イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

田辺湾釣行

2021年04月06日 | 2021釣り
場所:田辺湾 金谷
条件:長潮 10:25干潮 13:35満潮
釣果:チヌ 44センチ以下 7匹(1匹リリース)

今日は年に1回の乗っ込みチヌ狙いの日だ。去年は4月21日の釣行であったが今年は季節が早く進んでいると思い早めに予定を立てた。来週からは本格的に山菜採りをしなければという理由の方が大きいとなってくると僕の中のチヌ釣りのプライオリティも低くなってしまったようだ。
先週から左肩が肩甲骨を含めて痛く、これは四捨五入すると六十肩(そんな言葉があるのかどうかは知らないが・・)というやつなのか、腕が水平上に上がらず、いつも持ち歩いているショルダーバッグも持ち上げることができないありさまだが予定を変えることはできないのだ。

去年は早く到着しすぎたので今日は午前2時36分に家を出発。いつものスーパーに寄って南部のエサ屋でヌカを練っていても到着時刻は午前4時20分。出船までに40分も余裕があった。



今年も渡礁先を金谷に選んだのはふたつの理由からだ。ひとつはこの磯は風に強い。南からの風以外ではけっこうやれるので失敗が少ない。1回だけの釣行なのでできるだけギャンブルを避けたいのだ。(沖磯の渡船代が高くなり過ぎたというのもあるが・・。)そしてもうひとつは去年失くしたインターライン用のワイヤーの捜索をしたいのだ。去年の道糸のトラブルの際に失くしたのだが、あんなに狭い磯の上で失くすはずがないと考えていたら、磯の上の割れ目にできた細長い水たまりの中に入り込んだのではなかったのかということに思い至った。比重の大きいものは雨風にも流されずに残っていることが多いのでそれをサルベージしなければと考えたのだ。これについては、結果見つけることができなかった。その割れ目の前で釣っていたおじさんは、水たまりの中に手を突っ込んで、こいつ一体何をしているんだと訝しんでいたことだろう。

今日の金谷は大盛況だ。総勢10人ほどの釣り人が渡礁した。湾内でカゴ釣りの人くらいしか来ない磯だしいつもそんなに混まないから船の後ろのデッキでのんびりしていたら磯に近づくにつれてたくさんの人が舳先に移動し始めた。あれよあれよという間に先を越されて目的のポイントに入ることができなかった。この辺りから暗雲が垂れ込めてきたのだ。



まだ辺りが明るくなっていないころからダンゴを投入し始めてもまったく何の反応がない。この季節であれば普通なら1時間もすればエサ取りが現れてウキがピクピクし始めるのだがまったく生体反応がない。結果的にそれが午前10時半まで続くのであるがそれまでは何が悪いのかひたすら考える。風は穏やかで潮も速すぎないというかほとんど動いていないので底は取れている。
今日は長潮というのが悪いのか、おとといの雨が水温を下げてしまったか、はたまたエサ代をケチって中国産のアミエビを買ってしまったからか、Lサイズのオキアミの解凍を予約していたのにサイズが異常に小さいからなのか・・・。
悪い理由はどんどん出てくる。これはあとから知ったことだが、釣り座の斜めはるか右のほうでは今年初めての赤潮も観測されていたそうだ。



低く垂れこめた雲もなんだかやる気をなくさせる。



田辺湾では一応、絶対的な自信を持って釣りに来ているのだが、こんなに生体反応がないということは経験がない。
2時間が経過したころからどんどんその自信が崩れ始める。カゴ釣りの人たちは早朝から脱走真鯛を順調に釣り上げているし、向こうの紀州釣りの人たちも魚を釣り上げているので余計に自信が崩れる。
獲物がないとあと片付けが楽でいいやとか、いっそのことお昼ごろに上がって温泉にでも行ってブログのネタにしようか、寒いから温泉というネタはいいじゃないかとかそんなことばかりを考えてしまう。
しかしそんななか、ふと、一昨日の池江璃花子がオリンピック出場に内定したというニュースを思い出した。「つらくてしんどくても、努力は必ず報われるんだなと思いました」というコメントだ。チャンスの神様には前髪しかない。準備していたものだけがつかみ取ることができるのだという教訓を思い出す。
まだあきらめるには早すぎる。とりあえず底をきちんと取りダンゴの投入場所きちんと定めて投げ続ける。
そしてそのチャンスは午前10時半に訪れた。ウキがモソッと動いた。明らかに波に翻弄されている感じではない。しばらく様子を見ているとウキの玉の部分が沈んだままになった。合わせを入れると魚が乗った。
40センチに満たなさそうな魚だがなんとかボウズを免れた。しかし、オリンピックで前髪の神様の存在を実感するのとは天と地ほどの差というか、宇宙の大きさとクオークの大きさほどの差があるのだ・・。

その後、時合は午前12時くらいまでであった。ちょうど潮が動いているはずの時間帯と一致する。隣のカゴ釣りの釣り人も、「やっと釣れましたね~。」から、「よく釣れますね~。」に変わってきた。
ここまで4匹、潮は相変わらず緩いというかほとんど動いていないというか、風の向きにウキの動きが翻弄されているだけという感じだがわずかに潮の流れに仕掛けに乗った時にアタリがあるようだ。それにしても食いが渋い。かなり待たなければフッキングに至らない。ウキが動き始めて完全に見えなくなるまで待つ感じだ。素鉤を引いたのも2回ほどあった。
しかし、釣り上げたチヌは乗っ込みの走りらしく、まだ魚体は太りすぎてもいなくて精悍な面構えだ。まるで鎧武者のような風格だ。いぶし銀のような色をしたウロコの模様が甲冑の矢除けに編み込まれた金属のような感じに見えないだろうか。



山形県の庄内地方では藩士に対して集中力と間合いの鍛錬としてチヌ釣りを奨励したそうだが、この姿を見ると、鎧武者を討ち取るという気概を保つための鍛錬としても奨励されたのではないかと思うのだ。

時合であっただろう時刻を過ぎたころから雨が降り始めた。冷たい雨だ。風も吹いてくる。またアタリがなくなったが前髪しかない神様を待ってダンゴを打ち続ける。
午後1時を過ぎたころから底も取り辛くなってきた。きっと魚はいる。ウキを浮力の高いものに変えてエサを底に思いきり這わせようかと考えたが、おだんごクラブ秘伝のウキ無し釣法のことを思い出した。以前にも塔島でやってみて効果があったものだ。さっそくウキを取り外しダンゴを投入。
アタリはわからないが適当なタイミングで合わせを入れるとチヌが食っていた。底さえ取れれば魚は釣れる。新しい経験を得ることができた。
この釣法で3匹を釣り上げ午後3時半。魚の内臓を処理して迎えの船に乗り込んだ。

今日は暇な時間が多く、磯の上を徘徊する時間もあったのだが、ここもゴミが多い。ほんのわずかな時間でもこれだけ回収することができた。磯の上に残っているものは割れ目に突っ込まれているものだけなのだが、突っ込む余裕があれば自分で持って帰る算段を考えればいいのにと思うのだ。まあ、海に流されることなく磯に留まってくれていると僕みたいに釣れない釣り人が回収する場面もあるのだからそれはそれでいいことなのかもしれない。



今日は修理を終えたリールの具合を確かめる目的もあった。これは最初のうちはきちんと作動していたが後半は再びストップが効かなくなってきた。ただ、症状の出方は以前に比べるとはるかに少ないのでもう一度オイル除去の作業をやってみようと思う。

そして帰りの道中は完全に本降りになってきた。今日の田辺の気温は摂氏15.1℃だったそうだ。また冬に逆戻りしかけたなかでもなんとかボウズを免れることができたのは本当に幸運であったのだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ナウシカ考 風の谷の黙示録」読了

