石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(49)

2020-10-21 | その他
(英語版)
(アラビア語版)

第6章:現代イスラームテロの系譜

荒葉 一也
E-mail: areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

6.もう沢山!長期独裁に倦んだ大衆
中東と北アフリカはMENAと総称されるが、このMENA地域が政変の少ない地域であったと言えば奇妙に聞こえるかもしれない。2011年のいわゆる「アラブの春」以来、この地域は激しい政治変動の嵐に見舞われている。しかし1973年の第4次中東戦争以降「アラブの春」までの40年近くMENA各国の政治は安定し、政変どころか政権交代さえなかった国が少なくない。各国で長期独裁政権が続いたのである。長期独裁政権はエジプト、シリアなどの世俗軍事政権だけではない。湾岸諸国を含めMENAに今なお残る君主制国家を含めてのことである。

MENA諸国はトルコ、イラン及びイスラエルを除きアラブ民族の国家であり、同時にトルコ、イランを含めムスリム(イスラーム教徒)が多数を占める国家群である。長期独裁政権を生む素地がアラブ民族と言う血(DNA)の絆とイスラームという信仰(心)の絆のいずれにあるのか、或いは両者があいまって政治的安定と言う名の長期独裁政権を生んで育てたのか。答えは簡単に出ないが、西欧諸国と比べた場合、どうしてもこの二つの要素が浮かび上がるのである。

そしてもう一つ、これらMENA諸国の政治的安定が各国の経済的繁栄や科学技術の進歩をもたらさなかったことも指摘できる(石油ブームで繁栄を勝ち得た湾岸諸国は例外)。似たような強権体制でありながらタイ、インドネシアなどの東南アジア各国が経済的繁栄を享受したのとは異なった道を歩んだのである。

MENAで最初に独裁者の地位を得たのはリビアのカダフィであった。カダフィのことは第4章でもふれたが、彼は1969年にクーデタで当時の国王を倒して最高指導者となった。若干27歳であった。彼はそれから42年間もその地位を保ち、2011年に内戦で69歳の人生を終えた。


彼の後に現れたのがシリアのハフィーズ・アサドである。シーア派の一派とされるシリア北部のアラウィー派の少数部族出身のアサドは空軍将校を経てバース党内で頭角を現した。1971年に大統領に選出されたハフィーズは長期政権体制を確立し次男のバシャール・アサドを後継者に指名して2000年に心臓まひで死亡した。バシャール・アサドはシリアが内戦状態にある現在も同国大統領の座にある。親子で通算するとすでに半世紀近くが経過している。

このほか1970年代に一国のトップに駆け上り、その後長期間にわたり独裁を続けた人物にイエメンの故サーレハ大統領とイラクの故フセイン大統領がいる。サーレハは陸軍総司令官を経て36歳の時の1978年に統一前の北イエメン大統領に就任、南北統一後も大統領の座を守り2011年のアラブの春で失脚した。彼は下野した後も反政府のフーシ派と連合勢力を結成、首都サナアを占拠して復活を狙っていたが、2017年にフーシ派によって暗殺された。2011年までの大統領在任期間は33年に達する。そしてイラクのサダム・フセインはバース党幹部から1979年にイラク大統領に就任した。その後、イラン・イラク戦争さらに湾岸戦争をしぶとく生き延びたが、2003年のイラク戦争で失脚、裁判によって処刑された。彼の大統領在任期間は24年間であった。

北アフリカ諸国では上記のリビア・カダフィのほか、エジプトのムバラク、チュニジアのベン・アリ、スーダンのバシールがそれぞれ長期独裁政権を保持した。ムバラクは空軍士官として4度の中東戦争を経てサダト政権下で副大統領に任命され、サダトが暗殺された1981年に大統領に就任した。そして2011年のアラブの春で失脚するまで30年間にわたり大統領を務めたのである。チュニジアのベン・アリは1987年に大統領に就任した後、「アラブの春」で最初のやり玉にあげられ2011年に失脚、サウジアラビアに亡命した(2019年没)。中東の独裁者として最後に登場するのがスーダンのバシールであるが、彼はカイロの士官学校を卒業後、軍隊組織で昇進を重ね1989年の軍事クーデタで権力を掌握、2019年に退任するまで30年間大統領の地位にいた。

