「クリクリのいた夏」を見終わりました。
原題は「沼の子供たち」なのに、邦題はどうして「クリクリのいた夏」なのかな、というと、子供たちの中に4~5歳のクリクリという女の子がいて、映画全体が、おばあちゃんになったクリクリの回想、という形で進んでいくからです。
”わたしの”ミッシェル・セロー殿は、昔は沼地に住んでいたけれど、成功して富を得て、今は娘婿に工場経営を任せて、悠々自適な生活をしている、という役どころ。でも、心は空虚で、沼の生活を今でも懐かしんでいるのです。
あるとき、ちょっとしたきっかけで、沼に住むリトン(ジャック・ヴィルレ)を助けるために、蛙釣りの手伝いをします。
ペペ((ミッシェル・セロー)は映画の中でこう呼ばれていたのですが・・・)は昔とった杵柄(きねづか?)で120匹も釣ってしまいます。
釣った蛙はホテルに売るんです。
そうやって、沼は、沼地の住人を養っているんですね。
リトンがペペに「あなたは豊かな暮らしをしている」という場面があります。
ペペは「ここ(沼地)での生活の方がよほど豊かだ。沼は皆を養ってくれる」といいます。
ペペは沼の生活に戻りたかったのでしょう。
ペペの最期は、リトンの危機を知らせるため、雪の降りしきる中を沼へ向かう途中、発作が起きて路上に倒れそのまま・・・・という形です。
ペペは沼の人々のために、できるだけのことをしたのでしょう。
大げさな場面も、笑ったり泣いたりする場面もありませんでしたが、ジンワリとこころに染み入る映画でした。
原題は「沼の子供たち」なのに、邦題はどうして「クリクリのいた夏」なのかな、というと、子供たちの中に4~5歳のクリクリという女の子がいて、映画全体が、おばあちゃんになったクリクリの回想、という形で進んでいくからです。
”わたしの”ミッシェル・セロー殿は、昔は沼地に住んでいたけれど、成功して富を得て、今は娘婿に工場経営を任せて、悠々自適な生活をしている、という役どころ。でも、心は空虚で、沼の生活を今でも懐かしんでいるのです。
あるとき、ちょっとしたきっかけで、沼に住むリトン(ジャック・ヴィルレ)を助けるために、蛙釣りの手伝いをします。
ペペ((ミッシェル・セロー)は映画の中でこう呼ばれていたのですが・・・)は昔とった杵柄(きねづか?)で120匹も釣ってしまいます。
釣った蛙はホテルに売るんです。
そうやって、沼は、沼地の住人を養っているんですね。
リトンがペペに「あなたは豊かな暮らしをしている」という場面があります。
ペペは「ここ(沼地)での生活の方がよほど豊かだ。沼は皆を養ってくれる」といいます。
ペペは沼の生活に戻りたかったのでしょう。
ペペの最期は、リトンの危機を知らせるため、雪の降りしきる中を沼へ向かう途中、発作が起きて路上に倒れそのまま・・・・という形です。
ペペは沼の人々のために、できるだけのことをしたのでしょう。
大げさな場面も、笑ったり泣いたりする場面もありませんでしたが、ジンワリとこころに染み入る映画でした。