先日、妹が久しぶりに遊びに来た。
妹は車の運転をしないので、私が妹の家に行くのに比べると、妹がウチに来るのはずっと少ない。
と言っても、妹の家のそばが実家ということもあり、必然的に私が行く回数が多くなるのは当たり前なのだけれど。
久しぶりに遊びに来る妹を迎えに近くの駅まで車で行き、そのあと一緒に買い物をして昼食を食べた。
昼食後はウチでお茶を飲んでもらうことにして、妹をわが家へ連れてきた。
久しぶりに来た妹は、前回来た時と部屋の様子が変わっていることに興味深々の様子で、室内をいろいろと見ていた。
私はインテリアが好きで、家の模様替えも大好き。
夫曰く、家の模様替えをしている時の私が一番生き生きとしているのだとか。
そういえば模様替えをしてから、妹がウチに来たのは初めてだったかもしれない。
インテリアの話をした後に座って妹と二人でお茶を飲んでいると、ふと妹が言った。
「お姉ちゃんは幸せだね」
突然何を言い出すのかとびっくりしたが、妹の目には久しぶりに来た我が家がとても新鮮で良く見えたらしい。
「ここで運動したりするの?幸せだよね~いいなぁ」と言いながら、妹は置いてあったストレッチマシーンに乗った。
「同じでしょう?あなただってとても幸せに見えるよ」と言うと、ちょっと間があって妹は不満そうに「そうだね」と答えた。
私から見れば妹の方が何不自由なく、とても幸せそうに見える。
妹の住む大きな家はいつ行っても綺麗にしているし、インテリアだってセンスがいい。
また子どもたちは優秀だし素直にも育っている。
そして何より妹のことをとても大事にしてくれて、一生懸命に働いてくれる旦那さんがいる。
家族みんな健康だし、これ以上の幸せがあろうかと思うのだが、妹は妹なりに悩みや心配事があるらしい。
そう、妹に会うといつも何かしらの悩みを聞かされる。
ある時はご近所とのことであったり友人とのことだったり、またある時は家族のことであったりする。
そして一つが解決すると、また新しい悩みや心配事ができる。
妹は気づいているのだろうか・・・ずっとその繰り返しをしているということを。
でも、妹のことを笑うことなどできない。
昔の私も妹と同じだったから。
心配事や悩みを抱えていたある日、「これが解決しても、いずれまた別の悩みが来るのだろう」と思ったことがあった。
そして、それは予想通りそうなった。
いつになったら心が平穏になる未来が来るのだろうと思っていた時、「このままなら永遠に来ないだろうな」と思う自分がいた。
それ以来、何か悩みがあると「これが解決してもまた別のことで悩むはずだ」「ほら、やっぱりそうなった」と自分で自分を観察する癖がつき、気が付けば、深く悩むことは時間の無駄、心身を疲れさせるだけだったと理解できた。
悩みや心配事があるのは仕方がないことだが、そればかりに囚われてしまったらどんどん不幸で落ち込んだ気分になって行く。
自分ができることをすべてやったならば、そして今そのことを考えてもどうすることもできないならば、今楽しめることをした方がいいと思ったのは、そんなに昔の事ではない。
未来は白紙というのはその通りだと思う。
もちろん最悪の想定も必要だが、意外と「な~んだ。心配していた事は自分の心の中で作っていたことだったのか」と思うようなことがたくさんあった。
妹の悩みや心配事を聞くと、そのほとんどがまだ来ていない未来のことばかりであり、自分が心の中で作ったストーリーに対して悩んでいる。
例えば、年老いていく義理の両親の世話が今後必要になった時、本州へ来て世話をしてくれと言われるんじゃないかとかを今から心配している(笑)
もしそうなったとしても、意外と悩んでいたほどのことではなかったとか、別の解決法が見つかったりとかと言うことも十分あるわけで、それを今から悩んでいるのはもったいない。
生きる時間は限られている。
そして、どんな環境であっても幸せだと思えることはできる。
だから今を楽しんで一生懸命に生きなければ、きっと私は後悔する。
また妹に「お姉ちゃんは幸せだね」と言われたら、今度は即座に「うん、幸せ!」と答えようと思う。
