最近また一段とお姑さんの認知症が進んだような気がしている。
今年に入ってから時々トイレを汚すようになった。
「何故ここに?」と思うような所に大便がついていたり、ついているだけならまだしもコロンと落ちていたりする。
本人はまったくそんなことは覚えていないというのか、汚したという意識はない。
大便が落ちているくらいなのだから、小水だって漏らしているのではないだろうか?と思っていたら、やはりそれもあるようで、恥ずかしいのか、それは自分で始末をしている。
もうそろそろ紙パンツにしてもらった方がいいだろうか・・・そう思って、それとなく勧めてみたのだが「それはやだわ」と即座に断られた。
まだ自分の意思はしっかりと持っているので、新しい提案を受け入れてもらうのは至難の業だ。
やんわり言っても即座に断られるし、強く言うと「怒られた」と言われるし、どちらにしても絶対に断るので、どうしてもしてもらいたい時は、息子である夫を通すようにしている。
(最愛の息子が言うことはよく聞いてくれるので)
ところで、友人から「電話してもいい?」とメールが来た。
彼女が「電話していい?」と聞いてくるときは、必ずストレスがマックスになっている時だ。
友人は近くに住んでいる実の母を毎日介護しているのだが、お父さんが亡くなってからお母さんの認知症が進み、自分のことを泥棒呼ばわりすると言って嘆いていた。
物を自分で仕舞いこんで、誰かに盗まれたと言うのは、認知症ではよくあることで、私もそれは経験済みなので友人のやるせない気持ちはよくわかる。
まず疑われるのは、いつも近くにいる人なんだよね・・・
友人の電話の話もやっぱりそれだった。
「私が盗んだとか言われて、すごく腹が立って、なにより情けないのよね。こんなに一生懸命に世話をしてやっているのに、隠れて親戚に電話をして私の悪口を言っているの。本当に嫌になる。自分の母親だけど顔も見たくないって思う」
隠れて悪口の電話をするのも、よくあること。それも経験がある。
「義理のおかあさんなのに、そんなことがあって、よく我慢できるね。私は実の母でも許せないのに・・・」という友人に対して「義理の母だから、仕方がないって水に流せるのだと思う」と答えた。
うちの場合だが、義母に対してはまだ気を使っている所があって、実の親に対するよりも怒りの抑制が効くのではないかと思う。
その時はもちろんムカっとするが、あとから義母の物忘れが可哀そうに思えたり、私にも悪いところがあったと反省したりする。
これが実の親子、特に母親と娘であったら、互いに遠慮なく言い合うことがあるのかもしれない。
友人の言葉で気になったのが「こんなに世話をしてやってるのに」という所で、友人曰く「私は、母を子どもよりもずっと手がかかると思って介護してるの」とも言っていた。
この友人の話はもっともで、頑固になっている老人の世話をするのは子どもの世話をするよりも手が焼けることは認める。
・・・が、ボケてしまってもお母さんには母親としてのプライドがある。
娘には世話になっているという意識はもちろんあると思うが、娘からまるで子ども扱いされて、時には叱られているような感じを受けたとしたら、絶対にお母さんも娘に対して怒りを持つはずだと思った。
私自身は実母がいないので、自分の年老いた母親を介護をする経験はないが、もしも自分が年老いて頭も体も不自由になった時に、娘たちに子ども扱いされて、間違えてしまったことなど叱られたとしたら、きっといい気持ちはしないだろう。
これが息子に叱られたとしたら、娘に叱られるより納得できると思うのだが・・・
息子と娘の違い、そして父親と母親の違いかもしれない。
実の親子の場合、異性同士の親子の方が介護も上手くいくように思うが、介護は人それぞれで母娘でもうまくいっている介護もあれば、母と息子でも険悪な関係になる場合もあるかもしれないし、介護も奥が深いですね・・・
「あと30年もしたら、今度は自分が介護されているかも~。その時には決して娘や嫁の悪口は言わないようにしようね」と言ったら、友人が「そうだね、でもその頃はもうボケていて、そんなことはすっかり忘れているよ」と言って二人で大笑いした。
友人が「こんなに笑ったの久しぶり。笑ってすっきりしたぁ」と言ってくれてよかった。
