11月2日 (月) 雨のち曇
小学校時代の恩師・中谷久美生先生は、矍鑠の88歳!
まことに見事な、お独り暮らしをしておられる。
昨夜お泊りさせていただいた瞳ちゃんの従姉なので、お昼前に、お邪魔して喜んでいただいた。
「お寿司を、いかが? お蜜柑は?」
師弟は、いくつになっても師弟なのだ。
お寿司をいただき、思い出話に花が咲く。
88歳の先生が、「取って置きの漬物よ♪」と、糠床からナスを取り出された。
つやつやと茄子紺色に染まった、美味しいお漬物であった。
朝食は、瞳ちゃんの夫君・りょう弥先生が用意してくださった。
ご夫妻とも教員で、途中から瞳ちゃんが県会議員になられ、それでも3人の子育てを立派に果たされた。
朝食つくりの腕前は、抜群であった。
ありがとうございますぅ。
途中、松阪市役所で戸籍謄本を発行していただき、
まっさんと2人で3時の特急を選び、名張に帰った。
先週の月曜日に、思いがけない事故に遭われたM子さんに電話し、「いま松阪から帰って、運動公園のさくら道を歩いています。 リハビリ方々お散歩されませんか? 途中のコンビニでお茶しましょう」、「ありがとう。ゆるゆる出て行きます」
一昨年、さくらがバイクで自動車事故に遭遇したとき、それまで整体に通っていた大阪のあい整骨院の院長さんが、「交通事故の整体を始めるのは、早いほうが良いですよ」と言ってくださった。
お言葉通り、青黒く腫れた無残なうっ血痕もそのままに、整体を続けて早々と軽快に向かった経験がある。
コンビニのテーブルに向かい合い、「避けられない事故であったなら、不幸中の幸いでしたね」
「だって、痛みは自分持ちではあるけれど、日にち薬で治る程度の打ち身で済んで良かったですぅ」、「おしゃべりも、体の活性化に関係しますよ」、「きっと良くなる、必ず良くなる!」
私たちは、小半時のお喋りを楽しみ、暗くなった夜道を帰宅した。
Mこさんがいつの間にかさくらの腕に腕を絡ませ、私たちはM子さんのお宅まで、ひとつの陰になって歩いた。
小学校時代の恩師・中谷久美生先生は、矍鑠の88歳!
まことに見事な、お独り暮らしをしておられる。
昨夜お泊りさせていただいた瞳ちゃんの従姉なので、お昼前に、お邪魔して喜んでいただいた。
「お寿司を、いかが? お蜜柑は?」
師弟は、いくつになっても師弟なのだ。
お寿司をいただき、思い出話に花が咲く。
88歳の先生が、「取って置きの漬物よ♪」と、糠床からナスを取り出された。
つやつやと茄子紺色に染まった、美味しいお漬物であった。
朝食は、瞳ちゃんの夫君・りょう弥先生が用意してくださった。
ご夫妻とも教員で、途中から瞳ちゃんが県会議員になられ、それでも3人の子育てを立派に果たされた。
朝食つくりの腕前は、抜群であった。
ありがとうございますぅ。
途中、松阪市役所で戸籍謄本を発行していただき、
まっさんと2人で3時の特急を選び、名張に帰った。
先週の月曜日に、思いがけない事故に遭われたM子さんに電話し、「いま松阪から帰って、運動公園のさくら道を歩いています。 リハビリ方々お散歩されませんか? 途中のコンビニでお茶しましょう」、「ありがとう。ゆるゆる出て行きます」
一昨年、さくらがバイクで自動車事故に遭遇したとき、それまで整体に通っていた大阪のあい整骨院の院長さんが、「交通事故の整体を始めるのは、早いほうが良いですよ」と言ってくださった。
お言葉通り、青黒く腫れた無残なうっ血痕もそのままに、整体を続けて早々と軽快に向かった経験がある。
コンビニのテーブルに向かい合い、「避けられない事故であったなら、不幸中の幸いでしたね」
「だって、痛みは自分持ちではあるけれど、日にち薬で治る程度の打ち身で済んで良かったですぅ」、「おしゃべりも、体の活性化に関係しますよ」、「きっと良くなる、必ず良くなる!」
私たちは、小半時のお喋りを楽しみ、暗くなった夜道を帰宅した。
Mこさんがいつの間にかさくらの腕に腕を絡ませ、私たちはM子さんのお宅まで、ひとつの陰になって歩いた。
私は9年前からの会員ですが、毎回の新聞を執り置いて度々読ませていただきます。その度に元気と安心を頂きます。ありがとうございました。さくら様、どうぞお疲れがでませんように。