イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

ああ、45歳・・・

2009年03月17日 | Weblog
今日は僕の45歳の誕生日だ。
もう、間違いなく人生の折り返し地点を過ぎてしまった。
最近、自分の声のトーンやしぐさに父親の面影を感じることがある。
そこで思うのは、父親はどんな思いで生きてきたのだろうかということだ。
大河ドラマで上杉謙信が、人が生きるためには「義」が必要だと言ていた。僕も父も人生に対して「義」を持って生きてきたのだろうか。

僕の印象では父親はどちらかというと会社で出世もできずに魚釣りばかりに行く自分自身を少し後ろめたく思っていたのではないだろうかと思う。だから、自分の孫には「魚釣りなんて覚えなくていい。」としきりに言っていたのではないだろうか。
社会の中で、また会社の中で成功することが「義」なら父親は多分、それを果たせていなかったとおもう。
しかし、僕は父親の人生はそう悪くはなかったのではないかとも思っている。
とりあえず、人に迷惑をかけず、家族に少しだけ心を払い、大きな成功もなかったが、夜討ち朝駆けで魚釣りをし、それほどの失敗もなく終わることができたのだから。

父親が死んだとき、そう感じていた僕は、仕事はさておき、自分が楽しいと思うことをしようと誓った。
しかし、2年前には会社の同期が亡くなり、ついこの前、同い年のいとこが亡くなり、自分の周りにも「死」というものが身近になってきたとき、自分にとっての「義」とは何なのだろうか、少なくとも自分の生活の糧をもらっている会社の中では責任を果たさなければならないのではないかと感じることがある。それとは裏腹に、自分の今の会社での立場はどうだろうか?責任を果たすどころかいてもいなくてもどっちでもいいのではないかと思ってしまう。
そこは自分で切り開いて行かなくてはならないところだろうが、能力と気力がまったくついていかない。終身雇用が保証されていた父親の時代と違い、それではマズイと思うのだがどうも歯車がうまく回っていないようだ。

45歳にもなって自分の道を見つけられない自分がものすごく情けないのだが、このまま家族が元気ですごせたら人生の「義」なんてどうでもいいのではないかとも思う3月17日でもあるのである。
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