・2015年には米国が世界一の石油生産国に。但し2020年まで:IEAチーフエコノミスト談。 *
*米国の石油生産量については「BPエネルギー統計2013年版 石油篇」参照。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0271BpOil2013Full.pdf
・2015年には米国が世界一の石油生産国に。但し2020年まで:IEAチーフエコノミスト談。 *
*米国の石油生産量については「BPエネルギー統計2013年版 石油篇」参照。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0271BpOil2013Full.pdf
迫りくる2000年問題
1990年代に入り社内では利権契約延長の問題が急速に現実味を帯びてきた。サウジアラビアとの契約が期限を迎える2000年1月まで残すところ10年を切ったからである。社内ではこれを「2000年問題」と称していた。この問題は契約を締結した2年後の1960年1月にカフジ油田1号井から日産6千バレルの商業ベースの原油を産出した時に既に始まっていた。利権契約で期間は「商業量発見の時から40年間」と定められていたからである。
しかし1960年当時の関係者にとって2000年1月は21世紀という世紀をまたぐはるか未来のことであった。その後カフジ油田のおかげで業績に余裕が生まれると、2000年問題対策として会社はサウジアラビア以外での石油開発に着手し、或いは総合的なエネルギー企業を目指して天然ウラン開発に手を伸ばし、石油精製業にも進出した。これによりカフジと言う単一拠点、片肺操業からの脱却を図ろうとしたのである。それが1970年代、1980年代の会社の姿であり、筆者はそのような時期に途中入社したことになる。
天然資源が乏しい日本では戦後ずっとエネルギーの安定確保が至上命題であった。このため政府は石油需要全体の一割近くを供給するアラビア石油を国策企業と位置付けて優遇した。石油価格が暴騰したオイルショックからしばらくの間はカフジ原油優遇策に大きな批判は出なかったが、その後1980年代半ば以降世界の景気は停滞し石油の需要は落ち込んだ。日本では企業の血のにじむような省エネ努力により毎年の石油消費量が前年を下回る時代が続いた。
この結果、第二次オイルショック直後にはバレル当たり40ドル近くまで上昇した原油価格が1990年代には20ドル以下に下落した。国際石油会社は新たな油田発見のための探鉱投資を控えた。石油産業は世界的な不況に直面しエクソンとモービルが合併(現ExxonMobil)するなど業界再編の嵐が吹き荒れた。この時期、石油は安値で自由に買うことができるコモディティ(市場商品)化したと言われ、また「油田はウォール街で買える(即ち企業買収で油田を自社のものにする)」とまで言われるようになっていたのである。
しかしこの時期も日本政府は自主エネルギーの確保が重要課題であるとの認識を持ち続け、そのためにも産油国、特にサウジアラビアとの関係を強化すると共に水面下でアラビア石油の利権契約延長の道を探っていた。1994年の皇太子同妃両殿下のサウジアラビア訪問はまさにそのような時期に行われたのであり、その前後に海部総理(1990年)、村山総理(1995年)及び橋本総理(1997年)の三代にわたる総理大臣が相次いで同国を訪問したことはその表れである。勿論歴代の通産大臣も就任早々にサウジアラビアやUAEなど中東産油国を訪問するのが慣例となっていた。
これら一連の資源外交は当時のアラビア石油社長である小長元通産次官の働きかけが大きかったことは言うまでもない。アラビア石油にとって日本政府の支援は願ってもないことであったが、世論の一部には石油はコモディティ(市場商品)化しており、石油獲得のために産油国におもねる必要はない、と言う意見も根強く、またアラビア石油という一私企業(確かにアラビア石油は政府資本が入らない純粋の東証一部上場民間企業である)に政府が過度の肩入れをすることを疑問視する声も少なくなかった。
アラビア石油自体にとって総合エネルギー企業となる夢が破れ、カフジ油田の操業を続ける他に道が無いのは厳然たる事実であった。会社は何としても利権契約の延長を勝ち取らなければならない状況に追い詰められていた。1990年の湾岸危機の時、他の企業がいち早く安全な国外に退避した中でアラビア石油だけは翌年の湾岸戦争勃発直前まで原油生産を続け企業としての覚悟を示したのであった。アラビア石油が何のためにカフジに踏みとどまったのか、それは言わずもがなのことであった。
湾岸戦争の後、サウジアラビアの石油相はアラビア石油を高く評価した。会社にとって利権契約延長の交渉を開始する絶好の機会が訪れた訳である。こうして総理大臣或いは通産大臣の相次ぐサウジアラビア訪問外交の幕が開いた。但しこのことは交渉が一方の当事者であるアラビア石油の手を離れ、日本政府が前面に出ると言う日本側の主役交代を意味している。契約延長に対してサウジアラビア政府が要求する条件はどんどん膨らみ私企業のアラビア石油には手に負えない状況になっていった。その中で小長社長は毎年頻繁に日本とサウジアラビアの間を往復し、サウジアラビア政府と日本政府の橋渡しの役割を果たしたのである。そのような役割は専務、常務以下の会社生え抜きの役員の力の及ぶところではなく結局小長社長一人の双肩にかかっていた。
筆者がかかわることになったジェトロ・リヤド事務所もそのような経緯の中から生まれたものの一つであった。
(続く)
(追記)本シリーズ(1)~(20)は下記で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0278BankaAoc.pdf
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
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・製油所新設ラッシュで今後5年間アジアでは精製マージン薄の状態が継続。
・カザフスタン・カシャガン油田操業開始早々深刻な油漏れ、再開は来年以降:Total CEO談。 *
*カシャガン油田にはINPEXも参加。出資比率はKazMunaigas(国営石油), ENI, ExxonMobil, Shell, Total各16.81%, CNPC(中国)8.33%, Inpex 7.56%。
(注)本レポートは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0287KajikiruQatar.pdf
エネルギー:LNGの販路開拓を焦るカタール
去る9月10日に東京で第2回LNG産消会議が開催され、冒頭に消費国及び生産国を代表してそれぞれ茂木経産相及びカタールのアル・サダ・エネルギー大臣が基調講演を行った。会議の目的はLNGの生産国と消費国が一堂に会し率直な議論を通じてLNG市場の健全な発展を図ることとされている 。しかし会議を主催した日本側の真の目的が高止まりしている日本向けLNG価格の引き下げであることは言うまでもない。
日本のLNG価格は原油価格に連動しており、また長期間の引き取り保証及び転売禁止と言う硬直的な契約である。日本が初めてカタールからLNGを輸入した1997年当時は原油価格が低迷しておりLNG生産国も数少なかったため、この契約方式は必ずしも日本にとって不利なものとは言えなかった。しかしここ数年LNGの市場環境に劇的な変化が生まれた。100ドルを超える高値が続く原油価格に連れて日本向けのLNG価格は高騰したが、シェールガス・ブームに沸く北米ではむしろ天然ガス価格は下落しており、現在両者の価格差は4倍に達する 。さらに世界各地にLNG輸出プラントが建設される一方、輸入設備を新設する消費国も増加した結果、LNG貿易が活発になりスポット取引も増えている。
(参考)「天然ガス価格の推移(2000~2012年)」http://members3.jcom.home.ne.jp/maedaa/2-5-G01.pdf
将来天然ガスが原油と同様市場商品(コモディティ)となることは間違いないであろうが、当面天然ガスは売り手市場である。売り手の最大の勝者は世界最大のLNG輸出量を誇るカタールであり、負け組は原発事故のあおりで高値のLNGを買う他ない日本であろう。LNG産消会議は生産国を巻き込んで現行の契約形態を改善し、あわよくば価格を引き下げようと言う日本の思惑の産物であり、会議に参加する天然ガス生産国を何とか協議のテーブルにつかせようとする魂胆は明らかである。
しかし現在の市況に120%満足しているカタールが日本の誘いに乗る訳はなく、同国のアルサダ・エネルギー相は会議でも産消双方が市場の秩序維持に協力すべきである、と紋切り型の演説に始まり、LNGの最大輸出国としてカタールは天然ガスの安定供給に寄与している、と自国のPRに余念がなかった。カタールは日本の誘いに乗って価格メカニズム変更を検討する気は毛頭なさそうだ。年産7,700万トンと言う世界最大のLNG生産設備を有し、これまた世界最大の54隻のLNG船隊を保有するカタールは横綱の風格でおっとりと構えている。
