友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

犬が大統領に立候補していた

2012年10月29日 18時23分16秒 | Weblog

 クラス会は盛り上がりました。私はクラスの仲間の一人ひとりの人生に感動を覚えました。みんなでここまで来られたという思いがしました。みんなそれぞれに偉大な能力があることもよくわかりました。昨日のクラス会を担任が見たなら、担任は亡くなっていますが、きっと喜んだに違いありません。先生が1年、長い人は3年間、共に過ごした生徒たちがこんなに立派になったことを誇りに思っているでしょう。また、酔っ払って、怒鳴っているだけの『白いブランコ』を涙ながらに歌ったかも知れません。級長の私としては、最後までまとめ役を果たさなくてはと思いました。まとめ役の努めはクラス会に出席することで、それ以上のことはありません。

 さて、個々の感想についてはまた別の機会としよう。世界のニュースという番組で、イタリアの大統領選挙に犬が立候補しているのを見た。もちろん犬が立候補できないし、投票は無効となる。それにしてもイタリアでは犬の立候補を選挙管理委員会は受け付けるのだろうか。おそらく勝手に立候補という形を取っているのだろう。選挙運動をしているのは飼い主で、街頭演説もワンちゃんに代わって飼い主が行なっていた。演説の内容は、「こんな政治なら犬でも出来る。政治家は全員辞職せよ」というものだった。聴衆から大きな拍手が寄せられ、そのひとりは「(犬の名前)に投票する」と言っていた。

 政治不信への民衆の怒りの行動なのだろうが、全く面白いことを考える人がいる。ギリシアに続いて、イタリアとスペインは財政再建のためユーロから再建政策を厳しく求められている。公務員の賃金カットや税金の増額や福祉の切り下げなど、国民生活を根本から揺るがす改革を迫られている。そのような結果を招いたのは政治家たちだから、「政治家たちは辞任せよ」と言っているのだ。どこの国も右肩上がりの経済の時には、どんどん借金をしてさらに景気をよくする政策を採って来た。その結果は財政の大破綻で、結局国民が被ることになる。

 戦争が続いたヨーロッパから戦争をなくすためにつくられたユーロだったのに、その理想が危機に直面している。支援を受けるギリシア、イタリア、スペインで民衆のデモが起きている。スペインの北部バスクでは独立運動が再熱してきた。まだどうなるのか分からないけれど、もっと小さな国へ別れていくのかも知れない。民主主義は都市国家という形の中で生まれた。国が小さな自治体になれば、軍隊を持つことは負担が大きくて出来なくなるだろうから、その方が理想の形に近づくことなのかも知れない。

 70歳にならんとする私たちと違って、私たちの子どもの世代は裕福な環境の中で育った。80歳の、だから決して本人は戦場に行くことがない、老政治家と若い私たちの子ども世代の政治家が一緒になって、「強い国をつくろう」と合唱して来ている。直接的には政治家が政治を決めるが、その政治家を選んだのは有権者である。イタリアの大統領選挙の皮肉ではないけれど、「政治家はいらない」社会にすることが大事ではないのかと私は思うが、どうだろうか。

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