外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

帰国者の戸惑い(3)2本の細い棒を操って食事をするということ

2011-07-19 16:41:09 | 日記
フィレンツェの知人宅での和食パーティー。豪華でしょ。


もちろん、ほんの数年海外で暮らしたからって、箸が使えなくなるなんて話は聞いたことがない。子供のころに習得して、長い間毎日実践してきたこの伝統技術を、人間はそう簡単には忘れないようにできているらしい。
でもほら、使い方がヘタになっちゃった人はいるかもしれないよ。私みたいに・・・

そもそも私は左利きなせいか、手先が不器用で、子供の頃から箸を使うのが上手くなかった。特にご飯粒と豆類が苦手である。というのも、ちょっと気を抜くと箸から逃げて、お皿や茶碗にぽそっと落ちるからだ。落ちたやつをさりげなく(のつもり)拾って、また口元に持っていこうとすると、再びぽそっと落ちる。このように何回もふりだしに戻ってしまうので、非常にいらいらする。
あの柔らかいお豆腐を破壊せずに箸ですくうのも、私にとっては集中力を要する作業である。卵豆腐などはつゆに浸かっているので、普通の豆腐以上に逃げやすく、壊れやすい。そして一度破壊してしまった豆腐を箸ですくうのは、もはや不可能。スプーン様の助けを借りるしかない。
こわれてしまった豆腐は二度と元には戻らない。それはまるで恋心のよう・・・。

外国暮らしの間も、自炊してご飯を炊いたり、友人宅でご馳走になったりして、わりに頻繁に和食を食べてはいた。今どき、外国で和食材を手に入れるのはそんなにむつかしくないのだ。どこの国でも、アジア食材店か、大きなスーパーのアジア食材コーナーに行けば、必要最低限のものは手に入るし、しょうゆにいたっては、イタリアでも中東でも、そのへんの普通の商店で買えるのだ。エジプトでは納豆さえ手に入るらしい。


でもいつの頃からかしら、私にとって箸が「台所に飾ってあるアジア風装飾品」に成り下がってしまったのは。

思うに、それはイタリアのフィレンツェに住んでいた頃だった。
和食器など持っていなかったので、和食を作ったときは、サラダ皿にご飯を入れ、パスタ皿におかず(野菜炒めなど)を盛っていた。味噌汁はマグカップである。
サラダ皿に入れたご飯を箸で食べたことはありますか?
あれはかなり難しい。というのは、お茶碗で食べるときは、茶碗の側面を利用しながらご飯をすくえるが、浅いサラダ皿ではそうはいかないからだ。私はやがて箸をあきらめ、フォークで代用するようになった。そうすると、おかずを食べるためだけに箸に持ち変えるのも手間なので、常にフォークだけを使うようになってしまった。必要なときはナイフやスプーンで補う。
そして、いつしか箸の存在を忘れてしまったのだった。

そんなある日、日本人の友達に誘われて、和食屋に行くことになった。
フィレンツェには日本人が経営しているラーメン屋がある。そこで私はチャーシュー丼を選び、友達はラーメンと餃子のセットを頼んだ。私のチャーシュー丼は、当然割り箸と一緒に登場した。大ぶりの自家製のチャーシューが、ご飯の顔が隠れるほどに所狭しと敷き詰められていて、とてもおいしそうである。
私は割り箸を割って、いただきま~す、と食べ始めた。

ところがたれに濡れたご飯を箸で口まで運ぶというのは、思いのほか難しかった。たれのせいで、ご飯粒がばらばらになりやすいからだ。しょうがないので友人に笑われながら、恥を忍んでフォークを頼んだのだが、フォークが到着してから食事を再開すると、今度は別の問題が発生した。
フォークを使うとご飯は簡単に食べられるのだが、逆にチャーシューが食べにくくなるのだ。チャーシューの大きな一切れを、フォークで突き刺して口に運ぶと、噛み切るときに口の周りがたれまみれになり、非常にみっともない。箸だったらチャーシューを折りたたんで上品に口に入れられるのに。

友達に相談すると、じゃあナイフも頼めばいいんじゃない?と助言してくれる。
日本人がヨーロッパの和食屋で、ナイフとフォークでチャーシュー丼を食べる・・・
明らかに妙な絵面である。一体私は何者なんだ?
しかも考えてみるに、ナイフとフォークを適切に動かしてチャーシューをカットするためには、安定した平たい土台が必要である。柔らかいご飯の上に乗っかったチャーシューをナイフとフォークで切るのは無理がある。
丼物というジャンルの食べ物は、非常にアジア的な食べ物であって、ナイフとフォークを使って食べるべきではないことを、私はこのときにはっきりと認識した。

結局その場はナイフを頼まず、フォークだけを使って乗り切ったが、みっともない食べ方だったのには間違いがない。

その日以来、私が箸修行に励んで、一人前の日本人として自在に箸を操れるようになったかというと、その逆で、ますます避けて通るようになった。「苦手分野を克服するために努力する」という概念は、私の性格に相反する。無理しなくていいのよ、楽できるところは楽すればいいじゃないの、面倒なことは忘れておしまいなさい、なるようになるさと、私の心に住んでいる地中海のおきらくな黒猫がささやくのだ。
それだからといって、別にナイフやフォークがエレガントに使えるようになったわけではなく、熊のようにぎこちない所作でしか使えないのだった。不器用な人間って、そういう生き物である。

2ヶ月前に帰国してから、毎日和食を食べることになり、なんだかんだいっても箸のみを使って食べることにも慣れてきた。しかし自宅で豆腐や納豆ご飯を食べるときは、やはりスプーンを使っている。だってそのほうが簡単だし、合理的としか思えないもん!
しかしふと周りを見渡せば、みんなあの先の尖った細い2本の棒をすいすいと自在に操り、涼しい顔でごはんを食べている。これはまったくもって「東洋の神秘」である。




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