だがそのようなカタールにも少しずつではあるが逆風が吹き始めている。7,700万トンのLNGの販路開拓がままならなくなったのである。その最大の要因は米国のシェールガス革命と欧州の景気後退であろう。シェールガス革命を予想していなかったカタールは、Qatargasの第3期、第4期(年産各780万トン)およびRasGas第3期(トレイン6及び7、年産各780万トン)の仕向け先として当初米国を予定していた 。しかしカタールにとって米国はLNGの輸出先どころか競争相手になろうとしている 。また米国内の天然ガス増産で販路を失った石炭が欧州市場に向かい、あおりで欧州の天然ガスの需要がしぼんだ。直接的な影響を受けたのはロシアであるが、英国にLNG基地を新設し欧州への売り込みを本格化させようとしていたカタールの目論見も外れた。
LNGの残された有望市場は原発稼働ゼロの日本と今後も経済発展が見込める中国、インドなどのアジア・極東市場である。同地域は今後LNG販売の激戦区になることは間違いない。南からはオーストラリアが相次ぐ設備の新増設でカタールをしのぐ世界一のLNG輸出国を目指している。そして東からは米国のLNG輸出が始まろうとしており、さらに北のロシアはシベリア・サハリン産LNGの輸出を拡大している。
カタールはアジア市場でオーストラリア、米国、ロシアとの競争に直面し、これまでのような殿様商売は通じなくなりつつある。最近のニュースを見るとカタールがLNGの販売シェア維持のためやみくもに動き回っている気配がうかがえる。いくつかの例をあげると米国テキサスにLNGの輸出基地を建設することをExxonMobilと合意しており 、或いは近い将来LNG船団を年間25隻建造する予定があり 、シンガポールにLNG戦略輸出基地を設ける構想もある 。9月にはQatargasがマレーシアに来年から向こう5年間LNGを毎年114万トン供給する契約も交わされた。これは英国Milford HavenのLNG基地から供給されることになっている 。この契約にQatargasの事実上のオペレーターであるExxonMobilが深くかかわっていることは間違いないであろう。カタール産LNGの販売不振はExxonMobil本体の経営にも影響するはずだからである。と同時に英国基地を経由することによりLNGのダンピング輸出も十分考えられる。カタールの一連の動きはExxonMobilの入れ知恵であろう。殿様商売のカタールにはそのような高度な戦略的思考があるとはとても思えないからである。
(続く)
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11/1 JXホールディングス 決算短信・説明資料 2013年度 http://www.hd.jx-group.co.jp/ir/library/statement/2013/
11/5 出光興産 平成26年3月期 第2四半期決算短信 http://www.idemitsu.co.jp/company/news/2013/131105_2.pdf
11/5 コスモ石油 2013年度 第2四半期 決算短信 http://www.cosmo-oil.co.jp/press/p_131105/index.html
11/5 コスモ石油 名古屋証券取引所における当社株式の上場廃止申請に関するお知らせ http://www.cosmo-oil.co.jp/press/p_131105_2/index.html
11/5 昭和シェル石油 平成25年12月期 第3四半期決算について http://www.showa-shell.co.jp/press_release/pr2013/1105.html
11/5 東燃ゼネラル石油 執行役員の異動に関するお知らせ http://www.tonengeneral.co.jp/news/uploadfile/docs/20131105_1_J.pdf
11/7 国際石油開発帝石 平成26年3月期 第2四半期決算短信〔日本基準〕(連結) http://www.inpex.co.jp/ir/library/pdf/result/result20131107.pdf
11/8 東燃ゼネラル石油 執行役員の異動に関するお知らせ http://www.tonengeneral.co.jp/news/uploadfile/docs/20131108_1_J.pdf
11/8 石油資源開発 平成26年3月期 第2四半期決算短信〔日本基準〕(連結) http://www.japex.co.jp/newsrelease/pdf/JAPEX_tanshin_2Q_20131108_J.pdf
