外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(16)~ヨルダン4日目前編・シリア国境へ~

2023-08-29 07:53:46 | ヨルダン(猫中心)

 

 

今回は去年の旅行記の続き。ヨルダン滞在の4日目、北部のシリアとの国境地帯に日帰りで行った時の話だ。

 

私は海外を旅する時、自主的な言語研修を兼ねてトルコとイタリア、そしてどこかアラブの国を回ることが多い。アラビア語・トルコ語・イタリア語が専門だからだ。今回アラブ諸国の中でヨルダンを選んだのは、イタリアから格安のライアンエアーを利用できたことが主な理由。そして、ライアンエアーの便(週2)やトルコでの予定の関係で、ヨルダンに7泊することになったのだが、それにあたって、ずっとアンマンに滞在するか、あるいは移動して違う街を観光するか少し迷った。アンマンはかつて住んでいた街だから、今さら観光する気もしないし、ずっと同じところにいると退屈するかもしれないと思ったのだ。

 

私はペトラや死海、ワディラム等のヨルダンのメジャーな観光スポットをちゃんと観光したことがないので、その辺を回ろうかとも考えたが、入場料や宿泊費が高くつきそうだし、そもそも、どこも夏に行くには暑すぎるからやめておいた。イルビッド辺りに2,3泊して、そこを拠点にまだ行ったことのない北部の地方を巡ろうかとも考えたが、やはり暑い中重い荷物を持って移動し、ホテル探しをするのは大変そうである。結局アンマンにずっと連泊して、他の地域を日帰りで訪れることにした。幸いヨルダンは小さな国なので、どこでもアンマンから日帰りで行けるのだ。

 

前置きが長くなったが、そういうわけで、この日は北部のシリア国境に近い街ラムサに行ってみることにした。

 

 

下の地図のヨルダン西北端(左上)のar-Ramthaってとこ

(改めて地図を見ると、ヨルダンとその周辺諸国の国境は、あからさまに人工的に引かれた直線の部分が多い。サイクス・ピコ協定のせいだ)

 

 

ヨルダンとシリアの国境検問所はだいぶ前に再開して、ヨルダン人やヨルダンの滞在許可証(イカーマ)を所持しているシリア人は、出入りできるようになっていた(イカーマのないシリア難民はヨルダンに入国できない)。しかし、外国人がその場でビザを取得してシリアに入国することは出来ないし、仮に出来たとしても、国境付近のシリア南部の治安情勢は当時悪化していたから、入りたいとは思わなかった。ただ、国境の近くまで行って、久しぶりにシリアの風景がほんの少しでも眺められたら、それでいいと思った。

 

洗濯やPC作業などをしてから、11時半頃にようやく出かけ、セルビス(乗り合いタクシー)で北ターミナルに出て、ラムサ行きのセルビスに乗り換えた。ラムサまでは3JD(約600円)で、2時間かからなかったと思う。

 

車窓から見た風景 緑が多い地域もあった。

 

 

ラムサのバスターミナルは街中にあって便利

 

 

バスターミナルに着いてから、すぐにシリア国境行きのバスやセルビスを探したが、その辺にいた運転手たちの話では、国境に行くバスはなくてタクシーで行くしか方法がなく、少なくとも片道6JD(約1200円)はするということだった。

 

 

出せない金額ではなかったが、貧乏旅行には痛い出費だし、タクシーはあまり使いたくなかったので(タクシー苦手)、国境に行くのはあっさり諦め、とりあえず近くにあったファラーフェル屋に入った。もう14時近くで、お腹が減っていたのだ。ファラーフェルサンドを買い、冷房の効いた店内で食べさせてもらう。

 

 

家庭的な雰囲気のファラーフェル屋さん

 

観光客であることをアピールするため(なぜ)、ファラーフェルサンドの写真を撮る私。

 

 

店を出てから、腹ごなしにラムサの街中をぶらぶら歩いていたら、シリア人経営と思しきお菓子屋さんが目についたので、入ってみた。

 

 

店名は「الدمشقي 」=アッディマシュキー、「ダマスカスの(人、物)」という意味

 

 

細長い店内には、いかにもシリア製のきらびやかな銀紙に包まれたチョコレートや、フルーツを砂糖煮にして乾燥させたお菓子、ナッツ類などが並んでいた。

 

 

