場所:双子島沖
条件:中潮 4:54満潮
釣果:ボウズ
久々に港に戻ってきた。雨が降っていたり白浜に釣りに行っていたりで船に乗るのは8日ぶりだ。
小船に乗ってじっくりアオリイカを狙ってそれに加えて少し早いけれどもコウイカの調査をしてみようと思っていたが、義父の調子がまた悪くなってきたらしい。今日明日なんていうことではないが、様子も見ないで知らんふりということもできない。
燃料タンクはほぼ空に近いので近所のガソリンスタンドが開店する午前7時半をめどに港に戻る計画を立てた。
朝一は双子島のワンドから。いつも錨を下す場所よりも双子島に近い場所に錨を下した。
あまり期待はしていなかったがやっぱりアタリはない。そこから大島の北側へ移動。ここは先代の翠勝丸に乗っていたころに少しだけアオリイカを釣ったことがある場所だ。
しかしここもアタリがない。最後は地の一文字の付け根のところ。いつもワカメを取る反対側のところだ。
2年前の台風被害でテトラポットがうず高く積まれてしまったが、ここはテトラと岩礁に囲まれた小さなワンドになっていて、防波堤からアオリイカを釣っている人がたくさんいた。だからひょっとしたらと思ったがここもアタリがない。
この時点でタイムアップとなって港へ引き返した。
クーラーボックスの中は多分今年最後に拾ったことになるであろう電気ウキがひとつだけであった・・。
道具を船の上に置いたままでガソリンスタンドへ。少しだけ叔父さんの家の円卓会議に参加して港へ戻り給油を済ませその足で嫁の実家へ。今日の議題は、「今年は例年になくいっぱい柿が実ったのだ。」ということであった。
港から行くほうが自宅から行くよりも近いので15分ほどで到着。
2年ほど前に肺がんと診断され、ちょうど認可されたばかりの分子標的治療薬というやつで寛解していたが治療を終えて少し経った今年の8月ごろ、腎臓に腫瘍が見つかった。今度はダビンチというあの遠隔操作で内視鏡手術をするという最新鋭の機械を使って治療をしたのだが、三度調子が悪いとなってきて検査してみると今度は甲状腺に小さな腫瘍が見つかったという。
義父は、前にも何回かこのブログに書いたけれども、真面目さと優しさを絵に描いたような人だ。怒った顔を見たことがないし、免許を取って40年近く無事故無違反でとうとう駐車禁止にひっかかった時にもすぐに出頭したという。僕によく似た人もちょうどその頃にステッカーを貼られたが知らぬ存ぜんぬを決め込んで反則金を払わなかったらしい(当時は出頭しない限りキップは切られなかった。何回か警官が家まで催促に来ていたらしいが・・)のでそんなのもったいないと言ったら、そういうことではないのだと諭された。
義母が亡くなったときも、火葬場の点火スイッチを押すときに指差し確認をしてからスイッチを押しているのを見て、この人はずっと仕事に忠実に生きてきたのだなと感服した。今の僕の体たらくを知ったらどんなことを言うだろうと恐れてしまう。
だから、この人こそきっと生きる価値のある人だから神様が最高の治療のタイミングを与えてくれるのだと思った。別にお義母さんが悪人だなんて言うつもりは毛頭ないが、同じ肺がんで逝ったけれども、当時は様々な分子標的治療薬が認可されていなくて、唯一のオプジーボが遺伝子的に合わないと判断され、打つ手がなく病気がわかってからわずか1か月でこの世を去ってしまったということとは対照的だ。
1400万円の治療費もこの人にならきっと値打ちがあるのだと思った。そして今度は和歌山に2台しかない機械で手術だ。普通、再発したがんの治療にはこんな高度な機械は使わないそうだが、義父の場合はあまりにもきれいさっぱりがんが無くなってしまったのでダビンチを使いましょうという判断だったそうだ。あまりにもきれいに無くなったので、骨に転移していたところが空洞になって背骨を圧迫骨折していたというオチまでついていたのだ。
ソファーに座っていたお義父さんの様子をみてみると、思っていたよりも元気そうだった。声帯も半分機能していないと言っていたが言葉は普通に聞き取れるし、顔色もよさそうな感じだった。ただ食事をあまり取れないというのが心配だが、それもよく聞くと、ワタミの宅配弁当がすさまじく不味くて食べられないということが判明して少しホッとした。
義理の妹の旦那というのは開業医で、息子は医学部に行っているからこんなときは外野がやたらとうるさい。
甲状腺の検体検査はサンプルを取るのに失敗したらしく、とりあえずひと月様子を見ましょうということになったらしい。それを聞いた開業医は、「失敗なんてありえない、主治医が下手でもその上が出てきてきちんと採取をするはずだ。」とか、息子は息子で、「うちの大学病院だったらできなかったといってそのまま帰すはずはない。」などと偉そうなことを言い、ダビンチの執刀医のことは、「大学でも段取りの悪い教授で有名だ。」などと悪口を言っている。(ダビンチの1台はその大学病院にあり、義父はそこで手術を受けた。)
そんならお前たちが診てやれよと言ってやりたくなる。どこまでみんな自信をもっているのだか・・。
僕は、この人は神様から祝福された人だと思っているのでそう簡単にはあの世に行かないと信じている。
しかし、安心したのも束の間で、夕方、歩いているのを見ていたらまともに歩けていないと嫁から電話があった。今はひとり暮らしなのでそのまま置いておくのは心配だということで、窮境、手続きをして明日入院ということになってしまったが、容体はどうなんだろう。大したことがなければいいが・・。
ぼくがこんなことになったら、間違いなく孤独死するんだろうなと、やっぱりこの人は神様から祝福されているのだと思うのであった。