1:8:1の法則
次の出向先は本社内の雑務や福利厚生施設の維持管理或いは海外に勤務する社員に新聞雑誌食料品などを送るサービスを行う子会社の社長であった。社長とは言っても社員わずか10数人の零細企業であり、要するに総務課、厚生課業務のアウトソーシング部門である。
人事部から打診を受けた当初は異動を拒否した。一つの条件を提示されたからである。条件とは筆者より3歳年上の男性社員(仮にMとする)を引き取ること、と言うものであった。本体で持て余した社員を子会社が面倒を見ることはいずこの会社でもやっていることであり珍しいことではない。但しMの人格が問題であった。本人は東京の一流私大を出てアラビア石油に入社したのであるが、仕事は全くできない上に酒癖が悪い。会社は酒にはかなり寛容で社員の間では仲間の酒の上の奇行乱行を武勇談と称して面白おかしく話す風潮すらあった。本稿第4回で「エンリン」こと遠藤麟一郎氏に触れたが、そのような例が社内には少なくなかったのである。
Mはいわゆる縁故採用であった。祖父も父親も大学教授であり、特に祖父は旧帝国大学の有名な法律学者であった。アラビア石油を設立する時に創立者の山下太郎が彼の祖父に法務上の相談に乗ってもらっている。山下太郎は財界・政界・学界を問わずとにかく大物が好きであり、また彼らに取り入るのが上手な「老人キラー」であった。従って大物の子弟を率先して入社させた。それは元総理の息子であったり、株主である有名製鉄企業副社長の息子であったりした。筆者が途中入社した時には彼ら大物子弟は殆ど会社を辞めて別な世界に飛び立っていたが、Mのようにどうしようもない人間は会社に残っていたのである。
「社員は能力に応じて1:8:1の割合に分けることができる。」この法則とも言えない法則は以前社員1万名を超える会社にいた頃先輩から聞かされた言葉であり、その意味するところはつぎのようなものである。つまり全社員のうち一割は優秀で会社の成長を引っ張る人材である。そして八割の社員はごく普通のサラリーマンであり文句を言いながらも日々の仕事をこなし会社を支える社員である。そして残る一割は箸にも棒にもかからない役立たずの社員ということになる。
その頃の日本の企業は完全終身雇用制であり、如何にお荷物であっても社員を辞めさせることはできなかった。特に当時のアラビア石油は業績が良かったためお荷物社員でも抱え込むことができたのである。ただそのような社員が無害なお荷物であるならば周囲は多少我慢すればすむ。しかしMは酒席で暴れるだけでなく、会社ではまじめに仕事をする他の社員を軽侮し会議になると無責任な言辞を弄するから困る。アラビア石油本体ならまだしも社員10数人の子会社にそのような人物を抱え込めばどうなるか。「朱に交われば赤くなる」ではないが仕事に悪影響が出る。
特に社長を除く社員は全て子会社採用プロパーであるから、Mのような仕事を全くしない出向者がいるとプロパー社員の不満を抑えられない。筆者はそう考えて人事部長に対して、もしMの引き取りが条件であるなら異動は受けられない、と申し立てた。人事異動に文句をつけたのは後にも先にもこの時だけである。実はMは人事部長と同期入社である。部長が裏でどのように問題を処理したかは知る由もない。結局彼はこちらの要求を呑んでくれたのである。
こうして総務・福利厚生業務のサービス子会社に異動した。しかしこのポストも結局わずか一年でまたまた人事部から新たな異動命令が下った。今度の辞令はジェトロに出向、リヤド事務所長を命ず、というものであった。
蛇足ながらMは筆者が子会社に異動した3ヶ月後に退職した。その後、体を壊し60歳代で亡くなったことをOB会事務局から知らされた。
(続く)
(追記)本シリーズ(1)~(20)は下記で一括してご覧いただけます。
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・イランのテヘランでGECF(天然ガス輸出国フォーラム)閣僚会議開催。新事務総長に元イラン中銀総裁。
*レポート「ガスOPECは生まれるのか?」(2007年3月)参照。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0131GasOpecReport2007.pdf
(注)本レポートは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0287KajikiruQatar.pdf
はじめに
