まだ暗い朝方に夢を見た。
夢の中で葬儀に参列していた。とても悲しくて涙が止まらない。
誰の葬儀なのだろうと、涙を流しながら夢の中の祭壇を見ると、先日お見舞いに行った知人の葬儀なのだとわかった。
ところがその日の朝、夢を見ていた時間に知人が亡くなったと知らせを受けた。
気になっていたから夢を見たのだろうか。
知人はその後、体調がさらに良くなり、帰宅するためのリハビリも始めたと聞いていたが、容態が急変したらしい。
最期は眠るように亡くなられたそうだ。
ご遺体はすぐに葬儀場に運ばれたと聞いて、家族と一緒に駆けつけたが、夢の中と同じように悲しくて涙が止まらなかった。
私たちと同じように駆けつけた方々の中で、ほかにもお二人が「今朝、夢に出てきた」とおっしゃっていたので、朝の夢は最後の挨拶に来てくれたのかもしれない。
間質性肺炎になってから今年で三年目。
最後の時期は、喋ることも食べることもつらそうだったので、家族には悲しさはあるものの、やっと楽になれたねと思う気持ちの方が大きい。
そして「たられば」の話は、意味がないとわかっていても悔しい。
さてお通夜が終わってからの会食は、久しぶりに懐かしい顔が揃った。
コロナが起こってから会っていなかった人ばかりで、久しぶりの再会で話は弾み、弾みすぎて大きな笑い声があちこちから聞こえてきた。
賑やかな会になって、きっと故人も喜んでいるだろうと思う。
会食に参加していた医師をしている方が「亡くなった人は、人と人を結んでくれる」とおっしゃっていた。
お医者さんの話ではなくて、お坊さんの法話を聞いているような気分になりながら、その通りだなぁと思っていた。
その方は昔から知っているが、これまでは論理的に物事を語り、そのようなことを言うような人ではなかったが、職業柄たくさんの人の死に出会ってきて、いろいろと思うことがあったのかもしれない。
というわけで、もう知人の姿を見ることも声を聞くこともできないことはとても寂しいが、今頃は思いっきり深呼吸をしているのではないかと思うと、少し気持ちが楽になる。
誰もがいつか必ず行く道。
今という時を懸命に生きようと思う。