トルコでお世話になる予定の友人のためにお菓子を少し買い、レジのところにいた男性に話しかけてみたら、彼はこの店の経営者だった。シリア人ではなくヨルダン人だったが、長年シリアとの貿易に従事しているとのことだった。売り物のお菓子はシリアで買い付けたものだという。

 

店主は私にアラビックコーヒー(ヘドロが沈殿しないやつ)と水を振舞ってくれ、シリアやヨルダンについて色々話してくれた。彼によると、当時シリアでは電力不足が深刻で、1日4時間ほどしか電気が来ない状態だったようだ(今どうなっているかは知らないが、経済状況はどんどん悪化していると思われる)。治安面では、アサド政権支配地域、北部のクルド人勢力支配地域、そして反体制派支配地域(イドリブとその周辺)は安定しているが、南部ダラアは不安定で混乱した状態にあり、それ以外の土地では過激派が多いとのことだった。彼の言う「過激派」がどの勢力を指すのは不明だが。

 

ヨルダンの経済状況については、彼は「物価が高騰しているのに給与は上がらず、仕事もあまりなくて皆大変だ」と説明した。ヨルダンの人と世間話をすると、たいていの人がそう言う。彼自身の商売は順調のようだったが。ラムサに住むシリア人の数について質問したら、だいたい10万人くらいで、彼の従業員にもシリア人が数人いるとのことだった。ヨルダンに暮らすシリア人の多くは内戦のため避難してきた難民だが、その大半が難民キャンプではなく街中でアパートを借り、ギリギリの生活を送っている。こういう店で働けるシリア人はラッキーなのだ。なお、ウィキペディアによると、ラムサの2021年の人口は26万人余りらしい。

 

菓子屋を出てから、少し街を散策したが、特に見るべきものもないので、バスターミナルに戻った。せっかくここまで来たのに、このままアンマンに帰ってしまうのは少しつまらないと思っていたところ、マフラク行きのミニバスが目に入ったので、それに乗ることにした。マフラクもラムサと同様、シリア国境に近い街なので(上記の地図のAl Mafraq)、シリア料理店などがあるかもしれない。ラムサからマフラクまでは0.7JDで、わりとすぐ着いた(30㎞くらい)。

 

マフラク行きのミニバス

 

(故サッダーム・フセインは人気があるようで、彼の写真やイラストはヨルダンで時々見かける)

 

 

マフラクのバスターミナルも街中にあった。中心部の商店街はラムサよりも規模が大きいように思えた。

 

 

家畜用のベル?を売る店

 

伝統的な刀も売られていた。

イエメンのジャンビーヤと違って、あまり曲がっていない。

 

 

イエメンのジャンビーヤは三日月刀(参照

 

 

午後の強い日差しの中、よろよろとマフラクの街を散策していたら、狭い商店の店先に座っていたおじいさんが手招きし、座って水を飲んで行けというので、言われるままに彼の向かいの椅子に腰かけた。彼はシリア人だが、ヨルダンには40年くらい前から住んでいるという。

 

おじいさんは店の奥から大きな水のペットボトルを取ってきて、シリア人がよくやるように、高く持ち上げて口を付けずに注いで飲み、それを私に回した。私はこの水の回し飲みが苦手なので(必ずこぼすから)、ほんの少しだけ飲んで返した。考えてみれば、あれもコロナ感染源になりうるから、飲むべきではなかったかもしれない。この時は大丈夫だったが。

 

その店は入り口が狭くて奥が細長い鰻の寝床的な構造で、カゴに入った小鳥や石鹸、刻み煙草など、様々なものが売られていた。石鹸はアレッポのオリーブ石鹸で、小さいものが1個0.15JD(約30円)だった。1個だけ買ったが、お土産に良いサイズだったので、もっと買えばよかった。

 


小鳥の鳥かごが沢山あった。アラブ人には小鳥好きが多い。

 

 

おじいさんはシリア北西部イドリブ県のマアッラト・ヌアマーンの出身で、ヨルダンに移住してからも向こうに家を2軒所有していたが、空爆で破壊されたそうだ。しかし、彼はあまり政治的なことは話したくないようで、逆に私の事を色々聞きたがった。どこの出身か、結婚しているか、年はいくつかなど、初対面のアラブ人男性が必ずする類の質問だ。

 

彼もそうだったが、ヨルダンでは出身地を聞かれる時、「どこから来たの?アメリカ?」と言われることがよくあった。フランス、韓国、中国辺りも多かったが、アメリカ人かと聞かれることが一番多かった。私の見た目は明らかにアジア人だと思うんだが、彼らはなぜ私がアメリカ人だと思ったのか。アジア系アメリカ人?

 

おじいさんの店を出てから、商店街をぐるりと回ってみたが、シリア料理店やシリア菓子店などは見当たらず、ありきたりの衣料店や食料品店などが並んでいるだけだった。暑い中を歩き回るのに疲れてきたので、もうアンマンに帰ろうと思い、目の前の店にいた店員の若者にバスターミナルの場所を聞いたら、どこに行きたいのかと聞かれた。

 

「シリア国境に行きたいけど、バスがないらしいから、アンマンに戻ろうと思っている」と伝えたら、彼は「国境に一番近いジャーベルという村に行くバスならある」と言った。ラムサで国境行きのバスはないと言われたから、すっかり諦めていたが、なんとマフラクには国境のすぐ近くまで行くバスがあるという。思いもよらない展開だった。ここで彼に出会わなければ、気づかずにアンマンに帰っていたかもしれないと思うと、なにかに導かれているような、不思議な気分になった。

 

彼はフスハー(アラビア語の標準語)で話してくれ、日本のアニメが好きで日本に行ってみたいなどとキラキラした瞳で語りつつ、私をジャーベル行きの乗り合いミニバス(ワゴン車)の発着地点に案内して、もうすぐ出発しそうな車両を見つけてくれてから、爽やかに去って行った。

 

 

好青年の見本のような若者

 

 

ジャーベルまでの運賃は1JDで、私が乗ったミニバスはすぐに出発した。

 

 

乗客は6人だった。

 

 

車はマフラクの市街地から離れ、しばらく郊外を走ってから、ジャーベルの集落に着いた。他の乗客が全員降りて行き、運転手が私にどこに行くのか尋ねたので、国境の向こう側のシリアを見に来たのだと答えたら、そのまま乗っているよう言って車を走らせ、国境検問所の手前まで行ってくれ、さらに国境沿いの障壁やその向こうのシリア側(ダラア県)が見晴らせる場所にも回ってくれた。ミニバスのルートは本来ジャーベルの集落までのはずだが、彼が国境地帯に行きたいという客を乗せるのは、初めてではないようだった。

 

 

運転手は軍の身分証を持っていた。本職は軍人で、ミニバスの運転手は副業かもしれない。彼は「これはヨルダン軍の監視スポット、あっちはシリアのムハーバラート(情報機関)の建物」などと解説しながら、ゆっくりと車を走せた。

 

 

 

 

やがて、国境検問所についた。検問所のヨルダン側はマフラク県のジャーベル、シリア側はダラア県のナシーブだ。

 

 

 

 

シリア側からヨルダン側に入って来るトラックや、駐車しているトラックが何台かあった。私が車の中から写真を撮っても、ヨルダン軍からのチェックは特になかった。検問所の前で待っている女性が2人いたので、運転手に尋ねたら、家族の到着を待っているシリア人だとのことだった。

 

 

検問所を離れて、シリアが見晴らせる場所に着いたら、彼が車を停めてくれたので、降りて写真を撮った。

 

 

 

 

ヨルダンが国境沿いに建設したコンクリートの障壁の向こうがシリアだった。シリアの風景を間近で目にするのはずいぶん久しぶりだったので、なんだかピンと来なかったが、シリアはヨルダンの隣国で、アンマン・ダマスカス間はバスで3~4時間の距離なのだった。かつてシリアに滞在していた頃、ビザ更新の関係で定期的に出国する必要があり、一度ダマスカスからアンマンまで陸路で旅したことがある。

 

 

国境のどちら側も、多少灌木が生えているだけで、他には何もない荒地だった。ヨルダン側は、羊の群れを放牧する場所になっているようだった。

 

 

羊飼いの少年

 

 

草、あんまりなさそう

 

 

 

運転手は気の良さそうな男で、道すがら会う村人と挨拶を交わしたり、「母や妻に会わせて歓迎したいからうちに来ないか?」などと誘ってくれたりしたが、自分の隣の席に座れと何度も言ってくる辺りがどうも怪しかった。2人きりの車内で運転手の隣りに座るとろくなことがないのは目に見えているので、私は頑として断って後ろに座り続け、もうアンマンに帰りたいからマフラクのバスターミナルに戻ってほしいと頼んだ。

 

すると彼は、もう17時を過ぎているからマフラクに行く便は終わっている、マフラクに行きたいなら車を借り切って他の乗客の分も払ってもらう必要があると言い出した。そうすると、6人分の運賃を1人で払うことになるので6JDだ。本来1JDで済むところが6JDというのは高いので、値段交渉をした結果、行きの分を合わせて往復で4JDでいいということになった。タクシーよりずっと安いし、国境沿いを回ってくれたわけから、そのくらいはしょうがないだろう。

 

彼は多少怪しい所はあるものの基本的に親切な男で、私にアンマンのどこに行きたいのか聞いてくれ、ダウンタウンだと答えたら、ダウンタウンに近いラガダン・バスターミナルに行く乗り合い自動車が集まっている場所に連れて行ってくれ、そこに停まっていた車の運転手に私の事を頼んでくれた。その車は当局の認可を受けた正規のミニバスではなく、無許可の覆面乗り合い自動車だったが、運賃は3JDで同じなので、特に問題はなかった。金曜日や夜間などの正規のバスやセルビスの便が少ない時に何度か乗ったことがあるので、もう慣れてきた。

 

 

ラガダン行きの乗合自動車が集まる通り

 

 

間もなく乗客が揃って車が出発し、かなりスピードを出して飛ばしたおかげか、予想より早く18時半頃にラガダンに着いた。

 

 

アンマンの街が前方に見える

 

 

ラガダン・バスターミナルでお出迎えしてくれた猫さん

 

 

かなり疲れていたので、少し休憩することにして、バスターミナルに入っている菓子屋でハラーワト・ジュブンを買い、石段に座って食べた。ハラーワト・ジュブンは日本人の間でハマロールとも呼ばれるシリア発祥のお菓子で、チーズ入りのセモリナ粉のモチモチした皮でクリームを巻き、シロップをかけて甘みを付けて、ピスタチオ粉末がふりかけてある。よく冷えていて、優しい甘みが舌に心地よかった。疲れている時は甘いものが美味しい。でも、キンキンに冷えたジョッキの生ビールがあればもっと良かったんだがな。(ないものねだり)

 

 

 

 

このお菓子を嫌いだという人類に会ったことがない。

 

 

食べ終わったら、バスに乗って、ダウンタウンの市場のある界隈に向かった。夕食用のサンドイッチを買うためだ。そこで思いもよらぬことが起こり、猫助けに手を貸すことになるのだが、長くなりすぎるので、その話は後編で。

 

 

「アンタ話が長いにゃ~」

 

 

すいません、要約や取捨選択が苦手なもので、ゴホゴホ…

 

 

(続く)

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2 コメント

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ウンム・キタト・ミチさんへ (Zhen)
2023-08-30 23:14:05
コロナから生還されたのかな、と思いつつ、文末の「ゴホゴホ」熱烈なファンとしては心配です。僕の周囲でも最近のコロナ生還者、特に女性は、陰性化しても、咳や喉の具合が悪いようです。早く元気になってくださいね。

ところで、ペットボトルに口を付けずに回し飲みするのは、インドネシアの製造現場も同じ。僕もうまく飲めるか自信がなくて、遠慮してました。

あと、やっぱりミチさんは、モテモテなんですね。ミニバスの発着点を教えてくれた日本のアニメ好き好青年と言い、下心がチラチラのタクシードライバーと言い。イイ女は、羨ましい&気をつけてね。

では、また。早く、本調子になって、続き、お願いします。
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Zhenさんへ (ウンム・キタト・ミチ)
2023-08-31 16:18:58
Zhenさん、ご心配をおかけしまして申し訳ないです~コロニャからはすっかり回復して、少なくとも今のところは何の後遺症もないです~何をやってもすぐ疲れるし、集中力が限りなくゼロに近いけど、きっと元々+暑さのせい…(ゴホゴホは他意のない冗談です)

日本のアニメ好きの青年は、誰にでも親切だと思いますし、下心ありのドライバーは、アラブ人男性に一定数いる、一人旅の外国人女性を見たらとりあえず近寄ってみるタイプじゃないかと~モテモテじゃないけど、その方が気楽でいいです。猫ならモテモテになりたいですが~

早く続きを書きたいですが、残暑が厳しすぎてなかなか…でもなんとかがんばりますのでよろしく~
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