平成21年9月1日、東京・日比谷野外小音楽堂で、金つなぎの会創設15周年記念「山下敬二郎・直子LIVE」が開かれた。 力づよくてリリカルで、優しく暖かく、それでいて十分Rock`n-heartの伝わる素晴らしいステージであった。
左から、協賛のタヒボ社・畠中茂実副社長、敬ちゃん、さくら、病友の玉ちゃん
敬ちゃんこと、山下敬二郎さんが逝かれて5日目を迎えた。
金つなぎの会は、はれちゃんが早々とお通夜にお参りしてくださることになった。
さくらは告別式にうかがうべく、12日の深夜バスを予約。 大阪の玉ちゃんが、名張に来て一緒に行ってくださるそうで、バス会社にもう1席をGet。
すこ~し豪華で、十分快適な3人席のリクライニングシートで、寝ている間に移動できる【寝ながらエステ】は、さくらのお気に入り。
東京の小田社長としおんちゃんとは斎場近くの駅でお出会いすることにもなった。
町田市市議会の吉田つとむ副議長からは6日に電話をいただき、しばし思い出話に浸ったのだったが、このたびも吉田さんのアドバイスで、深夜バスを降りたらそのまま横浜駅のスカイスパYOKOHAMAで温浴と着替えが出来ることになった。
吉田さん、ありがとうございます。
ほんとうに、ありがたいなぁ。
午後、直子夫人にTEL。
一昨日は、敬ちゃんが好きでない和の喪装をお勧めし、「美容院と衣装業者さんに予約を入れて、見事に装って敬ちゃんを見送ってあげてくださいませ」などと余計なことを言ってしまったのを思い返し、反省しきり…
「ごめんなさいね。 やはり、お洋服になされたほうが良いのかも…」
「あ、もう、美容院にも業者さんにも予約を入れました」って。
直子さん、ご長男のHくん、ご長女のRちゃん。
どうぞくれぐれも、「気力に欠くるなかりしか!」とご自分に言い聞かせて、がんばってくださいませ。
金つなぎは、心から応援していますぅ。
◆
敬ちゃんとさくらの出会いは、がんのおかげ、NHK「ラジオ深夜便」のおかげ、そして、ITに強い直子さんのおかげである。
1993年(平成5年)春、さくらは前年の乳がん(1期C)に続き二つ目の卵巣がん(3期C)が、8㌢×11㌢もの病巣を持った5か所転移の進行がんであると知って、気力が萎えた。
おまけに、CAP療法と名付けられた3剤混合の抗がん剤治療で、体は完膚なきまでに打ちのめされ、その間に夫が4日間の入院であっけなく逝き、自らは【余命半年】の病状を知るに至って生きる希望も途切れがちの眠れない夜、敬ちゃんの名曲『バルコニーに座って』と出会ったのだった。
エディ・コクランが歌ったこの曲は、敬ちゃんがカバーしたエルヴィス・プレスリーの『ダイアナ』のカップリング曲で、ダイアナの人気に隠れて周知されなかった。
少なくとも、私はこの曲を知らなかった。
抗がん剤の副作用で、体中がささくれ立つような眠れない深夜。
好きだったクラシックは、もはや聴くだけの気力も体力もなく、わずかにダーク・ダックスのゲタさんこと喜早哲さんに頂戴した抒情歌のCD2巻の優しい楽曲に心癒されているほかは、米米クラブの「浪漫飛行」を聴いて、外の世界への憧れを掻き立てているほどのことであった。
少女のころ耳馴染んだ、テレビ草創期の『しゃぼん玉ホリデー』をテープ全集に仕立てたバッグが購入してあったのを思い出し、夫に持って来てもらってロカビリーを主に聴く夜もあった。
♪Just a sittin the balcony
きみと観ているムービー たまに聴こえるシンフォニー
てんで 上の空
恋愛中に、夫とたくさんの映画を観た。
ほんとうに、「てんで 上の空」ってことも、たしかにあった。
〈もう、一緒に映画を観ることも出来ないのね〉
体も心も病んでいたあの頃の私の心象風景は、救いようもないほど深い深い水底に沈んでしまっていた。
そんな私に、敬ちゃんの歌声は、優しくやさしく響いた。
心が癒され、体が温かくなるのが感じられた。
歌の力が、生きる勇気に火をつけてくれた。
1999年〈平成11年〉に、NHKの「ラジオ深夜便・こころの時代」ディレクターの上野重喜さんが、全国の病友がたのために珠玉のインタビューを企画してくださった。
いえ。
正確に言えば、高見秀史さん(元フジサンケイリビングサービス専務取締役)が、高校時代からの親友・上野さんにサンケイ時代の一記者に過ぎなかったさくらの闘病について、ご紹介くださったのがきっかけであった。
さくらの上司・故藤岡榮さん(元サンケイリビング新聞専務取締役大阪代表)と高見さんのご縁のおかげである。
ラジオ深夜便・こころの時代は、抗がん闘病中の眠れない毎夜に、本当に励まされ勇気づけられた番組であった。
インタビューの後の調整時間に、癒しの音楽が流れるのもうれしいことだった。
2夜連続で放送されるということであったので、「どうぞ入院中の眠れない病友がたに癒しの音楽をお届けしてくださいませ」と無理をお願いして、「バルコニーに座って」(山下敬二郎)、「星の界(よ)」(ダークダックス)、「土佐の砂山」(姫神)、「マイウェイ」(フランク・シナトラ)、予備曲として、ピアノ曲の「」
左から、協賛のタヒボ社・畠中茂実副社長、敬ちゃん、さくら、病友の玉ちゃん
敬ちゃんこと、山下敬二郎さんが逝かれて5日目を迎えた。
金つなぎの会は、はれちゃんが早々とお通夜にお参りしてくださることになった。
さくらは告別式にうかがうべく、12日の深夜バスを予約。 大阪の玉ちゃんが、名張に来て一緒に行ってくださるそうで、バス会社にもう1席をGet。
すこ~し豪華で、十分快適な3人席のリクライニングシートで、寝ている間に移動できる【寝ながらエステ】は、さくらのお気に入り。
東京の小田社長としおんちゃんとは斎場近くの駅でお出会いすることにもなった。
町田市市議会の吉田つとむ副議長からは6日に電話をいただき、しばし思い出話に浸ったのだったが、このたびも吉田さんのアドバイスで、深夜バスを降りたらそのまま横浜駅のスカイスパYOKOHAMAで温浴と着替えが出来ることになった。
吉田さん、ありがとうございます。
ほんとうに、ありがたいなぁ。
午後、直子夫人にTEL。
一昨日は、敬ちゃんが好きでない和の喪装をお勧めし、「美容院と衣装業者さんに予約を入れて、見事に装って敬ちゃんを見送ってあげてくださいませ」などと余計なことを言ってしまったのを思い返し、反省しきり…
「ごめんなさいね。 やはり、お洋服になされたほうが良いのかも…」
「あ、もう、美容院にも業者さんにも予約を入れました」って。
直子さん、ご長男のHくん、ご長女のRちゃん。
どうぞくれぐれも、「気力に欠くるなかりしか!」とご自分に言い聞かせて、がんばってくださいませ。
金つなぎは、心から応援していますぅ。
◆
敬ちゃんとさくらの出会いは、がんのおかげ、NHK「ラジオ深夜便」のおかげ、そして、ITに強い直子さんのおかげである。
1993年(平成5年)春、さくらは前年の乳がん(1期C)に続き二つ目の卵巣がん(3期C)が、8㌢×11㌢もの病巣を持った5か所転移の進行がんであると知って、気力が萎えた。
おまけに、CAP療法と名付けられた3剤混合の抗がん剤治療で、体は完膚なきまでに打ちのめされ、その間に夫が4日間の入院であっけなく逝き、自らは【余命半年】の病状を知るに至って生きる希望も途切れがちの眠れない夜、敬ちゃんの名曲『バルコニーに座って』と出会ったのだった。
エディ・コクランが歌ったこの曲は、敬ちゃんがカバーしたエルヴィス・プレスリーの『ダイアナ』のカップリング曲で、ダイアナの人気に隠れて周知されなかった。
少なくとも、私はこの曲を知らなかった。
抗がん剤の副作用で、体中がささくれ立つような眠れない深夜。
好きだったクラシックは、もはや聴くだけの気力も体力もなく、わずかにダーク・ダックスのゲタさんこと喜早哲さんに頂戴した抒情歌のCD2巻の優しい楽曲に心癒されているほかは、米米クラブの「浪漫飛行」を聴いて、外の世界への憧れを掻き立てているほどのことであった。
少女のころ耳馴染んだ、テレビ草創期の『しゃぼん玉ホリデー』をテープ全集に仕立てたバッグが購入してあったのを思い出し、夫に持って来てもらってロカビリーを主に聴く夜もあった。
♪Just a sittin the balcony
きみと観ているムービー たまに聴こえるシンフォニー
てんで 上の空
恋愛中に、夫とたくさんの映画を観た。
ほんとうに、「てんで 上の空」ってことも、たしかにあった。
〈もう、一緒に映画を観ることも出来ないのね〉
体も心も病んでいたあの頃の私の心象風景は、救いようもないほど深い深い水底に沈んでしまっていた。
そんな私に、敬ちゃんの歌声は、優しくやさしく響いた。
心が癒され、体が温かくなるのが感じられた。
歌の力が、生きる勇気に火をつけてくれた。
1999年〈平成11年〉に、NHKの「ラジオ深夜便・こころの時代」ディレクターの上野重喜さんが、全国の病友がたのために珠玉のインタビューを企画してくださった。
いえ。
正確に言えば、高見秀史さん(元フジサンケイリビングサービス専務取締役)が、高校時代からの親友・上野さんにサンケイ時代の一記者に過ぎなかったさくらの闘病について、ご紹介くださったのがきっかけであった。
さくらの上司・故藤岡榮さん(元サンケイリビング新聞専務取締役大阪代表)と高見さんのご縁のおかげである。
ラジオ深夜便・こころの時代は、抗がん闘病中の眠れない毎夜に、本当に励まされ勇気づけられた番組であった。
インタビューの後の調整時間に、癒しの音楽が流れるのもうれしいことだった。
2夜連続で放送されるということであったので、「どうぞ入院中の眠れない病友がたに癒しの音楽をお届けしてくださいませ」と無理をお願いして、「バルコニーに座って」(山下敬二郎)、「星の界(よ)」(ダークダックス)、「土佐の砂山」(姫神)、「マイウェイ」(フランク・シナトラ)、予備曲として、ピアノ曲の「」
ロカビリー世代の花形歌手であったヤマケイのニュースをこんな形で読めるとは。
歌がうまく、純粋で、少し意固地で、洒落者で、若い細君に巡り合って人生最後は幸せだったな。
仕事でかかわったことのあるヤマケイに、謹んで合掌