハーブ家の二人のムハンマドが成し遂げた快挙の再現であり、世俗勢力のサウド家と宗教勢力のイフワーンが結束した成果は、第一次王朝の数倍に匹敵する力を発揮した。ただし、後に国土が平定されると、イフワーンはサラフィー運動に基づく理想の宗教国家を目指してサウド家と対立するようになった。結局アブドルアジズはイフワーン軍団を粉砕して、1932年に世俗国家「サウジアラビア王国」を建国することになるのである。

アブドルアジズが1913年にアル・ハサ地方を征圧した翌年、第一次大戦が勃発した。中東ではオスマン帝国とドイツが組んで英国・フランス連合と対決する図式となり、両陣営は各地の有力部族を味方に引き込んで戦局の主導権を握ろうとした。アラビア半島中央部のヒジャズではラシード家とサウド家がトルコと英国それぞれの陣営に入ったことは既に述べた。そしてアラビア半島西部のヒジャズ地方では、英国はメッカの太守ハシミテ家を支援してメッカからアカバ湾に至る各地でオスマン帝国に対するゲリラ活動を行わせた。この時英国からハシミテ家に送り込まれた軍事顧問が有名な「アラビアのロレンス」である。

第一次大戦は1918年に終結し、勝った英国は中東全域での覇権を確立した。英国側についたサウド家はその後もアラビア半島各地の部族を平定し、1921年にはついに宿敵ラシード家を降伏させた。同じく英国側についたハシミテ家のフセインもヒジャズ王国を建国し、さらに息子達をヨルダン及びイラクの国王に据え、大アラブ王国を目論んだ。しかしヒジャズ王国は1925年にアブドルアジズとイフワーン軍団に滅ぼされた。またハーシム家のイラク王国もその後のイラク革命で国王アリ及び一族全員が殺され、今ではヨルダン・ハシミテ王国だけが存続している。サウジアラビアとヨルダンの関係は現在でも微妙だと言われ、特にヨルダン側はサウジアラビアに対して複雑な感情を抱いているようである。国は貧しくとも高貴な血統の王国であると自負するヨルダンには、ベドウィンの成り上がり者で石油成金のサウジアラビアに対するプライドとコンプレックスの感情が交錯しているのであろうか。

ともかくこうしてサウド家はアラビア半島全土を制圧した。そして1929年には先にも述べたイフワーン反乱軍との戦闘に圧勝し名実共にアラビア半島の覇者となった。アブドルアジズが「サウジアラビア王国」即ち「サウド家が支配するアラビア王国」の樹立を宣言し、初代国王に即位したのは1932年9月のことであった。

(続く)

 

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荒葉一也

Arehakazuya1@gmail.com

 

 

 

(再録注記)

 



[1] 2011年の「アラブの春」でムスリム同胞団はエジプトの政権を奪取するなど現在もアラブ世界で大きな影響力を保っているが、サウジアラビアの「イフワーン(同胞団)」とは別個のものである。但し両者は宗教的一体感を根本思想とする点においてほぼ同種と考えて間違いないであろう。

 

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