イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「新編 ワインという物語 聖書、神話、文学をワインでよむ」読了

2020年10月03日 | 2020読書
大岡玲 「新編 ワインという物語 聖書、神話、文学をワインでよむ」読了

著者は師の作品集を監修するなど、少しは身近に感じる作家だ。芥川賞作家でもある。その作家が、ワインを通して古典を解説しようとういうのがこの本だ。
1999年に出版されたものを新装して出版したものだそうだ。さすがに古典はずっと古びないということだろう。

“ワインを通して”というのだから、ヨーロッパの古典が題材に挙げられているのだが、まさしく教養というのはこういうことなのだという見本のように思える。
聖書、ギリシャ神話、アーサー王伝説、カンタベリー物語、デカメロン、ドン・キホーテが取り上げられているが、おそらく教養人と呼ばれる人ならば必ずその内容を論じることができるという古典中の古典、古典のスタンダードというのがこの一連なのだと思う。
それを真正面からではなく、ワインを通して論じようというのだからその教養に加えて食に対する造詣も必要になってくる。

美味しい食事をしながらこういった会話を楽しめるほどの知性を身につけたいと思うけれども、これがまったくダメだ。
旧約聖書やギリシャ神話についての本も何冊か読んでいるはずだが、翌日にはその記憶がなくなっている。この本の内容もこれを書いている時点ですでに大半のことを忘れてしまって思い出せない。もともと記憶力がないうえにストーリーらしいストーリーがない物語では記憶の端にもひっかからない。
アーサー王伝説の解説では、ランスロット、トリスタン、パーシヴァルなどという固有名詞はいろいろなドラマやアニメの登場人物の名前として引用されているけれども、これがこの物語の主人公たちであったというのを初めて知った。そして水軒のおいやんの雑談を「円卓会議」と称してこのブログでも紹介しているが、その元もこの物語であるというのも初めて知った。教養がないというのはこのことだ。教養人にあこがれるエピゴーネンというものだ。
だからこの本もひたすら、「ほ~!」という感じで読み続けた。

不要不急の知識といえばそれまでだけれどもこういうものを下地として備えている人というのはやっぱり普通の人とはどこかが違うという印象を持つものだ。
そういう人にあこがれる。


ワインがメインのタイトルになっているが、ほとんどはさりげなく登場するくらいである。
そこにまた知性を感じるのだ。「明晰と陶酔の相克」が文学であると著者はいうけれども、陶酔していられないほど内容は濃い。
それぞれの物語の時代、どんなワインが飲まれていて、ギリシャ時代のワインの貯蔵法はどうであったかとか、キリストが飲んだワインの酸度はどうであったかとかいうかなり凝った話題が多かった。そして物語の舞台になった地域のワインの特徴や時代を経て変わっていった製法が与えるワインの味の違いなどを想像する。
各章とセットでそんなことを実際のワインを味わいながら考察するのだが、それはそれで面白い内容であった。著者の肩ひじはらない文体や会話もそれを面白くしているように思う。

ブルガリアのワインというのが安くて美味しいそうだ。安いということに反応してしまうのだが、物価とネームバリューにおいて、フランスやイタリアのワインというのはやはり実体価値としては大きく膨らみすぎているにちがいない。
僕もスペインのワインが美味しいと思って安いのがあればつい買ってしまうけれども、今度はブルガリアのワインというものをどこかで見つけたいと思うのだ。
コメント
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