昨日のネットニュースで、とても考えさせられるニュースがありました。
ご存知の方も多いと思いますが、カナダのある航空会社が、一度搭乗させた男性乗客を、体臭が強烈過ぎると云うこと、飛行機から降ろして飛び立ったそうなんです。
男性がどんな体臭を発していたのかは不明ですが、体臭が理由で機内から締め出されるのは極めて異例とのこと。
男性の近くに座っていた女性は、「とても不快な状況に直面していた」と振り返り、他の乗客も不満を述べながら、男性を凝視していたと云うことです。
同航空の広報担当は、「航空会社として、乗客・乗務員の安全と快適性を守るのが、最重要な責務」と説明し、「場合によっては、問題が大きくなる前、乗務員が乗客を排除することも必要になる」と述べているそうです。
これは“臭覚”の問題です。
いま、あるオリンピック選手の服装問題が、連日、紙上を賑わせております。
先程の飛行機で例えれば、ある目的で統一ルールに基づいて乗せた乗客が、ルール違反を犯して、搭乗拒否をされたと同じと云えるかもしれません。
今回は“視覚”のマナー問題と云えると思います。
家で取っている新聞を読んでいると、最初は著名な人のコメントを載せ、非難のスタンスでした。
それが、競技の結果が出た後の自社のコメントを読むと、一過性のファッションでとらえるのと同じスタンスで、逆に社会の不寛容性を非難するよな記事に。
バカ言うんじゃない。
これは個人のファッションの問題ではなく、日本代表としての公人の自覚の欠如が、問題だったはずですが・・・
選手団にユニフォームが無く、服装が自由なら話しは別です。
戦後60数年のにわか民主主義の悲しさ。
“自由”の行使には必ず、“責任”や“義務”が付きまとうはず。
天下の大新聞が、“後出しジャンケン”にも等しいコメントで、この程度のコメントとは情けなくなります。
マスコミがマスコミなら、教育現場にも疑問が。
彼の“母校”が今回の騒動で、応援を中止したことです。
“母”としての愛情が全く感じられません。
愛情の希薄な家庭を見ている思いがします。
彼は別に“犯罪”を犯した訳でもないのだから、“母校”としては世間を騒がせたお詫びはしても、応援は続けていいと思います。
まるで、都合のいい時は“母校”だと宣伝して、都合が悪くなると関係ないような素振り。
彼はコドモだっただけのことで、こんなことで“母校”の役目から逃避してる様にも見えます。
大新聞社にも、教育現場にも“哲学”が無いとしか思えません。
“個性”とは、揺るぎない“哲学”だとも思います。
彼は放っておいても、数年後には自分の振る舞いの“幼さ”に気付くと思います。
問題はマスコミや教育現場の、モノゴトが起きた時の“受け皿”の、機能の方のように思えてなりません。
文化の未成熟に尽きる問題なのでしょうか・・・
いつもは美しい女性のコトしか考えてないのに、時々、何かに噛み付きたくなるオヤジの主張でした。
ご存知の方も多いと思いますが、カナダのある航空会社が、一度搭乗させた男性乗客を、体臭が強烈過ぎると云うこと、飛行機から降ろして飛び立ったそうなんです。
男性がどんな体臭を発していたのかは不明ですが、体臭が理由で機内から締め出されるのは極めて異例とのこと。
男性の近くに座っていた女性は、「とても不快な状況に直面していた」と振り返り、他の乗客も不満を述べながら、男性を凝視していたと云うことです。
同航空の広報担当は、「航空会社として、乗客・乗務員の安全と快適性を守るのが、最重要な責務」と説明し、「場合によっては、問題が大きくなる前、乗務員が乗客を排除することも必要になる」と述べているそうです。
これは“臭覚”の問題です。
いま、あるオリンピック選手の服装問題が、連日、紙上を賑わせております。
先程の飛行機で例えれば、ある目的で統一ルールに基づいて乗せた乗客が、ルール違反を犯して、搭乗拒否をされたと同じと云えるかもしれません。
今回は“視覚”のマナー問題と云えると思います。
家で取っている新聞を読んでいると、最初は著名な人のコメントを載せ、非難のスタンスでした。
それが、競技の結果が出た後の自社のコメントを読むと、一過性のファッションでとらえるのと同じスタンスで、逆に社会の不寛容性を非難するよな記事に。
バカ言うんじゃない。
これは個人のファッションの問題ではなく、日本代表としての公人の自覚の欠如が、問題だったはずですが・・・
選手団にユニフォームが無く、服装が自由なら話しは別です。
戦後60数年のにわか民主主義の悲しさ。
“自由”の行使には必ず、“責任”や“義務”が付きまとうはず。
天下の大新聞が、“後出しジャンケン”にも等しいコメントで、この程度のコメントとは情けなくなります。
マスコミがマスコミなら、教育現場にも疑問が。
彼の“母校”が今回の騒動で、応援を中止したことです。
“母”としての愛情が全く感じられません。
愛情の希薄な家庭を見ている思いがします。
彼は別に“犯罪”を犯した訳でもないのだから、“母校”としては世間を騒がせたお詫びはしても、応援は続けていいと思います。
まるで、都合のいい時は“母校”だと宣伝して、都合が悪くなると関係ないような素振り。
彼はコドモだっただけのことで、こんなことで“母校”の役目から逃避してる様にも見えます。
大新聞社にも、教育現場にも“哲学”が無いとしか思えません。
“個性”とは、揺るぎない“哲学”だとも思います。
彼は放っておいても、数年後には自分の振る舞いの“幼さ”に気付くと思います。
問題はマスコミや教育現場の、モノゴトが起きた時の“受け皿”の、機能の方のように思えてなりません。
文化の未成熟に尽きる問題なのでしょうか・・・
いつもは美しい女性のコトしか考えてないのに、時々、何かに噛み付きたくなるオヤジの主張でした。