私も楽しかったよ。
今年に入ってから時々トイレを汚すようになった。
「何故ここに?」と思うような所に大便がついていたり、ついているだけならまだしもコロンと落ちていたりする。
本人はまったくそんなことは覚えていないというのか、汚したという意識はない。
大便が落ちているくらいなのだから、小水だって漏らしているのではないだろうか?と思っていたら、やはりそれもあるようで、恥ずかしいのか、それは自分で始末をしている。
もうそろそろ紙パンツにしてもらった方がいいだろうか・・・そう思って、それとなく勧めてみたのだが「それはやだわ」と即座に断られた。
まだ自分の意思はしっかりと持っているので、新しい提案を受け入れてもらうのは至難の業だ。
やんわり言っても即座に断られるし、強く言うと「怒られた」と言われるし、どちらにしても絶対に断るので、どうしてもしてもらいたい時は、息子である夫を通すようにしている。
(最愛の息子が言うことはよく聞いてくれるので)
ところで、友人から「電話してもいい?」とメールが来た。
彼女が「電話していい?」と聞いてくるときは、必ずストレスがマックスになっている時だ。
友人は近くに住んでいる実の母を毎日介護しているのだが、お父さんが亡くなってからお母さんの認知症が進み、自分のことを泥棒呼ばわりすると言って嘆いていた。
物を自分で仕舞いこんで、誰かに盗まれたと言うのは、認知症ではよくあることで、私もそれは経験済みなので友人のやるせない気持ちはよくわかる。
まず疑われるのは、いつも近くにいる人なんだよね・・・
友人の電話の話もやっぱりそれだった。
「私が盗んだとか言われて、すごく腹が立って、なにより情けないのよね。こんなに一生懸命に世話をしてやっているのに、隠れて親戚に電話をして私の悪口を言っているの。本当に嫌になる。自分の母親だけど顔も見たくないって思う」
隠れて悪口の電話をするのも、よくあること。それも経験がある。
「義理のおかあさんなのに、そんなことがあって、よく我慢できるね。私は実の母でも許せないのに・・・」という友人に対して「義理の母だから、仕方がないって水に流せるのだと思う」と答えた。
うちの場合だが、義母に対してはまだ気を使っている所があって、実の親に対するよりも怒りの抑制が効くのではないかと思う。
その時はもちろんムカっとするが、あとから義母の物忘れが可哀そうに思えたり、私にも悪いところがあったと反省したりする。
これが実の親子、特に母親と娘であったら、互いに遠慮なく言い合うことがあるのかもしれない。
友人の言葉で気になったのが「こんなに世話をしてやってるのに」という所で、友人曰く「私は、母を子どもよりもずっと手がかかると思って介護してるの」とも言っていた。
この友人の話はもっともで、頑固になっている老人の世話をするのは子どもの世話をするよりも手が焼けることは認める。
・・・が、ボケてしまってもお母さんには母親としてのプライドがある。
娘には世話になっているという意識はもちろんあると思うが、娘からまるで子ども扱いされて、時には叱られているような感じを受けたとしたら、絶対にお母さんも娘に対して怒りを持つはずだと思った。
私自身は実母がいないので、自分の年老いた母親を介護をする経験はないが、もしも自分が年老いて頭も体も不自由になった時に、娘たちに子ども扱いされて、間違えてしまったことなど叱られたとしたら、きっといい気持ちはしないだろう。
これが息子に叱られたとしたら、娘に叱られるより納得できると思うのだが・・・
息子と娘の違い、そして父親と母親の違いかもしれない。
実の親子の場合、異性同士の親子の方が介護も上手くいくように思うが、介護は人それぞれで母娘でもうまくいっている介護もあれば、母と息子でも険悪な関係になる場合もあるかもしれないし、介護も奥が深いですね・・・
「あと30年もしたら、今度は自分が介護されているかも~。その時には決して娘や嫁の悪口は言わないようにしようね」と言ったら、友人が「そうだね、でもその頃はもうボケていて、そんなことはすっかり忘れているよ」と言って二人で大笑いした。
友人が「こんなに笑ったの久しぶり。笑ってすっきりしたぁ」と言ってくれてよかった。
私も楽しかったよ。