『少年A』の父母の「悔恨の手記」(文春文庫)を読み終えて、重い気持ちになった。両親が何度も繰り返し、「私たちは育て方をどこでどう間違えたのでしょうか。原因が私たちにあることは確かです。結局、育て方があの子に合わず、結果として潰してしまったのです。でも、どうすればいいのか?何が出来るのか?」という苦悶の連続です。
両親は私よりも8歳ほど年下の戦後世代、日本が急成長していく核家族の世代だ。父親は鹿児島の離島から集団就職で神戸にやってきて、一生懸命に働いて社宅から出て団地に居を構えたサラリーマン。母親は女手一つで育てられ、父親とは見合いで結婚した。共に30歳という当時では晩婚の方だった。
結婚2年目に少年Aが生まれた。「どうしてもっと早くできなかったのか」と書いているから、出産を待ち望んでいたのだろう。初めての男の子に、両親はじめ周りも大喜びで、つきっきりで可愛がったようだ。初めての子は、どこの家庭も皆同じだ。ところが翌年に次男が、その3年後には3男が生まれたから、てんてこ舞いだったに違いない。
我が家もそうだったが、次女が生まれると長女は母親をとられたと思うのか、結構スネた。それでも大きくなるにつれ、長女は次女を可愛がり、次女は長女に甘えた。姉妹でケンカすることはなく、次女は長女に絶対の信頼を置いていた。私が次女に、「たまにはお姉ちゃんに逆らってみたら」とけしかけても、「お姉ちゃんは絶対正しいの」と怒り出した。
少年Aは「繊細で食も細く、妙なところで大胆で、勉強に興味はなく、自分の興味のないことは全く受け付けない、子どもにしては頭が回る」子だったが、小学校の高学年から中学校へと進むにつれ、問題を頻繁に起こすようになる。少年Aが書いた犯行文は随分上手で、大人顔負けとも言える。
非行を犯した子は立派な社会人になれない訳ではない。私も教員だったから、そんな実例をよく知っているし、実際、彼らに助けられた。どこでどう間違ったのか、それは分からないけれど、41歳になったA君はどんな気持ちで生きているのだろう。過去をほじくり返しても意味が無いから、静かに淡々と暮らしていることを願う。
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