前回の記事で鳥取にいることを書いたが、旅行は20日から24日までの予定で行って来た。
これまで何度も旅行に行っているが、今回は体の疲労度がめちゃくちゃ大きく、今もまだ疲れが取れない。
とはいえ、ずっと行きたかった場所に行くことができて大満足の旅だった。
ずっと行きたかった場所。
それは鳥取もそうだが、実は出雲大社へ行きたいと思っていた。
出雲大社まではかなりの時間がかかるので、なかなか思い切って行くことができなかったが、我が家のツアーコンダクター(夫)から「行きたいんでしょ。だったら行ってみよう」というありがたい提案があり、二ヶ月前に行くことが決まった。(ありがたや、ありがたや、、、)
まず千歳空港から伊丹空港まで飛行機で二時間。(この日は大阪で一泊)
翌日の早朝に高速バスに乗って出雲まで五時間半かかった。
疲れは長距離の移動が原因だったのかもしれないし、もしかしたら歳のせいなのかもしれないが、それにしてもこの疲労感は、、、
ところで、この旅の間ずっと心の中で口ずさんでいた言葉があった。
それは大祓詞。
特に意識して大祓詞を口ずさんでいたわけではなく、自分でも「なぜこんなに大祓詞が出てくるのだろう?」と思いながら止めることができなかった。
「やめられない、止まらない」というお菓子(かっぱえびせん)のコマーシャルがあったが、実は思い当たることがあった。
それは今からひと月ほど前。
毎朝恒例の神棚へのお参りをして、これまた恒例の大祓詞をあげていたら、途中で言葉につまってしまった。
どうしても次の言葉が出てこない。
あれほど暗記していて、いつもならすらすらと出てくるのに、次の言葉が記憶から抜け落ちたように思い出せなくなってしまった。
それは何度やり直しても同じで、なぜか途中でわからなくなってしまう。
これはいよいよ(認知機能低下が)始まったか、、、と焦ったが、仕方がないのでカンニングペーパーを見ながら読むことにした。
すると間違って覚えている所を2箇所発見した。
暗記したと思い込まず、時々見直すべきだったと反省し、このことがあってから正しい大祓詞を覚える為に、普段でも心の中や声に出してなど大祓詞を口ずさむのが習慣になっていた。
さて、そうやって大祓詞を唱えているうちについに出雲に到着。
ホテルに荷物を置いて、出雲大社へ参拝に行ってきた。
この日は時折小雨が降る曇り空の天気だったが、参拝を終えて顔を上げたタイミングで、雲の隙間から太陽が現れて、一瞬だったがピカピカの良いお天気になった。
それを見た夫は「やっぱり俺の日ごろの行いが良いからだな〜」と大喜び。すっかり出雲大社のファンになったようだ(笑)
ところで出雲大社へ来たかったわりに、私はほとんど出雲大社のことを知らずに来てしまった。
知っていたのは御祭神が大国主大神であることと、二礼四拍手一礼ということ、10月に全国の八百万の神さまが出雲大社に集まられるということくらい。
境内にどのようなお社があるのかなどは知らずに行ったので、祓社(はらえのやしろ)の前に立ったときに、祀られている四神が大祓詞の中に出てくる神さま達であったことを知ってとても嬉しかった。
出雲大社は、神話に出てくる神さまたちが勢揃いで、子どもの頃に読んだ神話の神さまが、そのまま神として出雲大社に祀られていることに日本の歴史の凄さを感じてしまう。
高天原の使者で武御雷神が、大国主大神と国譲りの話し合いをしたと言われる稲佐の浜。
つがいだろうか、二羽の水鳥が海の上を泳いでいて目が離せなくなってしまった。
ところで東北大学名誉教授の田中英道氏が著書に次のように書かれている。
日本の神話というのは自然がいかに自然現象を生み、その一つ一つが神になっていくかを記しているのです。
つまり自然が神となっているということを語っているのです。
今の自然科学でまだ解明されていない部分に、神の名前をつけて呼んでいるといってもいいでしょう。
昔の人々は、自然から様々なものが生み出されたその過程がどうしてそうなったかを自然科学として追究しているのです。
そこに精神性を与えて神と名付けているのです。(日本の宗教 本当は何がすごいのかより)
今回の旅では、出雲大社だけではなく、足立美術館なども見て歩き、あらためて昔の日本人の精神性の高さを感じた。
これから先、再び高い精神性を取り戻すことができるのだろうか。
きっとできる。そう思う。