イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「連星からみた宇宙  超新星からブラックホール、重力波まで 」読了

2021年04月19日 | 2021読書
鳴沢真也 「連星からみた宇宙 超新星からブラックホール、重力波まで 」読了

このタイトルの本を見つけたのは、「三体」を読んでいいたとき、三体問題のような運動をするような連星はどこにあるのだろうかと思って調べていた時だった。
実際、三体問題が示す通り、この状態というのはすこぶる不安定で、もし三つの星が重力を及ぼしあっていても長くは状態を保てないそうだ。
連星の定義を詳しく書くとお互いに重力を及ぼしあい、重心の周りを楕円軌道を描きながら公転している恒星を連星と呼ぶ。だから、三つ以上の恒星が連星を作るときは、まずふたつの恒星が連星の関係になり、その連星と三つ目の恒星が連星のように重心の周りを公転するという安定した形になる。だから、小説にあるような過酷な環境で文明を築き上げた生物は存在していないことになるのだ。
小説のなかの三体問題をかかえた星系はアルファケンタウリだったが、この星系は確かに三つの恒星で形成されている連星である。しかし、やはり上記のような構成で安定しているとのことである。
もうひとつ付け加えるなら、連星とは「お互いの重力によって公転する“恒星”」であるのでイスカンダル星とガミラス星は惑星なので残念ながら連星とは言わないらしい。(確かに二重惑星と表現されていた。)

太陽は連星ではないので宇宙では単独で浮かんでいる恒星が一般的だと思いがちだが、宇宙空間に浮かんでいる恒星の半分以上が連星だそうだ。北極星、シリウス、アンタレスなども連星である。となると、普通に空を見上げて見える星のほとんどは目では見分けることができないが連星だということになる。
また、北極星は三つの恒星が連星を組んでいるそうだ。もっとすごいのは北斗七星の中の「ミザール」。ミザール自体が二組の連星が連星を組んでおり、そのうえに少し隣に見える「アルコル(この星は北斗の拳で「死兆星」という名で登場する。)」と連星になっていてこの、アルコルも連星なので6連星ということになるそうだ。

連星はどうやって生まれるか。所説あるそうだが、星のゆりかごである分子雲の中で同時に生まれた星が重力の影響を及ぼし合う例や星が出来上がる直前の分子円盤の中でふたつの星が生まれるということがあるらしい。
また、球状星団という銀河同士が衝突したとき、その周りにできる小さな星団、この星団は星が密になっている場合が多いそうだが、そういうところではお互いに捕獲し合って連星になる場合もあるという。

著者は連星の研究者だそうだが、連星を研究することによって観測、分析することは宇宙を理解することに大きく貢献してきたというのがこの本の趣旨だ。
たとえば、ブラックホールはその名のとおり真っ黒で光も出さない。だからそれ単体では観測できないが、連星のひとつがブラックホールであった場合、もうひとつの星から物質が流れ込むのだがその時に伝播やX線を放出する。その様子を観測することによってそのブラックホールがどんな状態になっているのかということがわかるので連星がなければ何も見えないということになる。
また、重力波が観測できる機会というのはそのブラックホールや同じように大きさの割に質量が異常に大きい中性子性が衝突したときらしく、これも連星を構成する恒星がブラックホールや中性子星に変化した末に起こるときにしか観測できない現象であるらしい。
星の大きさの推定にも連星は役立つ。連星の公転軌道がわかればケプラーの法則を使って星の大きさと重量もわかるそうだ。
銀河までの距離の測定にも役立つ。「Ⅰa型超新星」という星はその明るさがどこの場所に発生しても同じでこの星の見かけの明るさを測定することでこの星が含まれている星雲までの距離が正確にわかるのだ。これを利用して銀河の動く速度もわかり宇宙が膨張しているというビッグバン理論が導き出された。この、「Ⅰa型超新星」は連星のうちのひとつが白色矮星(太陽にと同じくらいの大きさの星の最後の姿)になったとき、もうひとつの星から物質が流れ込むことによって質量が増すことで爆発がおこりⅠa型超新星となるので連星が存在しなれば銀河までの距離も測定が難しいということになるのだ。
だから、連星を研究するということは宇宙全体を研究するということにつながるということになるそうだ。

連星も惑星を持っているかという疑問だが、すでに連星にも惑星は発見されている。連星のうちのひとつの星を回っている惑星もあれば、ふたつの連星の周りを回っている惑星もある。前者をS(satellite)型、後者をP(Planet)型惑星という。ルーク・スカイウォーカーの故郷であるタトゥイーンはP型惑星なので太陽が2個映っていた。

最後に、太陽はひとりぼっちなのかということに対する疑問だが、この本の中には、ヘルクレス座のHD162826という110光年離れた星が組成がよく似ていて何らかの原因でお互いが逃亡星(連星から外れた星をこう呼ぶ)になったのではないかという説を紹介しているが、僕は小松左京の、「さよならジュピター」を思い出した。この小説では、木星を太陽化するという計画が出てくるが、木星の大気はほとんどが水素分子とヘリウムから構成され、その比率は太陽とほぼ同じなのでもう少し大きかったら本当に恒星になれたらしい。だから、太陽系も連星になっていた可能性があったのではないかと思うのであった。

文章に書いていると簡単だが、連星の世界はきっとすさまじい環境にあるのだろうと思う。おとめ座のスピカは半径が太陽の7倍という巨大な恒星が4日の周期で公転しているそうだ。そんな世界とはいったいどんな環境なのだろう。当然人も近づけないような世界だ。ブラックホールを抱えた連星もしかり、中性子星が衝突する寸前の世界など紛れ込んでしまったら一瞬で死んでしまうだろう。
こういう話を読むたびにいつも思うのだが、行くことも肉眼で見ることの距離にさえ近づくことができない世界を知っていったいどうなるのかと思うし、また、こういうことを研究し続けて人類は、いまから数千年後には本当にそんな場所に観測に出かけることになるのだろうだろうかと僕には関係のないはるかな未来を想像したりもする。

もっと身近な連星の例えというと、これはまったく人間関係の象徴ではないかと思ったりする。
人間もひとりなら波風の立ちようがないけれども、どんな形であれ、近くに人がやってくると何らかの波風が立つ。もう、それは絶対だ。平穏ではいられなくなる。はたまた3人の仲間ができると三体問題ほどではなくても不安定な人間関係になってひとりがハミゴになってしまうことがあったりもする。
連星に関する現象は宇宙だけに起こっているわけではないということだ。僕は逃亡星になりたい・・。
コメント
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