2021年04月04日 | 2021読書
赤坂憲雄 「ナウシカ考 風の谷の黙示録」読了

マスクが欠かせなくなって早1年。これは風の谷の物語そのままではないのかとずっと思っていた。この物語の本質を知ることはこの現代がどこに向かっているのかを知ることになるのではないかとこんな本を読んでみた。

「風の谷のナウシカ」はアニメ版とマンガ版が存在していて、マンガ版は7巻まであるそうだが、アニメ版はこのマンガの2巻目の途中までくらいの部分を若干のストーリーを変更して作られているということだ。
僕はマンガ版を読んだことはないのでネットのネタバレサイトであらすじを読みながらこの本を読んでいた。
アニメ版のその後のストーリーはこんな感じだ。
まず、ナウシカの世界の構成だが、アニメに登場したトルメキアという国のほかに、土鬼(ドルク)諸侯国、「森の人」と呼ばれる腐海の中で生きる人たち、「蟲使い」と呼ばれる巨大な蟲を操って戦う民族などが登場する。
アニメ版でも語られているが、腐海とは「炎の7日間」で汚染された世界を浄化するために生まれたとされている。そして、蟲たちはその腐海を守り、浄化のためにそれを広げる役割を果たしている。
土鬼諸侯国には、「シュワの庭」、「シュワの墓所」と呼ばれるところがあり、シュワの墓所には、腐海を生み出した蟲たちをつくり出す技術が保存されている。またシュワの庭には腐海が浄化されたあとに再び新しい世界を生み出すために保存されている人類や文化の種が保存されている。それらはすべて千年前の超技術文明がバイオテクノロジーで生み出した産物であった。ナウシカたちも浄化されてゆく世界を監視するために生み出されたのである。そしてある程度汚染された世界でしか生きてゆけない体であり、浄化が済んだ後は滅びる運命であった。
それを知ったナウシカは、清浄のみを追求し一切の汚濁を認めない旧文明の計画に反発してこれを否定し、よみがえった巨神兵を使ってシュワの庭を破壊する。

このストーリーには宮崎駿のどんな思いが込められているのか。著者はいくつかのテーマを揚げている。
ひとつは自己犠牲による聖化、穢れと清浄の二元論に対するアンチテーゼ、そして、著者の論の中には語られてはいないけれども、グローバル化への批判というものも含まれているのではないだろうか。

自己犠牲による聖化というのはドラマを作るときのプロットとしては王道だろうから置いておくとして、コロナのこの時代を解釈するとなるとやはり、「穢れと清浄の二元論」となるであろう。まさか中国が遺伝子を組み替えて生み出したわけではないだろうが、清潔になりすぎたこの時代を生きている人類はコロナウイルスに対する耐性を失くした故にバタバタと斃れるほかなかったのではないかと思えるのだ。人はそれに対抗する策として、手洗い、うがい、お大師様の貴い教えをバカにしたような三密など言いながらウイルスから逃げることしか考えていないように見える。

ナウシカが、旧人類が未来のために残したある意味希望ともいえる種を破壊してしまったというところに何かのヒントが隠されているのかもしれない。
ナウシカは自分たち人工的に生み出された種族は必ず滅びる運命にあることを知りながら旧文明が残した種を破壊する。この種を破壊しようとしまいと自分たちは滅びる運命にあるのは確実だ。それがわかっていて残酷にもひとつの種を滅ぼしてしまう。
それはなぜであったのだろう。
浄化の後に復活する新人類は争いを知らず、歌や詩に身を委ねる生活をするようにプログラムされているという。しかし、ナウシカはそれに反発する。ハイデッカーは、すべての労働者がついに正当な権利を保障され、余暇時間も保証された労働者たちは、休日をたとえば高度に技術的に組織されたレジャーランドで過ごすに違いない。すべてが機能化した世界で、すべての機能が十全に機能しても問題が解決するわけではないという。
ナウシカはすべてが機能的にプログラミングされた世界のいかがわしさに気づいたのいだと著者は考えた。
IT技術が発達し、そんな世界が間近に迫っているような気もする。地震や大雨などの異常気象というのは、そういったいかがわしさを阻止すべくこの星が警鐘を鳴らしているのではないかとそんな思いも持つ。
また、プラスチックゴミや大気汚染、コンクリートで固められた地表に対しては津波という鉄槌で我々に押し戻すことでしっぺ返しをしようとしているのではないかと思ったりもしてしまう。

