とにかくびっくりしたのです。
その日は朝から普通に過ごしていて、昼から買い物に行ってフードコートで楽しくランチしたのです。
夜も普通に晩ご飯を食べました。
夕食後、いとこのお姉さんが家に寄ってくれて、一緒にデザートを食べておしゃべりして。
彼女が帰った直後でした。母がめまいを訴えたのは。
実は母には良性発作性頭位めまい症という症状がたまに起こります。
耳の中の耳石が動いてめまいが起る症状ですね。
だけどその夜はちょっと症状が重い感じだったし、母は高血圧持ちで、その時血圧を測るととても高く
医者ではない私たちが「大丈夫だろ」と判断するにはリスクがありすぎる気がしました。
一番近くの病院に救急で連れて行ってもいいか電話をして症状を伝えました。
でも、脳のレントゲンが撮れる救急病院ならここではないとあっさり言われました。
もうそれなら迷う時間がもったいなく、救急車を呼ぶことにしました。
救急隊員が来るまでに私は母に頭痛がないか、心拍数が上がっていないか、気持ち悪くないか、
ちゃんと話せるか、腕が動かせるか、顔の半分が下がってないか、眼振はないかなど確かめました。
脳梗塞や脳卒中など、最悪のケースを見定める、素人でもできる見分け方をチェックしていたのです。
以前なんとなくYouTubeで知った無駄な知恵が、無駄ではなかったなと思えた瞬間でした。
救急車はすぐに到着し、私が母と一緒に乗り、父が車で追いかけるということにしました。
母には意識はちゃんとあったので、私も落ち着いていて母の手をさすり続けました。
乗った救急車の中でぼんやり思ったのが、「今年は母と救急車か」ということでした。
去年はハニバニと救急車に乗ったのです。
病院にはあっという間に到着し、すぐに医者にも診てもらえました。
そこの医者も私と同じような質問を母にしていて、
眼振を調べたときに母の目が左右に動いているのを確認しました。
それを見たときすぐに今回も良性発作性頭位めまい症だと思いました。
念のために脳のMRIを撮ってもらい、結果を聞いたところでそれが確実なものになりました。
脳には全く異常はなかったのです。安心しました。
でもめまいの状態が酷かったので、とりあえず入院ということになりました。
医者の話だと、入院は人によっては1日、または1ヶ月の人も。
父と一緒に看護師さんと入院手続きをして、母と手短かに会話をしてから父と私は家に戻りました。
家に戻ると午前一時を過ぎていました。
入院のため必要な、最低限の身の回り品を次の朝持って行けるように準備しました。
それが終わると、二人とも疲れがどっと押し寄せてヨレヨレでした。
あんなに疲れていたのに、しっかり眠ることはできませんでした。
.
お父さんもお母さんもケイエスさんがいてくれて、本当に助かったと思うよ。
ケイエスさんにしてみれば2年連続の救急車だけど、もしケイエスさんがアメリカに戻った直後にお母さんが倒れてたら「なんでもうちょっと長くいなかったんだろう」って後悔してると思う。
だから、お母さんはそれを予期して、絶妙のタイミングでめまいを発症したんじゃないかな。
もちろん、何にも起こらないのがベストだけど、やっぱり80歳過ぎると何かとあるって。
ちなみに、ウチの母は83歳、まだまだ親孝行させて欲しいわ〜😉
きっとお母さんがいちばんびっくりしたよね。
ただ、ご本人はつらいですね。。。
できるだけ早く退院できるといいですけど、まだ目途はたっていないのでしょうか。
しかし、ケイエスさんが一緒で本当に良かったです!
お父様だけだったら、相当大変だったんじゃないでしょうか。
それに、ケイエスさん、かなり落ち着いていらしたようなので、それもすごく良かったと思います。
>それが終わると、二人とも疲れがどっと押し寄せてヨレヨレでした。
>あんなに疲れていたのに、しっかり眠ることはできませんでした。
落ち着いていらしたとは言っても、やっぱり頭が相当疲れたんだと思いますけど、それが普通ですよ。
どうぞ、くれぐれもお大事に。
あと、申年の人は「頭の回転が速く器用」って言うのは時々聞きます。
私にはまったく当てはまりませんw。
お母様はいかがですか?
それは大変でしたな・・・😥
お疲れ様でした。
イレギュラーなことが起こって
頭冴えちゃってるから寝れなかったのかな
お母様もケイエスさんも
お大事にね。
でも、気づいてしまったのよ。アナタ、日本のフードコートで、マック食べてるんかいな?しかも、チキンナゲットまで。おうどん食べなはれよ!や、大笑いしてしまったわ。
でも経験があって予測もして対応できていて、そこはよかったですね
何より、お父様はケイエスさんがいてくれてどれほど心強かったことでしょう
耳石ずれると本当にとてつもないめまいのようです
主人も駅でその症状になって救急車でした
幸い再発していませんが、急に振り向かないように気を付けているみたいです
そうですよね。ほんとタイムリーって思いました。
私がいない時だったら、妹が同じ市内にいるのでサポートはできたでしょうが、
なんせ急なことだったし、父もびっくりしてて心細かっただろうし。
チャチャさんがおっしゃる通り、私がこちらへ戻ってからのことだったら私は心配で気が狂いそうになってたでしょうね。。。
チャチャさんのお母さまも80代前半なんですね。
最近の80代ってめっちゃ若くないですか?
お互いにまだまだ親孝行はしたいものですよね:)
母はびっくりしたというよりも、私に対してものすごく申し訳ないと思っていたらしく
ごめんね、ごめんねとずっと言っていました。
迷惑かけてるって思ったらしいです。
そんなことないのにね。
それが全くなかったので、入院といっても何か頭のどこかでホッとしていました。
実はもう退院はしています。全く長い入院生活ではありませんでした:)
あれでも長引くようでしたら、私は一旦こちらへ戻ってそれからまた日本に引き返そうとまで思っていたんです。
その必要がなくなって、とりあえずは安心しています。
確かにあの場に父だけがいて、救急隊員とやり取りしていたことを想像するとちょっと大変だったかなって思います。
父は耳が遠くなっているので、あの場でコミュニケーションも取り辛かったかも知れません。
人は精神的に疲れすぎると、逆に脳が休むことを忘れちゃうんじゃないかと思いました。
覚醒しすぎて麻痺してる、みたいな感覚かな。
お布団の中で、体はこんなに疲れてるのに頭の中がすごい勢いでスピンし続けてるって感じでした。
>お母様はいかがですか?
頭の回転は、今でこそのんびりしてますが、計算とかはとても早いです。
それから器用ですね:)母は本当に申年の人です!
うん、あの夜はさすがに「ひー」って感じだった。
でも父も同じこと考えてたかもしれないけど、私も父がいてくれて良かった。
私一人だったらどうしようって思っただろうしね。
体がとても疲れてるのに、脳が覚醒しまくってたから眠気が全然こなかったの。
それでも数時間は寝てたみたいなんだけどね。
眠った感覚もなかったなー。