家族で外出している時に、突然夫が「ばあさんの病院へ行ってみるか?」と言った。
お姑さんの容態が思わしくないということで、「会いに行きたい」と前に私が言ったことを夫が思い出したらしい。
えっ、そんな急に言われても・・・と焦りながらも、「うん、行こう」と口が動いていた。
お姑さんと会うのは一年ぶりになる。
お姑さんの様子は事細かに聞いていたので、痩せ細った弱々しい姿でベッドに横たわるお姑さんの姿を想像すると、会うのが怖いような気がした。
また一年前のまだ元気だった頃に、認知症のせいとは言え、物盗られの犯人だと思われていたことが、会いに行かなくなった理由だったので、またそう言われても嫌だなというのもあった。(夫によると、会ってももう誰なのか分からないだろうとのことだったが・・・)
しかし、それらを考えても会いに行きたい気持ちの方が勝る。
義理とは言え、お母さんになった人だ。家族として一緒に暮らしてきて、嫌な事もあったが、嬉しいことや楽しいこともあった。
会わなくなってから道で年恰好が似た人を見ると、よくお姑さんを思い出した。
良くも悪くも、お姑さんは私の人生にとって特別な存在だったと思う。
さてそんなわけで、一年ぶりに病院へ会いに行ったのだが、お姑さんは今は病室ではなくナースステーションの中にある特別室にいるという。
なぜそこに居るのかと言うと、徘徊したこともあって経過観察が必要だからだそうだ。
お姑さんの部屋に入ると、お姑さんは手に点滴をつけて眠っていた。
そして夫が呼びかけると、お姑さんは目を開けた。
さらに「おばあちゃん」と私も横から顔を出して呼ぶと、私に気づいたお姑さんが驚いたように目を大きく見開いた。
そして、視線はしっかりと私を見つめたまま「おかあさん」と、はっきりした声で答えてくれた。
ちなみに「おかあさん」とは、お姑さんが私を呼ぶときの名称だったが、おかあさんと呼んでくれたということは、しっかりと私を認識してくれたということだった。
「おかあさん、おかあさん、おかあさん」と何度も何度も私を呼び、そしてお姑さんの目からは涙が溢れ、最後は涙声になっても「おかあさん、おかあさん」と呼び続けてくれた。
そんなお姑さんの姿を見て、私も泣いた。横では夫も泣いていた。
私の中に最後に残っていた小さな氷のかけらが、ついに融けて無くなった瞬間のような気がした。
お姑さんは、自分の子どものことさえ忘れてしまったと聞いていたが、この日はちゃんとわかっていた。
夫のことも、孫のことも、、、
そして、お姑さんの手を握っていたら「点滴が落ちないですから、別の手にしてください」と看護師さんに言われたので、布団をめくって点滴をしていない方の手を見たらベルトで拘束されていた。
入院前に拘束することもありますと言われていたのだが、すぐに点滴の針を抜いてしまうということで拘束されたそうだ。
仕方がないことかもしれないが、お姑さんがかわいそうでたまらなかった。
ベルトで固定された手は点滴でむくみ、長く手の平を握ったままにしていたせいか、手を開こうとしても固くなって、なかなか開かなくなっていた。
そこで看護師さんにお願いして温かいタオルを貸してもらい、少しずつお姑さんの手を開き丁寧に拭いてマッサージをした。
お姑さんはずっと「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と繰り返していた。
しまいには「ありがとう」に節をつけて、まるで歌を歌っているかのように、ずっとずっと「ありがとう」を言い続けるお姑さん。
「おかあさん、ありがとうありがとう」と繰り返し言い続けてくれたお姑さんのその言葉は、生涯忘れられないものになった。わたしの宝物だ。
こんな素晴らしい宝物を頂いて、私の方こそお姑さんに「お義母さん、ありがとう」と言いたい。