清潔な世界に浸りきった時代にはそうすることしかないのかもしれないが、すべては清浄か穢れの両極端では人は生きてゆけないという警鐘ではないのだろうかと思えたりもするのである。
また、人の心の中でも同じことが言えるのではないだろうか。
すべての物、コトに対して潔癖に生きてゆきたいと思うとどこかで必ず人間関係に無理が出てくる。清濁併せ呑むというのが円滑な人間関係を保つ秘訣だ。それができない人は生きづらい。本当に生きづらい。匿名でいろんな人を攻撃する人たちも、自粛警察と言われるような人たちもそんな類の人たちなのだろう。彼らもきっと心の中では生きづらさの中を生きているのだと思う。


風の谷も未来少年コナンの舞台となるハイハーバーも人口規模では500人程度の集団という設定だそうだ。どちらも高度に発達した文明が崩壊し非常に原始的な生産活動で村を維持しており国家元首や王というような存在がいない共同体のような世界に見える。
これは社会学的な話で、宮崎駿が表現したい生死感や人生観の範疇ではないのであろうが、この時代を生きる上でのグローバル化へのアンチテーゼのようにも思うのだ。

たかがアニメという言意味では、単に世界の歴史のトピックや当時の科学の話題を繋ぎ合わせて物語を作っているのだろうと思うとこころもあるのだが、マスクをしなければ死んでしまうような時代を予言しているという部分だけを取ったとしてもこの物語は現代に生み出された黙示録ではなかったのかと思えてくるのである。

この本は2019年に出版されているのでコロナウイルスの蔓延ということを著者は知らないはずだ。
もし、2年遅れてこの本を著者が書いたとしたら、どんな回答を得たのだろうか。それも知ってみたいと思うのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山菜採り

2021年04月03日 | Weblog
夕べ、田中邦衛が亡くなったというニュースが流れていた。
田中邦衛が出演していたドラマ、「北の国から」の登場人物に「こごみ」という人がいた。小島美ゆきが扮していたのだが、もう、この女優さんを知っている人なんてわずかしかいないだろう。僕の世代では日曜日の午後、TVジョッキーというテレビ番組でアシスタントをしていた。調べてみると、なんと50年前のテレビ番組だそうだ・・・。
「こごみ」はスナックのホステスで、五郎が下心丸出しで彼女の家に泊まりに行くのだが、そこで、「今、カイコウケンとタカナカマサヨシに狂っているの・・・」と言われ、五郎はそれが誰だかわからずに意気消沈してしまうという、そんなシーンがあった。

そいうわけで発作的にコゴミを採りに行こうと思ったわけではないが、今年はけっこう暖かいので例年ならコゴミは僕の中では4月9日が基準日なのだけれども今年は1週間早めに行ってみた。
ここは森に暮らすひまじんさんに教えてもらった場所なのでひとりで行くとなるとこれは抜け駆けということになってしまうのだがお許しください・・・。

ひとに見られると場所を知られる恐れがあるので暗いうちに家を出ようと思っていたのだが、もたもたしていたら出発が午前5時になってしまった。その頃にはすでに東の空は明るくなっている。どんどん夜明けが早くなってくるのだ。

