車で出かけた時のこと。
途中で私の車の後ろに大型の四駆車がついた。(たまたま同じ方向へ行くのだと思われる)
バックミラーを見たら40代くらいの女性が運転していた。
後ろに四駆車がついたまま、交差点で直進の車を三台やり過ごしてから右折した。
三台の車が通過する間に、無理すれば行ける瞬間もあったのだが、直進車のスピードが思ったよりも速かったことと路面が夏と違って滑るので、無理せずに通り過ぎるのを待ってから車を発進させた。
交差点を右折すると再び交差点があり、見るとその交差点の信号は黄色だった。
私のすぐ前を走っていた車は、信号の黄色が点滅する中を走り抜けて行き、私は交差点に入る前に信号が赤に変わったのを見て止まった。
これがまだ黄色の最中であれば私も行ったかもしれないが、信号は明らかに赤になっていた。
無理して(信号無視して)行ったとして、もしも警察がいたら絶対に捕まるパターン。
(最近パトカーがよく町中を走っているので油断はできない。。。)
「信号が赤なんだから、当然止まるでしょー!」と思うのだが、突然、後ろの四駆がクラクションを鳴らしたかと思ったら、脇にあった店舗の駐車場をすごいスピードで通り抜け、信号を待たずに道路に出ようとしていた。
クラクションを鳴らされて、一瞬、私の頭の中は???となったが、もしかしたら交差点で行かなかったことに腹を立てているのかな?と思った。
きっと前の交差点でも「行けよ」と思っていたのだろう。
それを思った瞬間、私もムッカ―となった。
「どこ見てんだよ。信号は赤だろーが!止まるのは当然だろーが!」
心の中で四駆に向かって悪態をつく。
あ~ムカつく。
ふと我に返る。
いかんいかん、この悪態が高じると、魔物に憑りつく隙間を与えてしまう。
冷静になろう、心を静めよう。
「無理な運転で事故を起こさないでね」
車の流れが途切れないために、まだ行けずにいる四駆に向かって、そう想ってみる。
しかし・・・あ~だめだ。やっぱり腹立つわ~
私はよく他人に「いつも穏やかな人」などと言われることがあるのだが、これは自慢でもなんでもなく、元々持っている私の気性は穏やかさとはかけ離れた激しいものなので、穏やかと言われると「そうでもないのになぁ」と思ったりする。
だから、自分で自分の心を制御できなかった若かりし頃は、納得がいかないことは上司でも大喧嘩をした。
6歳下の妹が、中学生の時に集団いじめに遭って泣きながら帰ってきた時には、いじめた子らの家を一軒ずつ回って話をつけようと真剣に思ったことがある。
「話つけてくるから、そいつらの家を教えなさい」と妹に聞いていたら、母にきつく止められて、仕方なく行くのを断念した。
その後、母が解決したらしいが、怒りに任せて浅はかなことをしなくて良かったとつくづく思う。
他にもいろいろあるが、いつも思うのは怒りを爆発させたあとのなんとも言えない後味の悪さで、自分にも悪いところがあったなぁとか、妹にもいじめに遭う原因があったのかもしれない、などなど反省をして、(多分)良心というものにさいなまれることになる。
しかし最も怖いのは、自分の心の内をかえりみることなく反省もなく、負の感情だけを持ち続けていると、同じような存在が寄って来ることだ。
試しに怒っている時に、自分の顔を鏡に映してみるといい。
まるで般若のごとき顔になっていると思うが、私は般若の顔になった自分の横に、見るも恐ろしい魔物の姿を見たことがある。
もしかしたら過去にブログ記事で書いたかもしれないが、あまりにもはっきりと見えるので、そのような生物?は間違いなく存在しているのだろうと思っている。
そして、自分では制御不能などうしようもない負の感情を持ち続けていると、一番苦しいのは自分だったことに気づく。
だから、自分の心の内を見つめる。
自分の心は自分で操縦するしかない。
それができるようになるためにやっていることは、私の場合は神仏への参拝であり、掃除ということになるだろうか。
