鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

お嫌さん(おいやさん)

2022-08-22 23:05:24 | Weblog

くもりがちでも、蒸し暑い週明け。

それでも、夕方のベランダで、洗濯物など取り込んでいるときに、吹いてくるのは、秋の風。

明日は処暑。

 

お盆前に買ってきた供花が、枯れ始めたので、お仏壇から、撤去。

毎日、毎日、水を換え、花瓶には、塩素を少し入れて、水の腐敗を遅らせていたけれど、10日間、花は、咲いてくれました。

全部、枯れた訳でもないのだけれど、花を支えるガクの部分が、茶色くなって来て、半分は、下を向いてしまっているので、可哀そうなのだけれど。

 

母の勤め先の同僚さんから、御供物のお菓子が送られて来たので、熨斗を掛けたまま、仏前にお供えしたものも、箱を開けて、中身を取り出し、改めて、器に盛り、仏前に。

私も、おやつに頂きました。

 

私は、子供の頃から、極端なビビリで、臆病だったのは、今もまったく変わっていなくて、他人様は怖いし、他人様との距離を詰めるのが、相当苦手。

だから、友達も少ないし(・・・というよりは、今となっては、その友達すら居なくなったから、少ないなんてものじゃなくて、友達は居ない)、これまで、仕事とかで、関わってきた人達、親戚、身内を問わず、好きなひとは、殆ど居なかった(コレも居なかったのではなくて、現在も居ないので)し、ほぼすべて嫌いなひとしか周囲に居ない・・・と言う状態が続いていて、ヒトとして、これでは・・・とも、思うのだけれども、コレも自分だから、まあ、いいのかもしれない(・・・いや、良くないよな・・・たぶん)。

私の周りは、全部、嫌い・・・状態な訳で。

 

『嫌(きら)い』のことを、『おいやさん(お嫌さん)』という記述があったような気もするけれど、そんな言葉があるのか?無いのか・・・ちょっと調べてみたけれど、京都弁なんかで、

『イヤどす!』

なんて言うみたいだから、御所言葉などで、『おいやさんどす』なんて、言うのか、言わないのか・・・京都のひとじゃないから、わからないけれど。

 

私は、『お嫌さん』の総本山みたいな人間なのだけれど、『嫌い』という感情は、ネガティヴなので、きっとあまり宜しからざる・・・というか。

言霊的にも、否定なんだろうと思います。

でも、だって、嫌いなんだもん。

・・・ではなくて、

『でも、だって、好きじゃないんだもん。』

の方が、よいのかも???

 

モノでもヒトでも、嫌いなものは、キライだし。

特に、誰かにメンと向かって言う訳でもないし・・・それでも、嫌いなひととは、仲良くなれそうもない・・・或る意味、ネコ的。

出来れば、避ける・・・いや、徹底的に避けて通る・・・。

もしかすると猫科なのでしょうかしら?

 

猫は、自己完結しているから、ソレでいい。

何をしても、許されるトコがある・・・可愛いヤツは、得している・・・というより、世界が自己完結しているんだろうかな・・・。

 

『嫌い』という、否定的な感情を持ったら、少しの間、この『お嫌さん』と一緒に居ることにしましょう。

 

私は、このひとは、嫌いなのだけれど・・・と、『お嫌さん』が出て来たら、ちょっとだけ、一緒に居てあげることにしましょう。

あのひとは嫌いだけれど、感情の『お嫌さん』のことは、嫌いじゃないからさ・・・。

 

いくら、自己完結を夢みても、嫌いなひとばかりだと、やはり寂しいのかもしれません。

なので、今度は、『寂しいさん』と一緒に居てあげることにしましょう。

 

何の脈絡もないのだけれど、来世は、猫がいいですかね?

 

 


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