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(英語版)
(アラビア語版)
1.事件の幕開け
4月3日(土)、ヨルダンに激震が走った。現国王の異母弟ハムザ王子の宮廷に軍の幹部が訪れ、反逆罪の容疑で王子に自宅軟禁を命じたのである。BBC放送が王子の投稿ビデオを放映し、世界中に知れ渡るところとなった[1]。ハムザ王子は現国王即位後の1999年から2004年まで皇太子を務め、国民にも人気のある王族である。
関係者として重要人物2名を含む18人が逮捕取り調べを受けた。4月4日には副首相が記者会見を行い事件の全容を説明したが[2]、事件の背後関係、動機等については謎に包まれたままである。
ヨルダンの正式国名は「ヨルダン・ハシミテ王国」であり、国王が預言者ムハンマドの直系と言う由緒ある家系である。第一次大戦後の1921年に「トランス・ヨルダン王国」としてオスマン・トルコから独立し、今年で建国百周年を迎える[3]。
(注)「ハシミテ家々系図(預言者ムハンマド~現代まで)」参照。
ヨルダンそのものは東西南北をイラク、イスラエル、サウジアラビア及びシリアに囲まれ、流動する中東政治に振り回されている小国である。しかも同国は資源に乏しく経済が脆弱な上に多数のパレスチナ難民がいるなど同国は国内外に多くの問題を抱え常に綱渡りを強いられてきた。その荒波を乗り切って今日まで支配体制を維持してきたのがハシミテ王家であるが、王家の内実はかなり複雑である。今回の事件を理解するため、まずはフセイン前国王を中心とする王室の血縁関係を見ておく必要があろう。
2.フセイン前国王をめぐる王室の血縁関係
アブダッラー二世現国王の父親であるフセイン前国王は、1952年に第三代国王に即位、1999年に病没するまで50年近くにわたり国王の地位にあった。彼の在任中は第二次中東戦争(スエズ戦争)など3度の中東戦争をはじめ、イラン・イラク戦争、湾岸戦争など中東に戦火が絶えなかった。フセイン国王はその激変する時代を巧みに泳ぎ渡り、小国ヨルダンの存在価値を世界に知らしめた。
フセインは生涯に4度結婚している。2番目の王妃は英国人のトニー・ガードナーであり、1962年に現国王のアブダッラーが生まれている。アブダッラーの誕生後、トニー・ガードナーはアラビア風にMuna妃と呼ばれるようになったが、後に離婚した。フセインが即位した1952年時点では男子がいなかったため、実弟のTalalが皇太子になった。彼は今回の事件でアブダッラー二世とハムザ王子の仲を取り持つ重要な役割を果たしている。フセインの4番目の妻Lisa Halaby(通称Noor王妃)との間に1970年に生まれたのがハムザ王子である。Noor王妃は米国ワシントン生まれのシリア・レバノン系米国人である。これでわかる通り、フセインの二人の息子アブダッラー二世(現国王)とハムザの母親は共に外国籍の女性であり、特にアブダッラーは父親(国王)がアラブ人、母親が白人のハーフである。預言者ムハンマドの血統を引くハシミテ家で白人とのハーフの国王は初めてのことなのである。
フセイン国王-ハッサン皇太子の体制は1999年まで続くが、この時次期国王問題で大きな事件が発生した。
(続く)
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荒葉一也
Arehakazuya1@gmail.com
[1] Jordan prince was asked to stop destabilizing ‘activities’
https://www.thepeninsulaqatar.com/article/03/04/2021/Jordan-prince-was-asked-to-stop-destabilizing-%E2%80%98activities%E2%80%99
2021/4/3 The Peninsula
[2] Jordan says prince liaised with ‘foreign parties’ over plot to destabilize country
https://www.arabnews.com/node/1837401/middle-east
2021/4/4 Arab News
[3] 「ヨルダン・ハシミテ家の構図」(MENAの王族シリーズ)(2003年6月)参照。