8月に小樽へ行った時、たまたま通りがかったお店に入って、おいしそうな乾燥豆を買ったことがあったが、その時にお店の奥さんから「味噌作りを教えてあげますよ」と言われていた。
味噌作りに必要な生麹が入荷するのが秋ということだったので、「そろそろ入ったかな?」と楽しみにしていたのだが、10月に入ってすぐに確認の電話をしたところ「入荷しましたよ」とのことだった。
「じゃあ、行きますから~」
そう言って電話を切り、三連休の初日にさっそく小樽へ行って来た。
朝早くに家を出たので、早い時間に小樽に着いてしまった。
そのままお店に行ってもよかったのだが、はたと気付いた。
「そういえば生の麹だから、お店では冷凍庫で保管していたはず。持ち歩くのだったらクーラーボックスを持って来るんだった」
・・・ということで、買ってからすぐに帰宅できるように、小樽市内で観光を済ませたあとに、お店には最後に行くことにした。
さて、今回小樽で行った場所はこちらです↓
日本銀行旧小樽支店。
現在は金融資料館として無料解放されている。
赤レンガで有名な東京駅を設計した辰野金吾氏らが設計した建物で、1912年(明治45年)7月に完成したが、2002年まで日本銀行小樽支店として銀行業務が行われていたのだとか。
外観はルネッサンス様式を取り入れたとてもモダンな建物で、外壁はレンガを積んだ表面にモルタルが塗ってある。
そして、モダンなのは外観だけではない。
窓口として使われていた「営業場カウンター」をはじめロビーには岐阜県赤坂産大理石が使われている。
床から約10・5メートルもある高い天井のロビーは柱が一本も無い広々とした大きな吹き抜けになっている。
こちらは2階回廊の壁に飾られているシマフクロウのモニュメント。
シマフクロウはアイヌ民族の守神であり、内壁に12体、外壁に18体いるシマフクロウたちが、職員がいない夜に支店を見張っていたそうだ。
他にもイギリスから取り寄せた螺旋階段を使ったりと、こだわった装飾がなされていて、当時の総工費は約40万円で、これは日銀本店と日銀大阪支店につぐ高額な建設費だったそうだ。
なぜ北国の小さな町の銀行に、これほど力を注いだのか・・・
実は、小樽はかつて「北のウオール街」と呼ばれるほどの経済都市で、最盛期には19あまりの主要銀行の支店が軒をつらねていたとか。
これは新橋~横浜間、神戸~大阪間についで3番目に札幌~小樽間の鉄道が1880年に敷かれたこと、そしてそれまで北海道経済の中心だったニシンから石炭にシフトしたことから、小樽が物流の拠点となり、それまで北海道の中心地だった札幌を一気に抜いて小樽が北海道経済の中心地となったそうだ。
現在、再び北海道の中心地になった札幌は多くの人が住んで大都市を形成している。
そして、今の小樽はのどかな田舎の風情を残している町に見えるが、かつては札幌の人口よりも小樽の方が多かったとは意外だった。
さて現在は金融資料館となっているので、普段はめったに見ることのできないこんな場所も見ることができます。
2002年まで実際に使われていた金庫。
小樽支店には2つの金庫があり、内部はこのようになっています↓
右側に積まれているのが一万円札の束(これは、ただの紙だそうですが・・・)で左側のプラスチックケースには硬貨を入れているそうです。
な~んとこれで総額3000億円!(もちろん本物ではないですよ)
現在も本当の銀行ではこのように積まれているとか、いないとか・・・
説明してくださったガイドさんによると、金庫室の壁はどこにも穴の無い一枚壁になっていて、当たり前だが、今まで一度も破られたことはないそうだ。
さらにかつて広島に原爆が落とされた時、これと同じ金庫だけが中は無傷で焼け残ったそうだ。
「じゃあ、行員さんたちも金庫に入っていれば助かったかもしれないですね」
そう言ったら「そうですね、みんな外に出てしまったようですから・・・金庫に入って、中に空気が残っていれば助かったかもしれないですね」とガイドさんが言った。
さすが日本銀行の金庫は原爆でも壊れない・・・
そんなこんなで、普段は見ることのできない金庫の中も見せて頂いたりと楽しく過ごせた。
親切なガイドさんがいらっしゃって丁寧に色々と教えてくれるので、とても楽しめる資料館です。
お近くにお寄りの際はどうぞ。
