12月28日(月) 晴
毎年末の一日は、長男一家に仏間と客間の掃除と飾り付けを任せて、もう、10年になる。
私が逝ったあとも、このようにしてご先祖さまを祀ってくれるかと想像するだけで、免疫力がぐぐんっと上がる。
昨年も一昨年も慌ただしい中、画像だけのUPなので、3年前のブログを引っ張り出した。
今もいつも、このように思っているので・・・
◆
🎵 一年中で一番嬉しい景色を、 いま、 見ることができる幸せ
2017年12月29日 22時26分45秒 | さくら的非日常の日々
12月29日(金)晴
相変わらず、腰が張って張って、腰の奥にはさながらガスのタービンが回っているような按配で、熱感と鈍痛がひとしおだ。
ほんとうなら、鳥羽と松阪の墓所に詣でる予定であったけれど、已む無く失礼する。
長男と娘ふたりが、頑張ってお墓の清掃と供花を供えてくれた。
ご先祖さま、年末になると高熱を出したりぎっくり腰に呻いたりする、この不埒で罰あたりの老婆を、なにとぞお許しくださいませ。
夜は、コールセンターの仕事を終えたママも合流、一家4人が客間と仏間のおそうじをしてくれた。
それぞれが、誰の指示も受けず、自分の考えで【すること】を見つけて、楽しそうにし収めてくれた。
ありがたいなぁ。
ご先祖さまが喜んでおられるよ。
『去年今年 貫く 棒の如きもの』(高濱虚子)
去年と今年を貫く、棒のように太く力強いものはナニであるか。
時間の経過をつなぐのは、連綿と続いてきた庶民の家に続く生活文化。 柳田國男の『遠野物語』にもあるように、「歳神さまの迎え方」は、親から子に子から孫に、伝えられる。
そのようにして、連綿として続く時間に区切りをつけ、新たな出発に希望をつなぐ。
人々の、生活の知恵。
人生哲学。
それが、昭和20年、太平洋戦争前までの日本人の生き方・暮らし方であった。
有難くも、我が家は旧弊で毎年変わらぬ年の瀬の暮らしを重ねている。
うれしくも有難いことである。
画像
午後には、老人クラブの副会長・ワタナベさんと、書記・会計・広報担当のモリカワ氏が来られて、高齢者の生き方、考え方について、お喋りを。
お二人とも、80歳を超えてこの矍鑠ぶりに、頭が下がる。
画像
今日も魚忠の豊子さんが、ヤマト便のお手伝い♪
ランチと夜の間の時間を有効利用しておられるそうだ。
お若いからできること?
いえ。
さくらも頼まれたら、やっちゃうかも?
二人とも、働くことがほんとうに好きだもの、ね!
画像
夜にはヤクルトのお姉さんが、子息の聖矢くんとジョアを届けながら、「息子と、電飾見せていただきますぅ」って。
この方も、働くことがお好きみたい!
画像
夜は、やっと印刷ができるようになった年賀状を、1枚ずつ手差し。
日暮れてなお、道遠し。
でも、めげない、逃げない、へこたれない!
この道は、抗がん闘病の道と同じようなのだ。
読み直してみると、この年も12月29日に年賀状を書いている。
今年は1日早い28日。 今夜はだから、徹夜だよ♪
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます