2月21日(月) 細雪、強風吹き荒れる
毎月1回布施の鈴木診療所に、糖尿病の外来受診と薬をいただきにあがる。
旧・NTT西日本大阪病院(現・第二大阪警察病院)の糖尿病内科でお世話になっていた鈴木俊伸Drが、実家の医院を継がれるに当たって「おっかけ」をしたものである。
「あなたの糖尿病は安定しているから、こんな遠くまで来なくても、名張の病院で診てもらったら?」と言っていただき、紹介状をもらって名張市立病院を希望したけれど、当時は糖尿病外来が開設されておらず、(一般内科でも良かったのだけれど…)、鄭重に断られた。
次いで、糖尿病専門の森岡内科の院長先生にお願いしたけれど、さくらの病歴を聞かれて「あなたの場合は大病もあるから、これまで通りカルテのある大阪の病院で診てもらってください」と、あっさり断られた。
余命半年の多重がん(乳がん1期、卵巣がん3期5か所転移)、インスリン投与の糖尿病患者、心疾患によるカテーテル術(ステント挿入)2回、などの病歴書を診ていただいたら、両病院で即断られたのであった。
「なので先生、お願いしますぅ」、「ではでは、80歳までは診させていただきます」と言っていただき、毎月1回布施まで往復2時間強かけて通っている。
「先生、今年はおかげ様で81歳になります。 次は85歳まで…」、「いや、先のことは判らないから、84歳まで」、「あ、わたし4という数字は嫌いなんです」、「では、83歳まで…」
Drは、さくらの余命を3年後までと踏んでおられるのかもしれないけれど、結局、85歳まで診ていただけることになり、有難うございます!!
早朝の名張駅ホームは、人影もまばらで向かいのホームを近鉄が誇る次世代特急「ひのとり」がひゅんと駆け抜けた。
1週間前の夜、大阪から来客の予定だったのが、「名張駅で特急ひのとりに飛び込んだとの情報が入りました。とりあえず行けるところまで行きます」とのLINEが入り、約束の時間を1時間余り遅れてのご到着となった。
24歳の女性であったと聞いたけれど、そのお若さであたら命を無駄にされた、辛い理由もあったでしょうに、周囲に相談できる親兄弟、友人・知人、職場の上司・先輩はおられなかったのかしらね。
自死を選ばれた友人を数人存じ上げているけれど、どなたもが、逝かれる直前まで明るく普通に応対なされて、「なぜっ?」と驚く突然の行動であったことを想い返すと、ひとの心の深奥に秘めた悩みや苦しみは、ご当人が次の世にまで大切に持って逝きたい、この世で他人に明かしたくない貴重な思い出のようなものであったのかもしれない、と思いいたる。
それにしても、逝者に鞭打つようでとても心苦しいけれど、死に際して、決して周囲に迷惑を掛けないように逝きましょうね。
心から悼みつつ、敢えて。
いつもながらのさくらさんの気力、精神力には敬服あるのみです。
『病は気から・・』などと古いことを言うわけではありませんが、そういう部分もあると思いますし、その証拠となるようなさくらさんの生き方は現在療養中の方も、幸い健康な方も見習うべきじゃないでしょうか。過日も書きましたが「気力、気概、気迫」などを強く感じるさくらさんはまさに「気丈夫」な方だと思います。
食事療法や散歩で改善を図っていますが、7.6から下がりません。もうひと頑張りしてみます。