ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

永遠の存在

2013-05-31 17:51:37 | 日記
北海道新聞に興味深い話が載っていた。

記事を書いたのは道内在住の医師で、あるノンフィクションライターから聞いたという話だった。

春雨が降る夜、朽ちかけた廃屋の戸口に、廃墟と化した街角に、壊れた橋のたもとに、雲間からかすかにもれる蒼白い月の光にぬれるようにして幽霊が立ち現れると言う。

はじめ、ある老女が幽霊を目の当たりにした。

彼女はいぶかり、そして畏れた。

でも、怖がりはしなかった。

幽霊はたちまちにして、姿を消した。

老女は急いで家に戻り、電線が切断された薄暗い部屋の、崩れた壁際に傾いた仏壇にお線香をともし、涙してお念仏を唱えた。

あくる日なぜか、彼女の表情は晴々としていた。

うわさは、たちまち広がった。

誰もが幽霊に会いたいと言い出した。

そこで、こう取り決めた。

会うのはひとりずつ、数珠を持って行くこと、こちらからは話しかけないこと、幽霊の魂をせめて鎮めてあげるためにと。

この集落の人々はすべて、人生のつらい苦難を経験していた。

取り決めどおりに人々は、幽霊に会いに出かけた。

そしてこのあと不思議なことに、不幸にうちひしがれがちだった人びとみんなが、老女のように晴れやかになり、明日を生き抜こうという明るい希望をいだくようになった。

幽霊は、東日本大震災で大津波に巻き込まれ、無残にも突然、生を断ち切られた人たち。

生き残った家族や縁者が、本来なら誰もが怖がる幽霊に会いたがるのは、突然の別れをしなければならなかった死者と再会できるから。

一目でも会えればそれでいい。

会えば、無念のメッセージを優しく受け入れることもできる。


「集落の住民にとっては、恐ろしげな幽霊ではなく、親しみ深い人の亡き御霊(みたま)なのだろう」と、この記事を書いた医師は書いている。

幽霊に会いたいと願った人々の気持ちがよく分かる。

亡くなったのが家族や親しい人なら、たとえ幽霊であっても一目だけでもいいから会いたいと思う、その気持ちがよく分かる。

そして、幽霊に会った人々が、みんな晴々とした気持ちになったのも分かるような気がする。

それは、もしかしたら人は肉体が死んでも、魂は永遠に生き続けるということが、分かったからではないだろうか。

もちろん、親しい人との突然の別れは・・・いや突然でなくとも、それは気も狂わんばかりの辛さ、悲しさだろう。

でも、魂は生きている。

亡くなっても、すべてが無になって消えてしまうわけではないと分かったら。

幼い時に、亡くなった祖母に会ったことがある。

その頃は幼すぎて、魂の永遠など考えもしなかったが、はっきりと魂の永遠を確信したのは、母が亡くなったことだろうか。

あまりにも私が会いたいと思ったからか、亡くなってから49日の間に、母は色々な形でメッセージをくれた。

それは写真の中に、はっきり母だと分かるように写ってくれたり、夢の中であったり、時にはお線香の良い香りで知らせてくれることもあった。

今考えると、母には本当に申し訳ないことをしたと思う。

私の想いが強すぎて、母も心残りなく逝くことができなかったのだろう。

私の想いに答えようと、母には無理をさせてしまったかもしれない。

誰でもいつか必ず肉体が無くなる日がくる。

そしてまた、新しい生を授かる。

まったく違った人間に生まれ変わったとしても、私達は永遠の存在なのだ。

だから、与えられたこの肉体、命を大切にして、精一杯生き抜かなければいけないと思う。













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