イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「宗教で読み解く ファンタジーの秘密 I 」読了

2021年04月25日 | 2021読書
中村圭志 「宗教で読み解く ファンタジーの秘密 I 」読了

ファンタジーというジャンルというのはどういったものかと考えてみると、ハーレクイン小説、推理小説、痛快時代劇を覗いた小説はほとんどそういう名前で括れるのではないかと思う。
そんなジャンルの小説を宗教をベースにして読み解こうというのがこの本なのであるが、どうもそれはきっと難しいのではないかと思ったのが正直な感想だ。
ファンタジーだから輪廻転生や自己犠牲、蘇り、そういったものは常に使われるプロットで、そういったものは宗教の起源や信仰のベースとなっているものだ。

「風の谷のナウシカ」も自己犠牲による贖いの例として取り上げられている。以前にこの物語の評論を読んだのでそれに感化されて漫画版7巻を読んでいる途中だが、どうも僕にはそこには宗教性というものを感じない。
著者の解説も権力とケアの思想(ケアの思想とは、 個々の生活、個々の生命に対する慎重な世話のことで、権力による管理された世界の反対にあるもの)の対比というどうも宗教とはかけ離れた解釈をしているというのは、著者自身もちょっと無理があるな~と思っているのではないだろうか。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」はまったく仏教思想のなかのエピソードを小説にしているので宗教で読み解くことができるがそれは読み解くというよりも説法そのものではないのかと思う。
ただ、ここでの解説、『自我に固執する心が救いを妨げる。自我の反対は他者。自分の心に中毒を起こしている人がさらに自我を見つめ続けていてもいいことなどない。孤独な心の悪循環と他者との交わりの好循環』が大切なのだという論は心して読まねばならないとは思った。

唯一、「銀河鉄道の夜」についての法華経的世界は確かに宗教で宮沢賢治の世界を読み解いている感があった。
3年ほど前にこの本を読んだ感想は、「宮沢賢治からのメッセージを受け取ることができない。」というものであったが、少しだけ理解が進んだかという気にはなった。

とどの詰まり、おそらくファンタジーを書く作家たちすべてが何かの宗教を深く切り込んで物語を作るというよりもいろいろな宗教がらみのエピソードをつまみながら創っているというのが本当のところではないだろうか。
原作者の考えていたことは意外と単純なのかもしれないと思うのだ。読み手がそれを深く深く勝手に解釈するというのがこの手の著作なのだろうと思う。
ナウシカの評論もそうだったと思う。これなどは著者が生きているのだからそんなことは著者に聞けばはっきりわかるのだから複雑に考えることもなかろうと思うのだ。
遠藤周作も自分の著作が入試問題に出て、それの回答を書いてみたら得点を取れなかったと書いていたが、そんなものなのだろうと思う。

この本には続編があるのだが、次はどんなこじつけをするのかということと、「銀河鉄道の夜」の部分には読むべきものがあったとしてそれも読んでみたいとは思っている。

コメント
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