今日も長女は、元気に仕事に出かけて行った。
長女の仕事に行く後ろ姿を見ると、いつも嬉しい。
早いもので長女が就職して三年近く経つ。
働き始めて間もなくコロナが流行り出し、長女の仕事は激減。
以来2年余り、仕事が減ったばかりか、休日も多くなった。
毎月、月の初めに勤務表が送られてくるのだが、勤務予定日の欄はいつも真っ白。
今月もまた全部休みかと、何度ため息が出たことか。
こんなに仕事がなくて、このまま雇ってもらえるのだろうか、仕事が無くなって真っ先に首を切られるのは、まだ戦力にもなっていない長女だろうな、、、なんて思ったりして。
就職が決まって、挨拶に行った時に「どれくらい働かせてもらえるのでしょうか?(途中でクビということはないのか)」と聞くと、「よほどじゃない限り、こちらから辞めて下さいと言うことはないです」とおっしゃった課長さんの顔が浮かんだ。
よほどって、どれくらい?
この状況こそ、よほどの事態じゃないのか、、、と思った。
障害のある人の就職は難しい。
特に知的障害の場合は尚更きびしい。
長女も高等養護学校を卒業してから就労支援で7年近く訓練を受けて、やっと就職することができた。
三年前、通っていた就労支援事業所から「そろそろ就職の面接を受けてみませんか」と言われて、事業所から紹介されたのが、今の会社だった。
大手企業の子会社で福利厚生もしっかりしているし、勤務地も自宅から通いやすいという、願ってもいない好条件だったが、複数の方が受けていて、落ちる可能性は大いにあった。
というか、誰も長女が受かるとは思っておらず、事業所の方からは「今後に受ける面接の予行練習のつもりで、、、」と言われていた。
ところが、まさかの合格で親子ともに大喜びしたのだった。
就職までの7年間をサポートして下さった就労支援の職員さんたちには感謝しかなく、長女を採用して下さった会社にはもちろん感謝、感謝だった。
そしてさかのぼれば、数ある就労支援事業所の中から長女に合うのではないかと勧めて下さった高等養護学校の先生に感謝し、さらにさかのぼって、その高等養護学校を勧めてくれた中学の特別支援学級の先生たちにも感謝の気持ちが湧いてくる。
他にも、これまで長女と共に出逢ってきた、たくさんの方たちに対しても同じく感謝しかない。
思ってもいなかった会社で働くことができたこともそうだが、これまでの長女の人生で、長女が長女らしくいられるように心を砕いて下さった方々を思うとありがたくて、ありがたくて、、、
思えば、こんなに他人にも家族や親族にも、感謝の気持ちを持ったことは、長女に障害があるとわかるまで無いことだった。
今までなんと傲慢な自分だったかと、恥ずかしい。
障害のある長女のお陰で、こうして他人に対する感謝の気持ちを持つことができた。
また、感謝すべきことがたくさんあることに気づかせてもらったのも、長女がいてくれたお陰だと思っている。
もしも長女が普通の能力のある子だったら、今でも心からの感謝の気持ちは持てなかったのではないだろうか。
またそれだけではなく、幸せになるにはこうなって、ああなってと、偏った考え方に囚われていた自分が、長女のお陰で開き直ることができた。
開き直るというのは、太々しいイメージがあるが、もうひとつ意味があると思う。
それは、これでいいと自分を肯定できること。
和田秀樹さんが書かれた本の中に、このような文がある。
開き直りと混同されるのが、負け惜しみです。
でも両者は、似て非なるものです。
開き直りは、今までの自分のやり方では、「自分はうまくいかなかった」という現実を受け止めて、新しい道を探すこと。
負け惜しみは、今までの自分のやり方で、うまくいっている人を否定すること。
これしかないという考えを捨てると、新しい道はたくさんあるのだと、気づかされたのも長女のお陰だった。
そういう意味では、一番感謝しなければいけないのは、長女に対してなのかもしれないと思う。