条件:中潮 4:54満潮
釣果:ボウズ
久々に港に戻ってきた。雨が降っていたり白浜に釣りに行っていたりで船に乗るのは8日ぶりだ。
小船に乗ってじっくりアオリイカを狙ってそれに加えて少し早いけれどもコウイカの調査をしてみようと思っていたが、義父の調子がまた悪くなってきたらしい。今日明日なんていうことではないが、様子も見ないで知らんふりということもできない。
燃料タンクはほぼ空に近いので近所のガソリンスタンドが開店する午前7時半をめどに港に戻る計画を立てた。
朝一は双子島のワンドから。いつも錨を下す場所よりも双子島に近い場所に錨を下した。
あまり期待はしていなかったがやっぱりアタリはない。そこから大島の北側へ移動。ここは先代の翠勝丸に乗っていたころに少しだけアオリイカを釣ったことがある場所だ。
しかしここもアタリがない。最後は地の一文字の付け根のところ。いつもワカメを取る反対側のところだ。
2年前の台風被害でテトラポットがうず高く積まれてしまったが、ここはテトラと岩礁に囲まれた小さなワンドになっていて、防波堤からアオリイカを釣っている人がたくさんいた。だからひょっとしたらと思ったがここもアタリがない。
この時点でタイムアップとなって港へ引き返した。
クーラーボックスの中は多分今年最後に拾ったことになるであろう電気ウキがひとつだけであった・・。
道具を船の上に置いたままでガソリンスタンドへ。少しだけ叔父さんの家の円卓会議に参加して港へ戻り給油を済ませその足で嫁の実家へ。今日の議題は、「今年は例年になくいっぱい柿が実ったのだ。」ということであった。
港から行くほうが自宅から行くよりも近いので15分ほどで到着。
2年ほど前に肺がんと診断され、ちょうど認可されたばかりの分子標的治療薬というやつで寛解していたが治療を終えて少し経った今年の8月ごろ、腎臓に腫瘍が見つかった。今度はダビンチというあの遠隔操作で内視鏡手術をするという最新鋭の機械を使って治療をしたのだが、三度調子が悪いとなってきて検査してみると今度は甲状腺に小さな腫瘍が見つかったという。
義父は、前にも何回かこのブログに書いたけれども、真面目さと優しさを絵に描いたような人だ。怒った顔を見たことがないし、免許を取って40年近く無事故無違反でとうとう駐車禁止にひっかかった時にもすぐに出頭したという。僕によく似た人もちょうどその頃にステッカーを貼られたが知らぬ存ぜんぬを決め込んで反則金を払わなかったらしい(当時は出頭しない限りキップは切られなかった。何回か警官が家まで催促に来ていたらしいが・・)のでそんなのもったいないと言ったら、そういうことではないのだと諭された。
義母が亡くなったときも、火葬場の点火スイッチを押すときに指差し確認をしてからスイッチを押しているのを見て、この人はずっと仕事に忠実に生きてきたのだなと感服した。今の僕の体たらくを知ったらどんなことを言うだろうと恐れてしまう。
だから、この人こそきっと生きる価値のある人だから神様が最高の治療のタイミングを与えてくれるのだと思った。別にお義母さんが悪人だなんて言うつもりは毛頭ないが、同じ肺がんで逝ったけれども、当時は様々な分子標的治療薬が認可されていなくて、唯一のオプジーボが遺伝子的に合わないと判断され、打つ手がなく病気がわかってからわずか1か月でこの世を去ってしまったということとは対照的だ。
1400万円の治療費もこの人にならきっと値打ちがあるのだと思った。そして今度は和歌山に2台しかない機械で手術だ。普通、再発したがんの治療にはこんな高度な機械は使わないそうだが、義父の場合はあまりにもきれいさっぱりがんが無くなってしまったのでダビンチを使いましょうという判断だったそうだ。あまりにもきれいに無くなったので、骨に転移していたところが空洞になって背骨を圧迫骨折していたというオチまでついていたのだ。
ソファーに座っていたお義父さんの様子をみてみると、思っていたよりも元気そうだった。声帯も半分機能していないと言っていたが言葉は普通に聞き取れるし、顔色もよさそうな感じだった。ただ食事をあまり取れないというのが心配だが、それもよく聞くと、ワタミの宅配弁当がすさまじく不味くて食べられないということが判明して少しホッとした。
義理の妹の旦那というのは開業医で、息子は医学部に行っているからこんなときは外野がやたらとうるさい。
甲状腺の検体検査はサンプルを取るのに失敗したらしく、とりあえずひと月様子を見ましょうということになったらしい。それを聞いた開業医は、「失敗なんてありえない、主治医が下手でもその上が出てきてきちんと採取をするはずだ。」とか、息子は息子で、「うちの大学病院だったらできなかったといってそのまま帰すはずはない。」などと偉そうなことを言い、ダビンチの執刀医のことは、「大学でも段取りの悪い教授で有名だ。」などと悪口を言っている。(ダビンチの1台はその大学病院にあり、義父はそこで手術を受けた。)
そんならお前たちが診てやれよと言ってやりたくなる。どこまでみんな自信をもっているのだか・・。
僕は、この人は神様から祝福された人だと思っているのでそう簡単にはあの世に行かないと信じている。
しかし、安心したのも束の間で、夕方、歩いているのを見ていたらまともに歩けていないと嫁から電話があった。今はひとり暮らしなのでそのまま置いておくのは心配だということで、窮境、手続きをして明日入院ということになってしまったが、容体はどうなんだろう。大したことがなければいいが・・。
ぼくがこんなことになったら、間違いなく孤独死するんだろうなと、やっぱりこの人は神様から祝福されているのだと思うのであった。