1月25日(土) 晴
昨年秋からお約束のできていた、「中川紀生(なかがわ・のりお)君を偲ぶ会」が、大阪梅田の割烹・河久(かわきゅう)で開かれた。
母校の岡山大学工学部機械科第1期生40人のうちの8人が集まられ、夫人の昌代さんと紀生さんが【心の盟友】と呼んでくださった私を招いてくださったのだ。
昨年10月17日。
こよなく晴れた、青空の広がる奈良・学園前のご自宅で、紀生さんの暖かい頬を撫でて、切ないお「別れをさせていただいた。
小学校、高校時代の友人として「きせいさん」と呼ばせていただき、現役当時大阪ガスの要職に就いておられた彼と、夫人公認の【友人以上恋人未満】乃お(付き合いをさせていただいた。
抗がん闘病の甲斐なく、最後はご自分なりの美学に従い、覚悟の道を歩んで逝かれた。
昨年秋からお約束のできていた、「中川紀生(なかがわ・のりお)君を偲ぶ会」が、大阪梅田の割烹・河久(かわきゅう)で開かれた。
母校の岡山大学工学部機械科第1期生40人のうちの8人が集まられ、夫人の昌代さんと紀生さんが【心の盟友】と呼んでくださった私を招いてくださったのだ。
昨年10月17日。
こよなく晴れた、青空の広がる奈良・学園前のご自宅で、紀生さんの暖かい頬を撫でて、切ないお「別れをさせていただいた。
小学校、高校時代の友人として「きせいさん」と呼ばせていただき、現役当時大阪ガスの要職に就いておられた彼と、夫人公認の【友人以上恋人未満】乃お(付き合いをさせていただいた。
抗がん闘病の甲斐なく、最後はご自分なりの美学に従い、覚悟の道を歩んで逝かれた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます