外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

ヨルダンの滞在許可延長の手続き

2013-03-18 23:26:09 | ヨルダン(猫中心)
オリーブの木陰で雨宿り




ヨルダン入国から1ヶ月たったので、滞在許可の延長のために、近所の警察署(ジャバル・アンマン地区管轄)に行った。

日本人は入国の時に空港で無料のビザがもらえるのだが、その期限は1ヶ月なので、それ以上滞在する場合は自分で延長手続きを行う必要があるのだ。

警察署の入口にいる門番係の警官に用向きを述べたら、2階へ行けと指示されたので、そちらに向かう。
これは日本式の2階だった。
階段を上って「外国人」という札のある左奥の部屋に入ると、担当の警官が3,4人と、イカーマ(長期滞在許可)の延長手続きに来たらしい外国人が数人いた。
部屋の人口密度は低く、全体にリラックスした空気が流れている。
イタリアの移民事務所のような殺伐とした収容所的な閉塞感や、シリアの移民・パスポート局のような、大人数の障害物競走・スタンプラリー的な慌ただしさを予想していたので、拍子抜けすると同時に安心した。
ふふ、ここの手続きはちょろそうやわ・・・。

警官のひとりが申請用紙を手渡してくれた。
これに記入して、別の部屋でスタンプをもらってこいという。
記入内容は、申請者の氏名、国籍、母親の名前、パスポート番号、発行年月日、現住所、電話番号などに加えて、家主の氏名、国籍、身分証明書の種類とその番号・発行年月日、電話番号などだ。

なぜ母親の名前を記入する欄があって、父親の名前の記入欄がないのか不思議だが、それにこだわっている場合ではない。

・・・家主の身分証明書の種類と番号と発行年月日?
そんなことを私が知っているわけがあろうか。

家主の息子(私と同じ建物に住んでいて、管理人的な役割を果たしている)に電話をかけて、必要な情報を聞き出そうとしたが、アラビア語ではもちろん、英語に切り替えてみてもうまく聞き取れない。
我ながら、かなり慌てているようだ。
相手もこちらの状況がよくわかっていないみたいで、はかばかしい返事が返ってこない。

いったん家に帰って直接記入してもらうしか手がなさそうだ。
警察がこの業務を終えるのは2時半だという。
警察署はうちから徒歩10分の距離だ。
家主の息子が仕事から帰ってくるのは2時頃の予定なので、帰宅を待って記入してもらい、急いで戻ればなんとか間に合うだろう。

警察署を出ると、外は雨が降っていた。
ヨルダン入国以来、初めての雨である。
急ぎ足で家に向かったが、途中で雨足が強くなったので、オリーブの木陰で雨宿りをした。
オリーブの木陰で雨宿り・・・なんだか詩の題名みたい。

家主の息子は2時になっても戻ってこなかったので、結局、家主本人とそのご主人に記入をお願いすることになった。
彼ら夫婦は別の建物に住んでいるが、昼間はたいてい息子の家にいるのだ。
私の家主のファーティマさんは「ほがらかで気だてのいいおばあちゃん」のお手本、といった風情の親切なパレスチナ人女性だ。
家の賃貸契約の時もそうだったが、ファーティマさんはこういう事務手続きが苦手らしく、記入はご主人に任せて最後にサインだけしてくれた。

書類を携えて、再び警察署に向かう。
2階へ上がり、最初とは別の部屋にいる女性警官のところに行って、申請用紙にスタンプを押してもらったのち(記入内容を読みもせずに押してくれた・・・)、最初の部屋へ戻る。

そこには担当警察官が2人だけ残っていた。他には誰もいない。
もうすぐ店じまい、といった雰囲気だ。
用紙とパスポートを差し出すと、ビザ代として20ディナール払ってもらう必要があるといわれた。
「ヘンだな、お金がかかるとは聞いたことがないが。まあいいか」
と、カバンを探ってお金を用意していると、警官は私のパスポートを凝視しながら、
「君のパスポートにはそもそも入国時に貼るはずの有料ビザ・シールがないが、なぜなんだ」と騒ぎ出した。
日本人は入国ビザが無料なんだよ、と説明したら、2人はそれについて話し合いを始め、結局空港に電話をかけて確かめることになった。
空港の担当官はもちろん、日本人は無料だと請け合ってくれたので、一件落着。
20ディナール払わずに済んで、なんとなくもうけた気分(違うって)。
日本人以外では、トルコ人やバチカン市国の住民も無料らしい。
バチカン市国の住民がジャバル・アンマンの警察に来て、滞在許可の延長を申請するという状況はうまく想像できないが・・・。

