用事があって旭川へ行ってきた。
夕方に旭川に着き、さっそく夕食。
旭川に来たら「旭川ラーメン」を食べなければ、、と、駅近くのラーメン店に入った。
旭川ラーメンは、札幌ラーメンに比べて麺の色が白くて少し細めだろうか。(札幌ラーメンは、黄色っぽくて中太のちぢれ麺)
でも、いかにも身体が温まりそうな濃厚なスープは、どちらも変わらず美味しい。
札幌ラーメンは味噌が有名だが、旭川ラーメンは醤油が有名なので醤油ラーメンを頼んだ。
この日の旭川は、日中17度とずいぶん暖かかったのだが、夕方になるとさすがに底冷えがしてくる。
遠くに見える大雪山は、まだ雪をかぶって真っ白。
夕方は寒かったが、ラーメンのおかげで身体はずいぶん温まった。
翌日は、用事を済ませてから少し観光をした。
井上靖記念館
作家の井上靖氏は、父が軍医で旭川の旧陸軍第七師団にいたことから、明治40年に旭川で生まれた。
井上靖氏が旭川に居たのは、わずか一年だったそうだが、母から聞かされた百花が一度に咲く旭川の美しさに「私は誰よりも恵まれた出生を持っていると思った」と、著書「幼き日のこと」に書かかれたほど、旭川に対する想いが大きかったそうだ。
記念館は、世田谷から移転された井上靖氏の家の書斎が、そのままの状態で展示されており、他にも井上靖氏の生涯を紹介する貴重な資料の数々を見ることができる。
ここは時間をかけてゆっくり見学した。
そして井上靖記念館のお隣に建つのが、こちら。
日本の近代彫刻史に大きな足跡を残した旭川ゆかりの彫刻家、中原悌二郎を記念した彫刻専門の美術館で「旭川市彫刻美術館」
展示されていた作品はどれも興味深いものだったが、一番目をひいたのは美術館の建物で、古い西洋の映画に出てきそうな、すてきな洋館になっている。
この建物は、旧陸軍第七師団が旭川に設営された時に、将校たちの社交場として明治35年(1902年)に建てられたそうだ。
現在の建物は、昭和43年(1968年)に復元修理工事され、国の重要文化財の指定を受けている。
それにしても旭川へ行くと、旭川が昔、軍都だったということを、いつも思い出される。
井上靖氏の父が旧陸軍第七師団の軍医、そして将校たちの社交場だった洋館など、旭川は旧陸軍第七師団の面影が色濃く残っている。
また同じく旭川にある「北鎮記念館」へ行くと、それがよくわかる。
北鎮の鎮は、おさえしずめること、まもりという意味がある。
現在の自衛隊の第二師団も、旧陸軍の第七師団も、その前の屯田兵の時代も、全ては北方からの脅威から身を守るという大きな目的があった。
北とはロシアのことだが、不思議なのは「南鎮」という言葉がないことで、昔から南の国はあまり脅威では無かったということだろうか。
ところで「年寄りが勝手に始めた戦争で若い人が命を落とす」とは、作家の村上春樹さんの言葉だ。この言葉には深く同意できる。
自衛隊は、ほとんどが若い人ばかり。
決して命を落とさせるようなことがあってはならないと、旭川に行って思ったことだった。