イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「塔 上下巻」読了

2014年05月05日 | 読書
梅原 猛 「塔 上下巻」読了

人間が造ってきた「塔」にはどんな意味が込められているのか。をテーマに話が始まる。
西洋の塔は、キリストが復活して天に昇ったことを象徴的に、生へのあくなき欲求が塔を作らせる。そしてそれは完成をすることを知らず、機会があればどんどん高く造ろうとする。
対して、東洋、日本の塔にはどんな意図が込められているか。古墳は塔とは言えないが、その巨大さにおいて塔とおなじ意味を持っていると仮定して考えると、それは死者の威厳や功績を称えるものである。
寺院にある五重の塔はもともと仏舎利を祀るものであるから、やはり死者(仏)を祀るものだと考えられる。

では、日本の寺院は一体誰を祀っているのか。なんのために祀っているのか。それについての言及が面白い。塔には死者を祀る機能ともうひとつ、祟りを封印する機能もある。そして、日本の塔(寺院)には後者の機能が多いのだ。古代史のなかの権力闘争は熾烈を極め、殺し、殺され裏切り裏切られ、天皇家を含めてどれだけドロドロした世界であったか・・・。
殺した方は権力を得る代わりに祟りを恐れる。当然ながら科学文明が発達していない時代、ましてや神話と現実が混沌とした時代には、天変地異、病疫、なんでもかんでも恨みを残していった人々の呪いのせいなのだと思うのは無理がない。相手が強大な権力を持っていればいるほど盛大に祀らねばならない。どんどん寺院が大きくなる。
ほとんどの巨大寺院は誰かの鎮魂のためだとされている。


話はどんどん発展し、仏教、神道の政治利用にまで及ぶ。純粋に信仰のために仏教が日本に取り入れられたものではない。それはあきらかに統治のためだ。東大寺に代表される華厳宗では盧舎那仏は宇宙の中心にいる仏で、それを守る仏や菩薩のヒエラルキーは律令国家のヒエラルキーになぞらえられる。だから国家はこの形でいいのだ、仏の世界と一緒なのだ。
神、皇室の祖先の天照大神でさえも、支配者の都合で祀り上げられたのだ。東国からやってきた天皇の祖先を正当なこの国の統治者とするためもとあった土着の民が信じていた神々が邪魔になってしまい、一からげにして出雲に追放してしまった。天皇の系譜が唯一の神の系譜にしなけらば威厳を保てない。出雲大社は創建当時は高さが50メートル近くあったということだ。巨大な「塔」であったのだ。盛大に祀る必要があったのだ。

法隆寺と出雲については著者の別の著作に詳しい。楽しみだ。


古墳時代は文献はほとんどなく、古代史の時代はその情報が古事記と日本書紀しかないそうだ。それをそのまま読んでしまうと、僕たちが中学や高校で習ったことになる。しかし、これが支配者が作った歴史書と考えたら、敗者に都合のよいことは書かれない。その裏を読むと、著者のようなストーリーも出来上がる。この著作は昭和46年前後に書かれたそうだが、数々の主張が正しい考察だということで受け入れられている形跡がないことを見ると、本当に正しいのかは知らないが、どちらかというと、こっちのほうが面白い。こんな話を教えてくれていたら僕は学生時代に赤点をとらなくてすんだのではないだろうか。
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