カタール首長がハマドから息子のタミームに交代して以来4カ月が過ぎた。中東の君主制国家の歴史で君主が生前に譲位するのは極めて珍しいことである。ハマドが未だ61歳の若さで健康にも特に問題がなかったと見られるだけにその真意をめぐり種々の憶測も流れた。(*注)
(*注)拙稿「カタール首長禅譲の謎に迫る」参照。http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0272QatarTamim.pdf
それはともかく新首長は即位後直ちに一族のアブダッラー内相を首相に任命し内閣の若返りを図った。以来4カ月、ここにきてタミーム首長体制が本格的に動き出した。本稿では外交、エネルギー、金融の各分野について新たな動きを検証してみたい。
外交:GCC協調に舵を切る
タミーム新首長は即位後の8月初め、最初の外国訪問先としてサウジアラビアを訪れている 。サウジはGCCの盟主であり先ずは順当な外交デビューであった。そしてハジ(巡礼月)が明けた10月末、彼はサウジ以外のGCC4カ国(UAE、オマーン、クウェイト及びバハレーン)を歴訪したのである 。カタールはGCC6カ国の中で最も人口が少ない(カタール政府は同国の人口が2百万人を突破したと報じているが 、そのほとんどは出稼ぎ外国人労働者であり実際の自国民は30万人前後にすぎずバハレーンよりも少ない)。1980年生まれのタミーム首長は未だ33歳の若さであり、サウジアラビアのアブダッラー国王(90歳)を始め各国元首とは祖父と孫或いは父と子供ほども年齢に開きがある。タミームが即位直後にサウジアラビア、そして今回残る4カ国を歴訪したのは年長者を敬うベドウィン(アラブ遊牧民)の伝統を体現したものであろう。とにかくこの歴訪によってカタールはGCC重視の姿勢を明確に示したと言える。
実は彼の父ハマド前首長と他のGCC諸国の関係は必ずしもしっくりとしたものではなかった。ハマドが自国の存在感を示すため独自外交を推進したからである。リビアでは当初カダフィとの仲を取り持ってフランスの歓心を買ったが 、「中東の春」では一転してカダフィ打倒のNATO空爆に参加し西欧での同国の評価を高めた。スーダン、イエメン紛争でも独自の仲介外交を行い、最近では首都ドーハにアフガニスタンのタリバン事務所の開設を認めた 。そして揺れるエジプトについてはムスリム同胞団を積極的に後押しし、政権が経済運営に失敗するや多額の援助でムルシ大統領を支えた。
ここにあげたカタールの対リビア、対エジプト外交はサウジアラビアを筆頭とする他のGCC各国のそれとは全く逆だったのである。リビアの場合GCC諸国はNATOのリビア空爆に反対であった。カダフィを許せないとしてもGCC諸国は何かにつけて中東に民主主義を押し付ける欧米諸国を苦々しく思っておりNATOの軍事介入は容認できなかったのである。アフガニスタンの場合、タリバンは国際テロ組織アル・カイダのルーツである。エジプトの場合もカタール以外のGCC各国はイスラム原理主義のムスリム同胞団を危険な存在と見ている。
他のGCC諸国の神経を逆なでしてまでもカタールのハマド首長が独自外交にこだわったのは、カタールの国際的名声を高めたいとする彼一流のパフォーマンスであった。国内にアル・カイダ、イスラム原理主義など政治的な反政府勢力が無く、しかも天然ガスのおかげで経済が絶好調のカタール。ハマドには恐れるものは何もなかったのである。
加えて彼にはアル・ジャジーラTVと言う世界が認めた強力なメディアがある。「一つの意見とその反対意見(One opinion and its counter opinion)」をモットーとするアル・ジャジーラはそれまでには無かったタイプのテレビ・メディアとして中東各国にとって煙たい存在である。サウジアラビアも数度にわたり支局の閉鎖を命じるなどアル・ジャジーラは各国との外交問題の火種となってきたが、カタールはその都度報道の自由を重視する西欧各国を味方につけて切り抜けてきた。
しかしその神通力に陰りが生じている。それはエジプト政変に対するアル・ジャジーラの報道にイスラム同胞団びいきの姿勢が強く出ていることである。一部ではアル・ジャジーラがイスラム同胞団に乗っ取られたとも言われている。ハマド前首長の末期にはカタールと他のGCCとの溝がかなり深くなっていた。
タミム新首長はその溝を埋めようとしている。彼がGCC5カ国のトップと意見を交わしたことはカタールがGCC寄りの外交に舵を切ったことを意味する。12月に開催される恒例のGCC首脳会議が見ものである。
(続く)
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