ちょうど1時間でコゴミスポットへ到着。車を停めて入っていくと、なんだか様子が変だ。よく見ると何もない・・・。工事が入っているようだ・・。なんでこんなところを工事するのかというのがまったくわからないがコゴミのコロニーがすべて無くなってしまっていた。
しかし、ここはかなり広範囲に群生しているのでもっと奥の方に行けばどうだろうかと思い入っていくと、かろうじで少しだけだがコゴミが残っていた。

 

しかし、自然の回復力はすごい。すでにコゴミの芽が出始めている。またもとの群落に戻ってくれることを願いたい。



この場所のほかにもう1か所ポイントがあるので移動してみると、こっちは無傷で残っていた。ほっとひと安心だ。
ここでも大きいものだけを選りながら採り込んでコゴミの収穫は終了。

しかし、今年はやっぱり早かった。ここでもすでに大きくなりすぎている芽がたくさんあった。この分では生石山の山菜たちも今月の中頃くらいにはいろいろな種類の山菜が採れるようになっているのかもしれない。



途中にある桜たちもすでに散り始めている。コゴミの採り頃は桜が満開になるのと同時のような気がしているのでやっぱり季節はいつもよりも早い。



峠を越えてふもとに戻る途中には以前から見つけていたコシアブラの木がある。梢のほうの葉はかなり膨らんできている。これから一気に大きくなっていくのだろう。




今日の目的はあとふたつある。ひとつはカブトムシの獲れる木を見つけることだ。いつも野菜をもらう叔父さんの甥(僕とはまったく血縁関係はない)の子供がクワガタがほしいと去年から言っていたらしく、去年も8月に近くなってから獲れるところをしらないかと聞かれて、さすがに今からではもう遅いのではないかと思い、来年は絶対獲りに行こうと約束していた。それの下見だ。最後にカブトムシを獲りに行ったのは何年前だろうかと調べてみると13年前にもなる。こういうことも好きなのだが、子供のために獲ってやるのだという大義名分がなければさすがに行けない。いい歳をしたおっさんが何の理由もなくカブトムシと叫びながら山の中をウロウロしていたら恐ろしい。
そんなわけで突然新しい大義名分が生まれたというわけだ。

大場所としては2か所知っているのだが、1か所はすでにブッシュに埋もれて近づけなくなっていた。もう1か所は13年前とほとんど変わらずクヌギの大木が残っていた。



夏になったら、案内役と称して行ってみようと思う。

そしてもうひとつの目的は先月亡くなった叔父さんの葬儀のときにみつけたワラビが生えていそうな場所の探索だ。ここは以前、養鶏場があり、鶏糞を捨てるのですごいワラビが生えているという噂のあった場所だ。今はソーラー発電所になっている。火葬場へ行く途中にそこを通ったのだが、どうも発電所の端っこに入れそうな開けた場所があり、ワラビがあるかもしれないと目をつけていた。
しかし、期待していたほどワラビはなく、ほんの一握りだけ、小鉢一皿分ほどしか採れなかった。

  


家に帰って叔父さんの家にコゴミを持って行き、港に行くと、にわかに強くなってきた南風に吹き飛ばされたか、章魚津子山の方から飛んできた桜の花びらが海面にたくさん浮かんでいた。



麓ではすでに春が終わってしまったようだ。しかし、生石山は1ヶ月ほど季節が遅れるので僕はまた春を巻き戻すことができるのだ。

締めくくりとして近所のガソリンスタンドで室内の掃除。



僕の奥さんは山菜採りは汚いと思っているらしく、帰って来るといつも嫌な顔をする。この車を買った最初の年に生石山から帰ってきたあとでマダニに噛まれたというトラウマがあるというのはわかるのだがなんともひどい仕草だ。
だから、それ以来、車の中に殺虫剤を積み込んで移動の度に室内を燻蒸し、最後にマットを含め室内に掃除機をかけるようにしている。めったに乗らない車だったので先代のイレグイ号を手放してしまったが、やっぱり自分専用の車は必要だとつくづく思うのである。





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする