一昨年前だったか、妹に「お姉ちゃんは、あの世とこの世の両方に生きているんだね」と言われたことがある。
妹には他意は無く、ただ私が毎日神棚に手を合わせ、先祖供養をやっていることを知っていたため、そう言ったのだと思う。
それを聞いた私は「あの世とこの世の両方で生きているなんて、妹もずいぶん変わった言い方をするわ。そんなことはないのに・・・私はこの世でしか生きていない」と思った。
妹から言われたその言葉を忘れかけていたのだが、最近になって、よくその言葉を思い出すようになった。
この世とあの世で生きている・・・
本当にそうかもしれない。
例えば「夢」
これは将来の夢ではなく、寝ている時に見る「夢」の方だが、眠っている間に見ている夢の中で、すでに亡くなっている人たちと会ったり話したりするということがある。
もちろん、これらの夢の中には、会いたいという願望が見せているものや自分では気づかない深層心理が影響して見る夢も多数ある。
ただその中でも、これは自分の願望とは違う、本当に会ったなと思われる夢がある。
近い所では今年のお盆に見た父の夢だが、夢の中で私は長い時間、父と会話していたような気がするのだが、話の内容はまったく覚えていない。
しかし夢から覚めて、すぐに父を探して周囲を見回したほど、それは本当にリアルな感覚だった。
まるで、今まで父がそばにいたような感覚。
その時以来、父が今までよりもずっと遠くへ行ったと感じるようになった。
それはきっと父の意識が向上して、この世からさらに離れて遠くまで行ったのだと、私は勝手に思っているのだが、これは悲しいことではなく、むしろ喜ばしいことだと思っている。
他にも私が亡き母に対して語りかけたことを、亡き母がそれを伝えるために他の家族の夢に現れるということもあった。
それも別件で何度か同じようなことがあって、最初は偶然だろうと思っていたのだが、3回目にはさすがに亡き母に通じているということを実感した。
(仏壇や亡き人に向けて、愚痴や泣き言を言ってはいけませんね。通じてますから。心配をかけてしまいます)以上、経験者より
また夢は亡き人だけと繋がるわけではない。
いや、もしかしたら亡き人が、必要があって繋いでくれるのかもしれないが、生きている人同士がまるでテレパシーで交信しているかのように、お互いの夢の中で会っていることもある。
これは家族間だけで起こることではない。会ったことも無い人同士でも起こる。
このようなことを考えると、「あの世」も含めて人間にはまだまだ分からないことばかりだと思う。
「夢」という例で話をしたが、夢ではなく現実の世界であっても、いろいろと不思議なことが起きる。
例えば、地震前夜に感じた龍。
思えば、すべての始まりは龍だった。
あれは何年前だっただろうか。
生れて初めて夢に龍が出てきて、私がなぜか自分の手に持っていた白い玉を龍に「はい」と手渡したら、まるで鈴を転がすような美しい女性の声で「ありがとう」と言って、龍が玉を受け取ってくれた。
その声ははっきりと、まるで右耳のすぐそばで言われているように聞こえ、私は驚いて目が覚めた。
それが始まり。
旅と言えばかっこよすぎるが、振り返れば、なにかそこから大きな旅が始まったような感覚にもなる。
またそれまでは、龍と言えば怖いおじさんの背中に彫られているくらいの認識しかなかったのだが、龍のイメージが変わった出来事でもあった。
以来、龍と言うのは想像上の動物と言われているが、なにか目には見えないエネルギーとして存在している物なのだろうと思っている。
ただ、夢も龍も「本当なのか?」と言われても、他人にはうまく説明ができないし、理解してもらうことも難しい。
説明するのは難しいが、あの時、妹に言われた時に「何言ってるの?」だったことが、今は、はっきりと二つの世界に生きているという感覚がある。
そして、それは日を追うごとに強くなる。
この世とあの世の両方が存在していることは、今では私自身に疑いの余地もない。
でも、私が声を張り上げて「本当なんですから!」と言えば言うほど嘘になるような気がするので、こうして文章に書く以外は、他人に話す事はしない。
また、万人に信じてもらいたいとか分かってもらいたいという気持ちもない。
この記事を読んで、そんなこともあるのかなぁと思ってもらえれば、それでいい。
妹に「この世とあの世の両方に生きているんだね」と言われたが、あの世のことはこのブログだけに留めて、この世に生を受けた限りはしっかり地に足をつけて生きて行こうと思う。
今晩の夕飯は何にしようかな~と悩み、家族に美味しかったと言ってもらえることを励みに料理を作り、いろいろな雑事に振り回されながらも、この世でしかできない楽しみ(温泉とかね・・・ふふ)を満喫して、私という人生を生きて行こう。
それは、この世に生を受けたものはみんな同じなんですね。
歩む人生は違っても、今を一生懸命に生きることなんですね。
