最近、公共の温泉に行くと、80代後半とか90代と思われる高齢女性と、その娘さんと思われる女性の二人連れをよく見かける。
同一人物ではなくて、その時々で違った母娘。
娘さんと言っても私と同じくらいか、それ以上の年齢になっているのだけど、お母さんの手を引いてやってきて、洋服を脱ぐのを手伝っていたりする。
またお風呂に入れば老母の背中を流してやり、湯船に入る時は手を貸し、「そっちは熱いからこっちへ来た方がいいよ」とお湯の温度にも気を配っている。
どの親子もみんな、娘さんがお母さんの世話をしているのが同じだ。
老人を連れての入浴がけっこう大変なのは、何度かお姑さんで経験した。
正直、一人でのんびり入った方がずっと楽だけど、それでもお母さんと一緒に銭湯に来れるなんてうらやましいなと思いながら見ていた。
母が生きていたら、きっと同じように温泉に連れてきていたに違いない。
52歳で末期の癌で亡くなった母が、自分がもうすぐ死ぬということを知らない時に病院のベッドの中でよく言っていたのが、「退院したら、みんなで温泉に行こうね」だった。
もう歩く体力すら残っていなくて、それは叶うことはないだろうと思いながら、もしかしたら奇跡が起きて行けるかもしれないという微かな希望と、やはりダメかという絶望を行ったり来たりして、私は心が揺れ動いていた。
今思えば、母の方が私以上に揺れ動いていただろうと思うが。
そして、母が最期にやりたかったことが温泉に入ることだった。
そんなことは、元気であれば簡単にできたことだろうと思うが、母はしなかった。
当時は今のように近場に温泉施設がなく、近郊の温泉地であっても母にとってはハードルが高かったのかもしれない。あ〜連れて行ってあげればよかった(またまた後悔)
目の前で気持ちよさそうにお風呂に浸かっている母娘をみて、あんなに温泉に行きたがっていた母を連れて来てあげたかったと、もうこれまで何度も思ったことをまた思ってしまった。
やはり親孝行は生きている時にするべきだ。そして、やりたいことは、出来るだけするべきだとあらためて思う。
外はやっと雪解けが始まり春らしくなってきた。
雪が解けたら庭仕事をしたい。
早く野菜の苗を植えたい。
それから、今年は山菜だけじゃなく野草食べることにも挑戦してみたい。
それから旅行も行きたい。
昨年は伊勢神宮へ行くのを計画して、あとは申し込むだけだったのに、直前になってコロナで断念してしまった。今年こそは行きたい。
春の陽射しの中で露天風呂に浸かりながら母のこと、やりたいことなど考えていた。