イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく」 読了

2020年10月23日 | 2020読書
オタ・パヴェル/著 菅 寿美、中村 和博/訳 「ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく」 読了

オタ・パヴェルは、本のカバーの作家紹介によると、こんな作家だったそうだ。
『父レオ・ポッペルと母ヘルミーナの第三子として、1930年7月2日チェコスロヴァキア(当時)のプラハに生まれる。パヴェルはポッペルをチェコ風に変えたものである。1949〜56年にチェコスロヴァキア放送においてスポーツ記者を務め、そののち雑誌スタディオン等でも同様の職を務めた。1964年、プラハのサッカーチーム、ドゥクラの米国遠征に同行した経験を『摩天楼のはざまのドゥクラ(原題:Dukla mezi mrakodrapy)』として発表すると、話題を呼ぶ。
後年、双極性障害に苦しみ、入退院を繰り返す。その間にもスポーツ選手を取り巻くドラマを鮮やかに描き出した作品を数作発表するが1971年に自らの家族、なかでも個性的な愛すべき父にまつわるエピソードを連ねた自伝的短篇集『美しい鹿の死(原題:Smrt krásných srnců)』を発表すると、大きな反響とともに「カレル・チャペクの再来」と注目を集めた。1973年3月31日に心不全のためプラハで亡くなった。1974年初出の『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく(原題:Jak jsem potkal ryby)』は、自伝的短篇集の第二作目であり、今もなお、チェコの人々に広く愛読されている。』
ちなみに、カレル・チャペックという人は“ロボット”という言葉を創り出したひととして有名だそうだ。

普通ではなかなか手にすることのない作家だと思うが、図書館の蔵書検索で、「釣り」というキーワードで探すとこの本が出てきた。
作家の少年時代~青年時代を釣りを通して自伝的小説の短編集としてまとめられている。
ボヘミアといっても、歴史や地理に疎いぼくにとってはあまりピンとこない場所だ。やたらと戦争や内戦ばかりあってなんだか荒涼とした景色が広がっているというイメージしかない。
調べてみると、ボヘミアというところは、ヨーロッパのほぼ中央に位置し、それ故に戦乱に巻き込まれることが多かったらしい。牧畜が盛んで、カーボーイのスタイルはここから始まったそうだ。産業はどんなものがあるかと調べてみたが、ガラス工芸くらいしかヒットしなかったのであまり裕福な地域ではなさそうだ。
内陸部ということでマス類というのはあまりいないようで、本書に出てくる魚は、鯉、パイク、フナ、ニゴイのような止水域に生息している小魚が中心だ。
戦時中は食料の確保として、その後は大物釣りとして、人生のいたるところに釣りがあったというのがこの作家の人生であったようだ。そこに様々な年代の人々との交流が加わる。
密猟がばれそうになったり、祖父ほどの年の老人に手ほどきを受けたりしながら作家は成長する。青年期になると友人と半冒険的な旅に出たことが詳しく記されている。
そして父親の死で物語は締めくくられる。
作品としては魚釣りのある日常生活を淡々と書き進めているという感じでなにかエポック的なエピソードがそこに色を添えるということもない。けれどもその中には自然に対する思慕や自分を取り巻く人たちへの愛情が見え隠れする。
日本人の作家でこんな作品を書く人はいるだろうか。そっくりではないが、野田知佑は似てそうだがあまり少年期を書いているということを知らない。宇江敏勝もそうだ。初期のころの椎名誠は千葉県の沿岸の埋め立て前の話というのをよく書いていたのでそこは似ているのかもしれない。
どちらにしても僕の知る限りではこういうタイプの作家を知らなかったのでそういう意味では新鮮だ。僕の人生だけではないだろうけれども、そうたくさんもとんでもなくドラマチックなことが起こるわけではなく、むしろ何もないことがずっと続いているというほうがリアルだ。そういう意味でも物語にリアリティがある。(まあ、日本が舞台じゃないからすんなり溶け込めるというわけでもないが・・。)

この本の中に、中国の諺がひとつ紹介されていた。師が「オーパ!」の扉に書いた有名な諺だ。師は別の本で、あの諺は中国の諺ではなく、ポーランド辺りの諺だったかもしれないというようなことを書いていたが、ひょっとしたらそれはこの本を読んでいたからなのだろうかというようなことを思い至った。(ポーランドはチェコの隣国だ。そこは師の記憶まちがいか、わざとその出所をはぐらかせたか・・。)この本が出版されたのが1974年、「オーパ!」が出版されたのは1978年。邦訳版が出版されていなくても師が原書で読んでいたとすれば十分ありうる。
そして、中国の諺ではなくこの人が作ったものかもしれないと師は考えたのかもしれない。それは、パヴェルはこんなことも書いているからだ。精神を病んだ後、
『病状が少し良くなると、僕は今までの人生で一番素晴らしかったことはなんだろうかと、と考えた。愛や、世界中を旅してまわったことに思いはせることはなかった。夜間飛行で大洋を渡ったことや、プラハ・スパルタでカナディアン・ホッケーをやっていたときのことすら考えなかった。僕は再び、小川や、川や、池や、ダム湖へと、魚を釣りに歩いていき、ぼくがこの世で体験したもののうち、それこそが、最も素晴らしいものだったのだと悟った』
そしてもうひとつ、諺めいた、『おやじは恋愛においては、ついていた。釣りにおいてはほぼ常に運にみはなされていた。』という文章も書いている。
そのことから、あの諺はきっとパヴェルの創作なのかもしれないと考えた・・。だから、「ポーランド辺りの諺だったかもしれない・・」と・・。
偶然に見つけた本だったが、そんなところに不思議なつながりを見ることができた。
最近はネットで検索してピンポイントで本を探すか、図書館でもジャンルごとに並んでいるから自分の興味がある書架しか見に行かないから手に取る本はどうしても偏ってしまう。

昔よく通った三国ヶ丘駅の古本屋は4日周期でジャンルに関係なく均一価格で本が並べられていたのでまったく自分が予期しない本に出合えることが多かった。そんな出会い方もたまには必要なのではないかとこの本を読みながら思ったのである。

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