11月4日(土) 晴
昨夜、平井理事から「澤田さんのご主人さまが亡くなられました」と連絡をいただいた。
平井さんは日ごろから、優しく丁寧に病友の話を聞いてくださるせいもあり、病友がたからの信頼が篤い。
今朝、グループLINEに訃報を流し、玉川温泉での療養、大阪第一ホテルの金つなぎパーティーには、絵画や病友の似顔絵を展示して私たちを喜ばせてくださったことなどを紹介させていただいた。
澤田貢三さん。
有名企業の役員を務めあげたのち、第二の人生は奈良芸術短期大学に進学し、趣味の絵画を芸術の域にまで高め、卒業時には首席の栄誉に輝くなど、素晴らしい老後を生きて、逝かれた。
妻の悦子さんは乳がんほかを病んでも、まことに氣甲斐性のある方で、明るく強く闘病しつつ、毎日夫君の散歩に付き添い、もう歩けなくなられベッドに休むことの増えた夫君を励まし、最後まで気丈に看取られた。
「でも…、 亡くなった時の、とても悲しそうなお顔がたまりません」「大丈夫! だんだん穏やかなハンサムな、いつものお顔になられるから!」。 確信はなかったけれど、ご家族にとても大切にされ、ご自分も死期を悟って自画像を残し、満足な老後を生きて逝かれたのだ、きっと、必ず、元のハンサムなお顔にもどられる、と信じられた。
ご葬儀の日、私は悦子さんの耳元でささやいた。
「ねっ、ほら。 とても穏やかで美しいお顔をしておられるでしょう」「ほんまですねぇ、ほんまやわ」。 悦子さんは満足そうに頷かれた。
悦子さんの電話は、いつもご主人の話題が多く、お話の中で私が大好きなのは、「新婚旅行の夜、お父さんが言わはったんです。『僕は、夫婦の間でもぞんざいな物言いはしたくない』って。そやさかい、いつも、言葉遣いには気をつけています」というエピソードだ。
「お父さんが言わはるんです」「あの人が『こないしたらどうや』って言うてくれはったので…」と話す言葉に幸福感が漂って、聞く者を幸せな気分にしてくれる。
夫唱婦随で人生を全うし、87歳で幽冥境を異にされた夫君だけれど、悦子さんの心には、終生、凛として生き続けられるであろう、と会場に飾られた多くの絵画や工芸品を拝見しながら、確信した。
ちなみに「澤田貢三」でNET検索をしてみたら、「第57回、58回一陽展」いずれも入選▽「第12回大阪を描こう展」大阪市天王寺区区長賞▽「第14回大阪を描こう展」大阪商工会議所賞▽「第57回創造展」大阪府知事賞/クレージーアート賞などの受賞歴が多数表記されていて、才能と努力の結果と感じ入った。
JRを2度乗り換えて、降りた奈良県の大和新庄駅は無人駅で、駅前にはお店も人影もなく、タクシ―の来るはずもなく、大通りに向かう道が1本伸びているばかりであった
日傘の欲しいような炎天下の道を、ひたすら歩き続けて、やっと斎場に行き着いた。
澤田貢三さん、人生の終焉もかくのごとく、周囲には何もなく、彼岸に向かって伸びた1本道を、ただ歩いていくのですね。
ただし、金つなぎの嬉しいのは、その先にピンクに紺の理念を染め抜いた理念旗や会旗がへんぽんと翻り、先に逝かれた逝友がたが大喜びで迎えてくださることだ。
逝かれた吉原敦子理事は生前に、「お先に失礼して、【金つなぎ天国支部】を作ってお待ちしています」と、決意をサラリ述べておられた。
三日前に輪廻転生を果たされた魂の、鎮魂をひたすら願いつつ、謹んで合掌。
夫君の遺影は上出来の自画像で、飾られた作品に挟まれ、悦子さんは、キリキリしゃん‼
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