これらの7人の人物は成り上がりで権力を手中にした者たちである。しかし中東にはもう一つ別なタイプの強権的独裁者の一族がいる。それはサウジアラビアなど湾岸君主制国家の支配一族である。サウジアラビアはサウド家が支配する専制君主国家であり、その他UAE、クウェイト、オマーンなどいわゆるGCC(湾岸協力機構)各国はいずれも世襲制の君主によってすでに数十年どころか百年を上回る専制支配体制が続いている。

このような長期支配体制の国では1970~1980年代生まれの若者たちは物心ついた時の国家元首が成人になってもなおそのままである。若者たちは停滞感と閉塞感に包まれた社会の中で大人になる。彼らが一様に口にするのは次の言葉であった。
「もう沢山だ!」。アラビア語で言えば「キファーヤ!」。

「キファーヤ」はエジプトでムバラク政権に抗議する運動のスローガンとして2000年代初めに広がった。この言葉はインターネットのSNSを通じ各国で形を変えて若者たちの間に深く浸透していった。それが実際の革命運動にまで転化したのが2011年の「アラブの春」であった。

(続く)
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今年の成長率はマイナス4.4%、中国だけがプラス成長:IMF世界経済見通し2020年10月版(4)

2020-10-21 | その他
(注)本レポートは「マイ・ライブラリー」で一括してご覧いただけます。

http://mylibrary.maeda1.jp/0516ImfWeoOct2020.pdf


(米国と中国2カ国だけで世界のGDPの43%を独占!)
3.2020年の世界及び主要国のGDP (Current Price)
(表http://menadabase.maeda1.jp/1-B-2-09.pdf 参照)
(表http://menadabase.maeda1.jp/1-B-2-12.pdf 参照)
(図http://menadabase.maeda1.jp/2-B-2-03.pdf 参照)

IMFによれば今年の世界のGDP(at Current Price)総額は84兆ドルと見込まれる。昨年のGDPは88兆ドルであり、今年は昨年比4.4%少なくなっている。

84兆ドルのうちG7は38兆ドルで全体の46%を占め圧倒的な存在感を示している。EUのGDP総額は15兆ドル(全世界の18%)、ASEAN5か国は2.6兆ドル(同3%)である。

国別では2020年のGDPの世界ベストテンは米国が世界トップ(21兆ドル)で全世界に占める割合は25%、同国一国だけで世界のGDPの4分の1を生み出している。米国に次ぐGDP大国は中国の15兆ドルであり世界全体の18%を占めている。この2か国が突出し世界全体のGDPの43%を占めている。前節で見た通り中国はコロナ禍の今年も米国がマイナス成長に陥る中でプラス成長を達成する見込みであり、また来年は高い成長率が予測されている。今後両国のGDP格差が急速に縮まることは間違いなく、両国の貿易・経済摩擦は一層激しくなるであろう。

第3位は日本(4.9兆ドル)で、これは米国の4分の1あるいは中国の3分の1である。第4位以下10位までは、ドイツ(3.8兆ドル)、英国、インド、フランス(各2.6兆ドル)、イタリア(1.8兆ドル)、カナダ、韓国(1.6兆ドル)である。因みにEUのGDP15兆ドルは世界第3位に相当する。

 11位から20位まではロシア、ブラジル、オーストラリア、スペイン、インドネシア、メキシコ、オランダ、スイス、サウジアラビアそしてトルコの各国である。中東諸国ではサウジアラビアが世界19位、トルコが世界20位にランク付けされている。このほかの主要な中東諸国はイラン(世界22位)、イスラエル(同30位)、エジプト(同34位)、UAE(同35位)、イラク(同52位)、カタール(同55位)の各国である。

(続く)

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前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
E-mail; maedat@r6.dion.ne.jp

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