・・・というわけで、このあと味噌作りを聞きに行くのだが、その話はまた後日ということで。
味噌作りに必要な生麹が入荷するのが秋ということだったので、「そろそろ入ったかな?」と楽しみにしていたのだが、10月に入ってすぐに確認の電話をしたところ「入荷しましたよ」とのことだった。
「じゃあ、行きますから~」
そう言って電話を切り、三連休の初日にさっそく小樽へ行って来た。
朝早くに家を出たので、早い時間に小樽に着いてしまった。
そのままお店に行ってもよかったのだが、はたと気付いた。
「そういえば生の麹だから、お店では冷凍庫で保管していたはず。持ち歩くのだったらクーラーボックスを持って来るんだった」
・・・ということで、買ってからすぐに帰宅できるように、小樽市内で観光を済ませたあとに、お店には最後に行くことにした。
さて、今回小樽で行った場所はこちらです↓
日本銀行旧小樽支店。
現在は金融資料館として無料解放されている。
赤レンガで有名な東京駅を設計した辰野金吾氏らが設計した建物で、1912年(明治45年)7月に完成したが、2002年まで日本銀行小樽支店として銀行業務が行われていたのだとか。
外観はルネッサンス様式を取り入れたとてもモダンな建物で、外壁はレンガを積んだ表面にモルタルが塗ってある。
そして、モダンなのは外観だけではない。
窓口として使われていた「営業場カウンター」をはじめロビーには岐阜県赤坂産大理石が使われている。
床から約10・5メートルもある高い天井のロビーは柱が一本も無い広々とした大きな吹き抜けになっている。
こちらは2階回廊の壁に飾られているシマフクロウのモニュメント。
シマフクロウはアイヌ民族の守神であり、内壁に12体、外壁に18体いるシマフクロウたちが、職員がいない夜に支店を見張っていたそうだ。
他にもイギリスから取り寄せた螺旋階段を使ったりと、こだわった装飾がなされていて、当時の総工費は約40万円で、これは日銀本店と日銀大阪支店につぐ高額な建設費だったそうだ。
なぜ北国の小さな町の銀行に、これほど力を注いだのか・・・
実は、小樽はかつて「北のウオール街」と呼ばれるほどの経済都市で、最盛期には19あまりの主要銀行の支店が軒をつらねていたとか。
これは新橋~横浜間、神戸~大阪間についで3番目に札幌~小樽間の鉄道が1880年に敷かれたこと、そしてそれまで北海道経済の中心だったニシンから石炭にシフトしたことから、小樽が物流の拠点となり、それまで北海道の中心地だった札幌を一気に抜いて小樽が北海道経済の中心地となったそうだ。
現在、再び北海道の中心地になった札幌は多くの人が住んで大都市を形成している。
そして、今の小樽はのどかな田舎の風情を残している町に見えるが、かつては札幌の人口よりも小樽の方が多かったとは意外だった。
さて現在は金融資料館となっているので、普段はめったに見ることのできないこんな場所も見ることができます。
2002年まで実際に使われていた金庫。
小樽支店には2つの金庫があり、内部はこのようになっています↓
右側に積まれているのが一万円札の束(これは、ただの紙だそうですが・・・)で左側のプラスチックケースには硬貨を入れているそうです。
な~んとこれで総額3000億円!(もちろん本物ではないですよ)
現在も本当の銀行ではこのように積まれているとか、いないとか・・・
説明してくださったガイドさんによると、金庫室の壁はどこにも穴の無い一枚壁になっていて、当たり前だが、今まで一度も破られたことはないそうだ。
さらにかつて広島に原爆が落とされた時、これと同じ金庫だけが中は無傷で焼け残ったそうだ。
「じゃあ、行員さんたちも金庫に入っていれば助かったかもしれないですね」
そう言ったら「そうですね、みんな外に出てしまったようですから・・・金庫に入って、中に空気が残っていれば助かったかもしれないですね」とガイドさんが言った。
さすが日本銀行の金庫は原爆でも壊れない・・・
そんなこんなで、普段は見ることのできない金庫の中も見せて頂いたりと楽しく過ごせた。
親切なガイドさんがいらっしゃって丁寧に色々と教えてくれるので、とても楽しめる資料館です。
お近くにお寄りの際はどうぞ。
・・・というわけで、このあと味噌作りを聞きに行くのだが、その話はまた後日ということで。