妹は車の運転をしないので、私が妹の家に行くのに比べると、妹がウチに来るのはずっと少ない。
と言っても、妹の家のそばが実家ということもあり、必然的に私が行く回数が多くなるのは当たり前なのだけれど。
久しぶりに遊びに来る妹を迎えに近くの駅まで車で行き、そのあと一緒に買い物をして昼食を食べた。
昼食後はウチでお茶を飲んでもらうことにして、妹をわが家へ連れてきた。
久しぶりに来た妹は、前回来た時と部屋の様子が変わっていることに興味深々の様子で、室内をいろいろと見ていた。
私はインテリアが好きで、家の模様替えも大好き。
夫曰く、家の模様替えをしている時の私が一番生き生きとしているのだとか。
そういえば模様替えをしてから、妹がウチに来たのは初めてだったかもしれない。
インテリアの話をした後に座って妹と二人でお茶を飲んでいると、ふと妹が言った。
「お姉ちゃんは幸せだね」
突然何を言い出すのかとびっくりしたが、妹の目には久しぶりに来た我が家がとても新鮮で良く見えたらしい。
「ここで運動したりするの?幸せだよね~いいなぁ」と言いながら、妹は置いてあったストレッチマシーンに乗った。
「同じでしょう?あなただってとても幸せに見えるよ」と言うと、ちょっと間があって妹は不満そうに「そうだね」と答えた。
私から見れば妹の方が何不自由なく、とても幸せそうに見える。
妹の住む大きな家はいつ行っても綺麗にしているし、インテリアだってセンスがいい。
また子どもたちは優秀だし素直にも育っている。
そして何より妹のことをとても大事にしてくれて、一生懸命に働いてくれる旦那さんがいる。
家族みんな健康だし、これ以上の幸せがあろうかと思うのだが、妹は妹なりに悩みや心配事があるらしい。
そう、妹に会うといつも何かしらの悩みを聞かされる。
ある時はご近所とのことであったり友人とのことだったり、またある時は家族のことであったりする。
そして一つが解決すると、また新しい悩みや心配事ができる。
妹は気づいているのだろうか・・・ずっとその繰り返しをしているということを。
でも、妹のことを笑うことなどできない。
昔の私も妹と同じだったから。
心配事や悩みを抱えていたある日、「これが解決しても、いずれまた別の悩みが来るのだろう」と思ったことがあった。
そして、それは予想通りそうなった。
いつになったら心が平穏になる未来が来るのだろうと思っていた時、「このままなら永遠に来ないだろうな」と思う自分がいた。
それ以来、何か悩みがあると「これが解決してもまた別のことで悩むはずだ」「ほら、やっぱりそうなった」と自分で自分を観察する癖がつき、気が付けば、深く悩むことは時間の無駄、心身を疲れさせるだけだったと理解できた。
悩みや心配事があるのは仕方がないことだが、そればかりに囚われてしまったらどんどん不幸で落ち込んだ気分になって行く。
自分ができることをすべてやったならば、そして今そのことを考えてもどうすることもできないならば、今楽しめることをした方がいいと思ったのは、そんなに昔の事ではない。
未来は白紙というのはその通りだと思う。
もちろん最悪の想定も必要だが、意外と「な~んだ。心配していた事は自分の心の中で作っていたことだったのか」と思うようなことがたくさんあった。
妹の悩みや心配事を聞くと、そのほとんどがまだ来ていない未来のことばかりであり、自分が心の中で作ったストーリーに対して悩んでいる。
例えば、年老いていく義理の両親の世話が今後必要になった時、本州へ来て世話をしてくれと言われるんじゃないかとかを今から心配している(笑)
もしそうなったとしても、意外と悩んでいたほどのことではなかったとか、別の解決法が見つかったりとかと言うことも十分あるわけで、それを今から悩んでいるのはもったいない。
生きる時間は限られている。
そして、どんな環境であっても幸せだと思えることはできる。
だから今を楽しんで一生懸命に生きなければ、きっと私は後悔する。
また妹に「お姉ちゃんは幸せだね」と言われたら、今度は即座に「うん、幸せ!」と答えようと思う。