途中で私の車の後ろに大型の四駆車がついた。(たまたま同じ方向へ行くのだと思われる)
バックミラーを見たら40代くらいの女性が運転していた。
後ろに四駆車がついたまま、交差点で直進の車を三台やり過ごしてから右折した。
三台の車が通過する間に、無理すれば行ける瞬間もあったのだが、直進車のスピードが思ったよりも速かったことと路面が夏と違って滑るので、無理せずに通り過ぎるのを待ってから車を発進させた。
交差点を右折すると再び交差点があり、見るとその交差点の信号は黄色だった。
私のすぐ前を走っていた車は、信号の黄色が点滅する中を走り抜けて行き、私は交差点に入る前に信号が赤に変わったのを見て止まった。
これがまだ黄色の最中であれば私も行ったかもしれないが、信号は明らかに赤になっていた。
無理して(信号無視して)行ったとして、もしも警察がいたら絶対に捕まるパターン。
(最近パトカーがよく町中を走っているので油断はできない。。。)
「信号が赤なんだから、当然止まるでしょー!」と思うのだが、突然、後ろの四駆がクラクションを鳴らしたかと思ったら、脇にあった店舗の駐車場をすごいスピードで通り抜け、信号を待たずに道路に出ようとしていた。
クラクションを鳴らされて、一瞬、私の頭の中は???となったが、もしかしたら交差点で行かなかったことに腹を立てているのかな?と思った。
きっと前の交差点でも「行けよ」と思っていたのだろう。
それを思った瞬間、私もムッカ―となった。
「どこ見てんだよ。信号は赤だろーが!止まるのは当然だろーが!」
心の中で四駆に向かって悪態をつく。
あ~ムカつく。
ふと我に返る。
いかんいかん、この悪態が高じると、魔物に憑りつく隙間を与えてしまう。
冷静になろう、心を静めよう。
「無理な運転で事故を起こさないでね」
車の流れが途切れないために、まだ行けずにいる四駆に向かって、そう想ってみる。
しかし・・・あ~だめだ。やっぱり腹立つわ~
私はよく他人に「いつも穏やかな人」などと言われることがあるのだが、これは自慢でもなんでもなく、元々持っている私の気性は穏やかさとはかけ離れた激しいものなので、穏やかと言われると「そうでもないのになぁ」と思ったりする。
だから、自分で自分の心を制御できなかった若かりし頃は、納得がいかないことは上司でも大喧嘩をした。
6歳下の妹が、中学生の時に集団いじめに遭って泣きながら帰ってきた時には、いじめた子らの家を一軒ずつ回って話をつけようと真剣に思ったことがある。
「話つけてくるから、そいつらの家を教えなさい」と妹に聞いていたら、母にきつく止められて、仕方なく行くのを断念した。
その後、母が解決したらしいが、怒りに任せて浅はかなことをしなくて良かったとつくづく思う。
他にもいろいろあるが、いつも思うのは怒りを爆発させたあとのなんとも言えない後味の悪さで、自分にも悪いところがあったなぁとか、妹にもいじめに遭う原因があったのかもしれない、などなど反省をして、(多分)良心というものにさいなまれることになる。
しかし最も怖いのは、自分の心の内をかえりみることなく反省もなく、負の感情だけを持ち続けていると、同じような存在が寄って来ることだ。
試しに怒っている時に、自分の顔を鏡に映してみるといい。
まるで般若のごとき顔になっていると思うが、私は般若の顔になった自分の横に、見るも恐ろしい魔物の姿を見たことがある。
もしかしたら過去にブログ記事で書いたかもしれないが、あまりにもはっきりと見えるので、そのような生物?は間違いなく存在しているのだろうと思っている。
そして、自分では制御不能などうしようもない負の感情を持ち続けていると、一番苦しいのは自分だったことに気づく。
だから、自分の心の内を見つめる。
自分の心は自分で操縦するしかない。
それができるようになるためにやっていることは、私の場合は神仏への参拝であり、掃除ということになるだろうか。