イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「小説 上杉鷹山」読了

2007年05月22日 | Weblog
童門冬二「小説 上杉鷹山」読了
大分昔に一度読んだことがある。
主人公はクリントン大統領が就任演説か何かでこの人の業績を引用して当時一躍有名になった人である。多分そのときに読んだのだと思う。

1700年代の終わり頃に財政破綻寸前の米沢藩で行政改革を成し遂げた人だ。
殖産興業を奨励し、質素倹約に勤めたそれを自らが率先垂範した人だ。たった19歳でトップに立ち、個人であることを捨て、政治のために生きたひとだ。
ラインハルトといい鷹山といい若くしてトップに立つ人の決意はなみなみならぬものがあるのだろう。

文章はテンポよく、650ページもある本だがかなり早く読めてしまった。
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」や
「してみせて 言って聞かせて させてみる」という言葉はこの人の言葉らしいのだが、これまたこの本を読むと重みが増してくる。

僕の会社も業績が悪く改革、改革と叫ばなければならないのだろうが、うちの会社には上杉鷹山はいるのだろうか。そして僕は改革派になれるのだろうか。
多分、そんなことはどこ吹く風で、魚釣りにいそしんでいるんだろな~。
魚釣りの改革は常に怠りはないのだが・・。

途中に「山には無限の命が充満している。土の中に、草の中に、そしてその中で生きる動物たちの中にいのちがみなぎっている」という文章がある。
これは腐敗した役人と比較して書かれた文章だが、本当の鷹山がそのように思ったかどうかはわからないがこの心が改革を行うヒントになっていったようだ。ほかにも口をあけて畑の土のにおいを嗅ぐくだりなど、自然と直結した営みが改革の根源になっていくようなのであるが、それをみるとある意味この時代がうらやましい。
人間はやっぱり自然のなかで自然の流れのなかで生かせてもらうのが本当の姿なのだろうからな。
振り返って自分の仕事はなんと自然とかけ離れていることか・・・。どうせ苦労するなら自然の世界の中で苦労したものだ。できるかどうかは別にして・・・。
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水軒沖釣行

2007年05月22日 | Weblog
場所:水軒沖~下津沖
条件:中潮 8:57満潮
釣果:キス 22匹

前の休みのバーベキューの時に買ったゴカイが余っていたので今日はキス釣りに出撃。
買ってから4日目であったがゴカイは冷蔵庫の中でひそかに生きのびていた。家族に知られるととんでもないことになりそうだがこれで今日のエサ代がういた。

朝4時10分起床。4時50分出港。これでも明るくなってしまっていた。

シーズンに入りたてだろうからと思い少し深いポイント、双子島の沖からスタート。
しかし、まったくアタリがない。おまけに海ケムシがやたらと多いようで竿2本ともにかかってくる。ここはすぐに退散。
田ノ浦沖へ移動。ここでは粘りに粘って小さいのが2匹だけ。
これでは数を稼げないのでまたまた移動を決意。今度は浜の宮を目指した。が、亀の川の河口の沖には底引き網が入っていた。こんなきわを引きやがって!!と怒りを覚えるが仕方がない。いたるところに底引き網の船が出ていて双子島の沖もきっと曳かれたあとなのかもしれない。
少し遠いが下津ピアーランドの東側に移動。すでに8時半になっていた。
つり公園が邪魔になるからここにはさすがに網が入っていないだろう。
仕掛けを投げてすぐにアタリがあった。しかし、食いが悪くなかなかハリに乗らない。それでも少しずつではあるが数を稼げる。ひとり2匹分は確保できそうだ。少しホッとする。

9時をまわってからは本格的にアタリが出だした。1投ごとに1匹のペースで釣れてくる。それもかなり型が大きい。船がカケアガリの上に乗っているようでどうもここがポイントのようだ。あまり投げなくてもあたりが出るし、置き竿にも食ってくる。これでどんどん数が稼げる。10時過ぎにエサがなくなり終了。
はじめからここに来ていればもう少し数が釣れたと思うが、ここはキスを釣るには少し遠すぎるな。

空は雲ひとつなくまさに日本晴れ。最高の気分のひと時であった。


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