やっと、やっとわかってきました。
ありがとうございます。
妹には他意は無く、ただ私が毎日神棚に手を合わせ、先祖供養をやっていることを知っていたため、そう言ったのだと思う。
それを聞いた私は「あの世とこの世の両方で生きているなんて、妹もずいぶん変わった言い方をするわ。そんなことはないのに・・・私はこの世でしか生きていない」と思った。
妹から言われたその言葉を忘れかけていたのだが、最近になって、よくその言葉を思い出すようになった。
この世とあの世で生きている・・・
本当にそうかもしれない。
例えば「夢」
これは将来の夢ではなく、寝ている時に見る「夢」の方だが、眠っている間に見ている夢の中で、すでに亡くなっている人たちと会ったり話したりするということがある。
もちろん、これらの夢の中には、会いたいという願望が見せているものや自分では気づかない深層心理が影響して見る夢も多数ある。
ただその中でも、これは自分の願望とは違う、本当に会ったなと思われる夢がある。
近い所では今年のお盆に見た父の夢だが、夢の中で私は長い時間、父と会話していたような気がするのだが、話の内容はまったく覚えていない。
しかし夢から覚めて、すぐに父を探して周囲を見回したほど、それは本当にリアルな感覚だった。
まるで、今まで父がそばにいたような感覚。
その時以来、父が今までよりもずっと遠くへ行ったと感じるようになった。
それはきっと父の意識が向上して、この世からさらに離れて遠くまで行ったのだと、私は勝手に思っているのだが、これは悲しいことではなく、むしろ喜ばしいことだと思っている。
他にも私が亡き母に対して語りかけたことを、亡き母がそれを伝えるために他の家族の夢に現れるということもあった。
それも別件で何度か同じようなことがあって、最初は偶然だろうと思っていたのだが、3回目にはさすがに亡き母に通じているということを実感した。
(仏壇や亡き人に向けて、愚痴や泣き言を言ってはいけませんね。通じてますから。心配をかけてしまいます)以上、経験者より
また夢は亡き人だけと繋がるわけではない。
いや、もしかしたら亡き人が、必要があって繋いでくれるのかもしれないが、生きている人同士がまるでテレパシーで交信しているかのように、お互いの夢の中で会っていることもある。
これは家族間だけで起こることではない。会ったことも無い人同士でも起こる。
このようなことを考えると、「あの世」も含めて人間にはまだまだ分からないことばかりだと思う。
「夢」という例で話をしたが、夢ではなく現実の世界であっても、いろいろと不思議なことが起きる。
例えば、地震前夜に感じた龍。
思えば、すべての始まりは龍だった。
あれは何年前だっただろうか。
生れて初めて夢に龍が出てきて、私がなぜか自分の手に持っていた白い玉を龍に「はい」と手渡したら、まるで鈴を転がすような美しい女性の声で「ありがとう」と言って、龍が玉を受け取ってくれた。
その声ははっきりと、まるで右耳のすぐそばで言われているように聞こえ、私は驚いて目が覚めた。
それが始まり。
旅と言えばかっこよすぎるが、振り返れば、なにかそこから大きな旅が始まったような感覚にもなる。
またそれまでは、龍と言えば怖いおじさんの背中に彫られているくらいの認識しかなかったのだが、龍のイメージが変わった出来事でもあった。
以来、龍と言うのは想像上の動物と言われているが、なにか目には見えないエネルギーとして存在している物なのだろうと思っている。
ただ、夢も龍も「本当なのか?」と言われても、他人にはうまく説明ができないし、理解してもらうことも難しい。
説明するのは難しいが、あの時、妹に言われた時に「何言ってるの?」だったことが、今は、はっきりと二つの世界に生きているという感覚がある。
そして、それは日を追うごとに強くなる。
この世とあの世の両方が存在していることは、今では私自身に疑いの余地もない。
でも、私が声を張り上げて「本当なんですから!」と言えば言うほど嘘になるような気がするので、こうして文章に書く以外は、他人に話す事はしない。
また、万人に信じてもらいたいとか分かってもらいたいという気持ちもない。
この記事を読んで、そんなこともあるのかなぁと思ってもらえれば、それでいい。
妹に「この世とあの世の両方に生きているんだね」と言われたが、あの世のことはこのブログだけに留めて、この世に生を受けた限りはしっかり地に足をつけて生きて行こうと思う。
今晩の夕飯は何にしようかな~と悩み、家族に美味しかったと言ってもらえることを励みに料理を作り、いろいろな雑事に振り回されながらも、この世でしかできない楽しみ(温泉とかね・・・ふふ)を満喫して、私という人生を生きて行こう。
それは、この世に生を受けたものはみんな同じなんですね。
歩む人生は違っても、今を一生懸命に生きることなんですね。
やっと、やっとわかってきました。
ありがとうございます。