友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

市民が主役の街づくり

2012年10月30日 18時18分32秒 | Weblog

 市から委託を受けて、児童公園で井戸掘りをしている。厳密に言えば、井戸の方は95%ほど完成し、今は周囲の工事に時間を注ぎ込んでいる。井戸掘り工事は掘るだけでなく、ポンプの土台や水の受け皿などを整備し、手押しポンプを取り付けて完成である。ところが市から、「お母さんたちが花壇を造りたいという要望が出ているので、指導して一緒にやってもらえないか」と言われた。そもそも市民とNPOが協同して街づくりをしようという事業であるから、断る理由はない。

 私はそんなに本格的でなくても、素人だが好きな人がみんなで造った花壇程度のものを考えていた。ところがメンバーのひとりで庭造りの専門家が、「そんな恥ずかしい仕事は出来ない」と言い出し、彼の先導で行なうことにした。ポンプの土台もレンガを積み上げ、花壇もポンプの土台に合わせてレンガを積み、手押しポンプと花壇を一体としたデザインの本格的なものになった。専門の業者に少しも劣らない立派な出来栄えである。専門業者が受ければ百万円以上の金額だろうが、市の予算額はその3分の1でしかない。

 それをグダグダ言う気はないけれど、なるほどと思うことがあった。今日、私たちがレンガ積みをしていたら、私と同年輩くらいの女性がやって来て、「トイレは造らないのかね」とおっしゃる。この市では、児童公園からトイレを撤去する方針で、したがってこの児童公園にはトイレはありませんと話したが、高齢の女性は納得しない。「ここには大勢の子どもが遊びに来ているのよ。トイレがなければどこでするの。どうして児童公園なのに、子どものことを考えないの」と詰め寄られた。

 確かに子どもは間際まで遊びに夢中になっているから、いざ、オシッコという時は困るだろう。家はすぐ近くなのだから、家に帰ればいいと言うが、途中で漏れてしまうのがオチだ。それくらい、子どもは遊びに夢中である。市に聞いてみると、都市公園にはトイレはあるそうだ。ではなぜ児童公園にはないのか、児童公園にもトイレがあるところもあるが、これを無くす方針なのはなぜなのか。市の言い分は、「使い方が悪い。壊す。いたずらされる場所になる。汚れたトイレは誰がきれいにするのか。壊された器具は取り替えに費用がかかる。トイレでいたずらされても目に届かない」等々。

 市としては市民からの苦情を受けたくないのだ。トイレがないという苦情よりも、トイレが汚い、壊れたままだ、いたずらされたらどうするといった声を聞く方が嫌ということなのだろう。どういう公園を造るのか、公園をどのように維持するのか、地域の市民が考え運営していく、地域を自分たちの、もっと言えば市を自分たちの、財産と考えることが必要だろう。この事業は、市民が主役になって街づくりを自ら行なう第1歩だという。もっと市民同士の話し合いの場が必要なのかも知れない。

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