警官たちは日本の桜について質問したり、私の滞在目的を聞き出したりしながら、おもむろに申請用紙の内容をコンピューターに登録し、最後にようやくパスポートに滞在許可のスタンプをポンと押して、有効期間を記入してくれた。
有効期間は2ヶ月である。

2ヶ月後にはまたここに来なきゃいけないの?と聞くと、
「いや、次は内務省に行ってもらうことになる。血液検査も必要になる」
という返事だった。
内務省・・・血液検査・・・なんだかトラブルの匂いがプンプンする。
でも2ヶ月先のことだから、今考えなくてもいいや。
思ったより手間がかかったけど、結局1日で手続きが終わってラッキーだったといえよう。

2人をねぎらい、門番のお兄ちゃんにも笑顔を振りまいて、私は警察署をあとにした。
雨はすっかり上がっていて、清々しい空気があたりに満ちていた。

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KnK(「国境なき子供たち」)の活動見学と、小文字の「n」への当惑

2013-03-15 21:49:09 | ヨルダン(猫中心)



先日、アンマン随一のお洒落通りと名高い、レインボー・ストリートにあるKnKの事務所に突然おじゃました。

KnKはヨルダンで活動するNPOのひとつで、正式名は「国境なき子供たち」という。
「世界の恵まれない青少年の支援」がその主要活動テーマのひとつらしい。
ここで最近までシリア人の友人が働いていたり、ダマスカスの留学生仲間が数年前インターンをしていたこともあって、以前から時々耳にする名前だった。
レインボー・ストリートはうちから徒歩圏内だし(うちの周辺はお洒落とは無縁だが)、ちょっと事務所に顔を出して、通訳のバイトやボランティアの募集がないか聞いてみようと思いついたのだ。

事務所にはヨルダン人スタッフ数人に混じって、とても親切な日本人の女性スタッフが一人いた。
彼女は日本で採用されたそうで、現地でのアルバイトやスタッフの採用はあまり前例がないとのことだった。
それはさておき、とりあえずその日行われる子供たちの活動を見学させてもらうことになった。

活動は事務所近くの「首都青少年センター」(青少年・スポーツ省管轄)というところで行われていた。
アンマン各地の子供たちが、学校が終わってから専用バスでここに運ばれてきて、いろんなレッスンに参加するのだ。
日本でいうと、公民館での子供向け講座がやや近いだろうか。
子供たちの年齢は8歳から18歳で、「この年齢のアンマン在住の子供なら誰でも受け入れる」のが前提だが、そのほとんどはアラブ人(ヨルダン人、パレスチナ人、イラク人、シリア人、スーダン人など)の子供だそうだ。
男女は別クラスで、男の子のレッスン日と女の子のレッスン日は違う。
男女同席せず、というのがアラブの基本ですもんね。

その日は男の子の日だった。
クラス内容は演劇、小物作り、ギター演奏、英語、ストーリーライティング、コミュニティー運営に関するワークショップ、それにサッカー。
全部見学するため数分ずつ小刻みに教室を移動したが、最後に見に行ったサッカーの試合はもう終了したあとだったので、記念撮影だけさせてもらった。
写真を撮らせてくれと頼んだわけではないのだが、見学者の私を見て、先生が有無を言わせず生徒を集めてポーズを取らせ、ちゃんとボールを取ってきて前方に配置するという、完璧な記念撮影体制に突入したので、撮らないわけにはいかなかったのだ。
いや、ありがたいですけどね。

演劇のクラスでは、シリア政府の監獄での拷問をテーマにした劇の練習をやっていたが、これがかなりリアルで恐ろしかった。
目隠しをされた囚人役の子供を、拷問者役の子供たちがこづきまわし、「白状しないと指を一本ずつ切り落とすぞ!」などと迫るんだもん。

次の小物作りのクラスは対照的に和やかで、幼い子供たちが先生に手伝ってもらいながら、イヤリングとかブローチとか、毛糸で作る小物(用途は不明)を楽しそうに作っていた。
そばにいた子に、「これガールフレンドにプレゼントするの?」と聞いてみたら、「うん、うん」と適当に流されてしまった。
ホントはお母さんにあげるに違いない。

とにかくどの授業でも子供たちが真剣に、なおかつ非常に楽しそうにいそいそと活動していたのが印象に残った。
学校の授業と違って体を動かしたり、手作業したり、グループ討論したりして、全員が能動的に参加できるのがポイントなんだと思う。
居眠りしてる暇はなさそうだ。

案内してくれた日本人スタッフの方の話では、このプログラムは開始からもう3年目で、いずれは現地の人々に運営を引き継いでゆくことになっているから、運営や管理の人材育成なども行っているそうだ。
ご苦労さまです。

私のやる仕事はなさそうだったけど、可愛い男の子がいっぱい見られてラッキーだったわ!
というのが見学後の私の中年女性的な感想である。

それにしても気になるのは「KnK」という名称だ。
これは「Kokkyo naki Kodomotachi」の略らしいが、どういう経緯でNを小文字にすると決めたのだろう。
「naki」が名詞じゃないからだろうか。
それとも他に同名の団体があって、区別するためにこうしたのだろうか。
ホームページの「よくある質問」の項目に目を通してみたが、そんな質問は載っていなかった。
こんなことがいちいち気になるのは私だけなのかもしれない・・・。


首都青少年センター



演劇クラス



小物作りのクラス



ギターレッスン



英語レッスン



ストーリーライティングの授業



コミュニティー運営ワークショップ



サッカーチーム記念撮影





KnKのホームページ
http://www.knk.or.jp/index.html
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アンマン路線バス310番の謎

2013-03-14 23:37:24 | ヨルダン(猫中心)
ゴールドスークのお店、キラキラしてるでしょ



私はヨルダン大学方面に用事があるとき、ダウンタウンのゴールドスーク脇のバス乗り場から310番のバスに乗っていく。
302番も大学を通るのだが、本数が少ないようであまり乗る機会がない。

310番のバスの運賃は、乗り場に待機している整理係のおじさんが入口で集めることになっている。
このおじさんはいつもイライラしているので有名なようだ。
一度私の隣に座ったおばさんが、
「あの人いっつも不機嫌やけど、なんでやろう?
渡したお金が足りないって叱られてしもたわ・・・(アラビア語ヨルダン方言を関西弁に訳しました)」
とぼやいていた。

この運賃がナゾなんである。
310番にゴールドスーク脇から乗るときは55キルシュ(クルシュかも?今のレートで70~80円くらい)払うのだが、帰りに大学から同じバスに乗るときの運賃は50キルシュなのだ。
302番のバスに乗った場合は、行きも帰りも50キルシュ。
他方面行きの路線バスも、どこで乗ってもみんな50キルシュだ。

この5キルシュの差はナニ?
どうしてゴールドスーク脇で310番に乗った時だけ余分に払わなきゃいけないの?

これが私はずっとナゾだったのだが、先日すっきり解決した。

いつものように310番に乗っておじさんにお金を払い、座席に座って出発を待っていたら、前の方で何やら大騒ぎが始まった。
みると、乗り込んできたおばさんと整理係のおじさんがやり合っている。
どうも運賃のことでモメているようだった。
おばさんは絶対に50キルシュしか払わないと言い張り、おじさんが激怒して「運賃は55キルシュだ!あと5キルシュ払え!」と迫っている。
両者一歩も譲らず、ゴジラ対キングギドラみたいな様相だ。
どうなるんだろうと、私も周りのお客も黙って状況を見守っていたが、最終的にはおばさんが勝った。
「路線バスの料金は一律50キルシュなんよ。55なんておかしい、職権乱用やわ!」
というのが、彼女の言い分だ。
・・・なるほど、これは正論である。
おばさんは正しい。
この正論におじさんが勝てるわけがないのだ。
彼はその後もしばらくガナリ立てていたが、結局諦めて降りていき、バスは何事もなかったように出発した。

つまり、5キルシュはおじさんの取り分だったようだ。
理不尽といえば理不尽な決まりごとだが、アラブ的にはこういうこともアリなのだろう。
ともかく謎が解けたので、私は非常にスッキリした気分だった。
キングギドラのおばさん、ありがとう~。

でもその後もあそこで310番のバスに乗るとき、私は相変わらず55キルシュ払っている。
だっておじさんと喧嘩する根性ないんだもん。
私もまだまだおばちゃんとしての修行が足りないな・・・


310番のバス。番号見えないけど



ゴールドスーク脇のバス乗り場でバスを待つ人々。ぼやけてるけど


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ゴミと猫とキャットフードと

2013-03-12 22:53:07 | ヨルダン(猫中心)
私のあげたキャットフードを完全に無視してくつろぐ猫



今日はやけに暑かった。
ひなたを歩いてると皮膚が一気に老化しそうでコワい。
トレーナーを着ていたら汗が出てきたので、脱いで長袖Tシャツ一枚になったが、それでも暑かった。
もしや、もう夏が来たの?!
春はどこに行ったの?もう戻ってこないの?
カムバック~

それでも家の中はやはり寒かった。
他の人たちに聞くと、彼らの家もそうだという。
こちらの家屋は夏用に出来ていて、冬は寒いが夏は涼しいのかもしれない。
しかし、実は単に安普請なだけで、冬は寒く夏は暑いということもありえる。
あまり考えたくないが・・・

今日もアンマンは猫に満ちていた。
今日も私はキャットフードを持ち歩き、通りがかりに出会った猫4匹にやってみたのだが、食べたのは2匹だった。
2勝2敗か・・・
不調やわ。

私が車の下の猫を覗き込んでじいっと座りこんだり、キャットフードをばらまいたり、話しかけたり、写真を撮ったりしていると、
何人ものヨルダン人が不思議そうに立ち止まって、私の様子を観察していく。
「路上で猫に話しかける謎の東洋人のオンナ」として、アンマンの都市伝説になる日も近いのかも。
・・・ふふふ、精進しようっと。


車の下にいた猫2匹。1匹は美味しそうに食べてくれたが、もう1匹は不満そうに私をにらみつけた。


ゴミ入れから何かくわえて取り出し、熱心に食べている猫がいたので


ゴミ入れを覗いたら、生の鳥肉(骨付き)がたくさん入っていた。
どうしてこういうゴミが出るのか、私にはよくわからない。世界って広いなあ。
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アンマンのプチ・エッフェル塔に再会

2013-03-11 23:35:01 | ヨルダン(猫中心)


3年ほど前、1ヶ月間アンマンに滞在したとき、建物の上に小さなエッフェル塔のようなものがそびえ立っているのを時折見かけて、
「なんでアンマンの建物にエッフェル塔がのっかってるん?
なんのために建てたんやろう?・・・アンテナ?」
と気にしていたのだが、今回それに再会した。
うちの近所の建物の上にちんまり建っていたのだ、あのフランスっぽいミニタワーが。

―やあ、久しぶりに会ったね。
 元気だったかい?
 君は相変わらず綺麗だな―

などと、心の中でパリっぽいセリフ(?)をつぶやきながら塔の写真を撮っていたら、それを見ていたジェントルマンっぽいおじさま(ヨルダン人だが)が英語で話しかけてきた。
彼によると、このタイプの鉄塔は30~40年ほど前にヨルダンに広く普及し、テレビアンテナとして活躍していたが、今はもう衛生放送受信機に取って代わられ、現役を退いてしまったそうだ。その結果、大半は取り壊されてしまったが、このように建物の飾りとして残されている場合もある、とのことだった。

なるほど。
それにしても、こんな素敵なテレビアンテナ、誰がデザインしたのだろう。
建物本体が窓付きの単なる箱のような無骨な造りなので、余計お洒落に見えるわあ・・・。

おじさまに説明のお礼を言って立ち去ろうとしたら、
「こちらこそありがとう!」と爽やかに微笑んでくれた。
どこまでもジェントルマンなのだ。

本物のエッフェル塔の方はパリに行ったときに遠くから見かけたが、夜だったのテカテカととライトアップされていて、あまりお洒落な感じはしなかった。
アンマンの勝ち?


アンマンのプチエッフェル塔(もどき)



遠くてわかりにくいけど、パリで見た夜のエッフェル塔(本物)
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